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    はるち

    好きなものを好きなように

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    はるち

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    リクエストいただきました転生ネタです!ドクター(記憶あり)と色気と諦念を併せ持ったリー(記憶なし)のひと夏のアバンチュールです。

    #鯉博
    leiBo

    憂鬱と官能を教えた夏 密室荘、というのがその屋敷の号だった。避暑地に建てられた、バカンスを過ごすにはうってつけの別荘だ。その割には物騒な名前でもあるが。同業者の友人――確か、推理小説家だったか――から買い取ったものだ。この屋敷の元の持ち主、自分の同業者は、風の噂に聞くところによれば、とある事件に巻き込まれて亡くなったらしい。お悔やみ申し上げる。その友人は、思い出の多い別荘で夏を過ごすことに耐えられなかったのだろう。だからこそ自分は二束三文でその屋敷を買い取ることが出来たのだから、天国にいる同業者の冥福を祈ることにしよう。彼の普段の行いを考えると、いるのは地獄かもしれないが。
     二階の窓を開けると、太陽の熱気で織り上げた風が室内に吹き込む。まだ日は高いが、ビールを飲むには良い気候だ。冷蔵庫から持ってきて、昼間から一杯やるのがバカンス初日の過ごし方としては相応しいだろう。しかしその前に。
    「何か御用ですか?」
     外を見下ろし、屋敷の外をうろついている人影に声をかける。この屋敷の元の持ち主は、長らくこの屋敷を放置していたらしい。自分が来る前に業者が一通りの清掃を行ったおかげで、ひとまずは快適に過ごせる状況になったが、どうもこの家は半ば幽霊屋敷のように思われているようだった。家に入る直前も人の視線を感じたし、冷やかしに来る人影も見かける。今外にいる人物も、面白半分にここへ来たのだろう。
     頭上から聞こえた自分の声に、びくりと肩を震わせたその人が、弾かれたようにこちらを見上げる。
    「……ほ、本当にいた」
     白い髪に白い肌。水晶が人の形を持ったように無機質で、その癖浮かべる表情だけがやけに人間らしい。白いシャツにだぶついたジーンズという、避暑地へとバカンスに来たとは思えないほど色気の無い格好だった。年は若い。まだ大学生だろうか。人を見る目には自信がある方だが、酷く中性的な顔立ちと、身体の輪郭が出ない服のせいもあって、性別はわからない。
    「あー、ええと。向こうの家のものですが」
     あっち、と指差す先に視線を向ける。よく手入れの行き届いた屋敷がそこにあった。
    「成程。前の持ち主のお知り合いですか?」
    「そんな感じです」
     嘘だな、と反射的に思う。当たり障りのない笑顔を浮かべてこちらを見上げるその人に、こちらも営業用の笑顔で応える。
    「そうですか。それはどうも。おれはリーってもんです、よろしくお願いします」
     適当に手を振って、中へと引っ込む。都会や仕事の人間関係から解放されるためにここへと来たのだ。これ以上面倒な隣人関係を持ち込むつもりはない。
     ただ。
     よろしくお願いします、と追いかけてきた声だけが、いやに耳に残った。

    ***

    「あまり内部粛清じみた真似はしたくないんだけどね」
     久方ぶりに会ったその人は、酷く疲れた表情をしていた。それも当然だろう。タルラの脱走、というだけでもロドスをひっくり返す大問題だろうに。内部のオペレーターがそれに関わっていたとなれば、ドクターの心労は慮って余りある。
    「確かにこれは探偵向きの仕事でしょうよ」
     手渡されたリストには、レユニオンとの関わりが疑われるオペレーターの名前が連なっている。ロドスの門戸は広く開かれている。元レユニオン所属の人間も、ドクターと敵対していたサルカズも、今はロドスの一員として働いているくらいには、この組織には人手が足りないのだ。優秀で能力さえあれば誰も拒まず――そしてそれは、隙でもある。致命傷になり得るような。
     今回のように。
    「頼めるかい?」
     ポケットからジッポを取り出す。自分が秘書として執務室に出入りするようになってからは灰皿を常備してもらっているが、今回は別の用途だ。渡されたリストに火をつけると、端から炎が名前を舐め取り、灰へと変えていく。灰皿の上に残るのは、ただ白い燃え滓だけだ。
     フェイスシールドの向こうからこちらを見つめるその人に、慇懃に一礼を返す。
    「ご依頼、承りました」

    ***

     けれども、その隣人はどうやら、自分とは対照的な考えのようだった。
    「帽子が飛んでいっちゃって」
     ぴんぽーん、という牧歌的な玄関チャイムで目を覚ました。時計を見る。午前十一時、まだ眠っていても良い時間だ。無視して二度寝を決め込んだが、しかしチャイムは時報のように規則的に鳴る。リーがベッドから出ることを決意したのは、十五回目のチャイムの後だった。時計を見ると、最初に起こされてから実に四十五分が経過していた。全く、見上げた根気の良さだ。
     門まで出る。あからさまに寝起きというリーを見てその人は目を丸くしたが、しかし行儀よくそれには触れなかった。代わりにそもそもの用件を口にする。
    「帽子ですか?どこに?」
    「風に飛ばされて、この家の裏手に生えている木に引っかかっちゃって」
     勝手に入るのも悪いと思って、と取ってつけたようなしおらしさでその人が目を伏せる。この人は、睫毛まで白いのか。二階から見下ろしたときには気づかなかった。改めて、不健康なほどの肌の白さを感じる。静脈はおろかその下まで透けてみえそうだった。確かにこれは帽子で日光を遮らないと、夏は過ごしづらいだろう。
    「どうぞ」
     中へと招くと、その人は安堵したように息をついた。共に屋敷の裏手へと向かう。言葉通り、帽子は枝に引っかかっていた。夏にふさわしい、麦わら帽子だった。その人の身長では届かないだろうから、代わりにリーが腕を伸ばしてそれを取る。
    「ありがとうございます」
     麦わら帽子を受け取り、その人が嬉しそうに笑う。かぶり直し、おずおずとこちらを見上げる虹彩は、帽子のつばに隠れてもなお水晶の煌めきを宿していた。
    「また、ここに来てもいいですか?」
    「おかえりはあちらですよ」
     どうぞ、と手を広げて門の方を指し示す。口をへの字に曲げたその表情は、年相応に幼く見えた。気を抜けば笑ってしまいそうなほどに。

    ***

     あのサンクタの執行人が言っていたように、このロドスにも潜伏、暗殺、破壊活動の対応に当たる専門チームが存在する。そしてケルシーが子飼いとするオペレーターが、普段はこの業務を請け負っていたのだろう。ドクターに悟られない内に全てを闇へと葬るために。
     それでも今回の事態を防げなかったから、こうして自分のところにまで御鉢が回ってくる羽目になったのだ。
    「酷い話だと思いませんか?」
     そう囁く相手には、きっともう自分の声など届いていないだろう。ドクターの懸念通り、レユニオンやそれ以外の組織との繋がりを持つオペレーターは複数存在した。今自分の目の前に転がっているのもその一人だ。内部粛清じみた真似はしたくない、というドクターの言葉を思い出す。だからこれは粛清ではない。一通りの裏を取った後、事実関係の確認のために穏便な話し合いを試みたが、向こうから予想外の抵抗を受けたので、やむなく戦闘になっただけで。ドクターの信頼を裏切ったことへの私怨がなかったのかと尋ねられても、自分は笑顔で否定しよう。
    「ドクターはいつも、あなた方オペレーターの安全を第一に考えて作戦を立案しているのに」
     より効率よく、負担を減らして、安全な作戦を立案するために。
     あの人が、どれほど精神を摩耗させ、理性を消耗して、日々を生きているのか。
     ねえ、と呼びかけても返事はない。どうやら気絶したようだった。大仰にため息をつき、リーは空を見上げた。夜を遠ざける龍門のネオンは路地裏でも明るく、星の光も届かない。
     リストの名前は、まだ半分以上も残っている。
     今はただ、無性にあの人に会いたかった。

    ***

     ぴんぽんぴんぽんぴんぽん、と立て続けにチャイムがなる。最早確かめるまでもない。屋敷に滞在して数日、幽霊屋敷が実際に人の住む屋敷となったことはもう知れ渡っているらしく、冷やかしに来る人間はもういなかった。それでも訪れる変わり者は、もう一人しかいない。
    「またあなたですか」
     うんざりだ、ということを言葉にも態度にも示したつもりだったが、しかし玄関先に立つその人は変わらず、にこにこと微笑んでいる。あの日、自分が取った帽子を被って。
    「帽子を取ってくれたお礼をしていなかったので」
     はい、と白い箱を手渡される。
    「中身は?」
    「ケーキです。消費期限は今日」
    「……、一人分にしては重いですね」
    「どのケーキが好きかわからなかったのでいくつか買ってきました」
    「全部消費期限は今日なんですよね?残ったものはどうしろと?」
    「私、甘いものは結構好きですよ」
     模範解答をした優等生のように得意げな表情を浮かべるその人に、箱の中のケーキをぶつけてやりたかった。しかし見るからにお育ちの良さそうなこの人にそんなことをすれば自分に関してどんな噂が立つかは火を見るよりも明らかであり、自分が大人としてどんな対応をすべきかは自明であった。
     リーはため息をつき、今度は家の中へとその人を招き入れる。
    「どうぞ、茶の一杯だったらご馳走しますよ」
    「ありがとうございます!」
     途端に明るくなる表情が眩しくて憎らしい。門から玄関先までの石畳を、一つ飛ばしに歩く足音が背後から聞こえる。ドアを開けて室内へと招き入れる。適当に座っていてくださいと声をかけると、興味深そうに室内を見回していたその人は、リビングのソファに腰を降ろした。ソファの前に置かれたローテーブルの上に、ケーキの入った箱を置く。
     ケトルにミネラルウォーターを注ぎ入れ、火にかける。紅茶のほうが良いだろう。今この屋敷にはアッサムしかないが、文句を言われる筋合いもない。
    「リー、さんは」
     つっかえるように、その人が自分の名前を呼ぶ。別段呼びづらい名前ではないだろうに。
    「呼び捨てでも構いませんよ」
    「じゃあリーは」
    「いきなりフランクですねえ」
    「一人でここへ?」
     前の所有者は、確か、友人とここを訪れていたのだったか。この人も家族か友人か、ともかく誰かしらと夏を過ごしに来たのだろう。友人であれば自分に構っている余裕はないはずだろうから、おそらくは家族か。毎年の恒例行事に飽いたから、こうして興味本位で自分のところへとやってきたのだろう。
     皿とカトラリーを食器棚から取り出し、その人の前へと向かう。ローテーブルにそれらを広げると、口にこそ出さないもののその人がそわそわと視線を動かすのが可笑しかった。
    「どれがいいんです?」
     テーブルの上に放ったままの箱を開ける。中にはショートケーキとモンブラン、チーズケーキにチョコレートケーキ。この人はこの家でパーティーでも開くつもりだったのだろうか。
    「これはリーのために買ったものだから」
    「あなたが食べたい方を選んでください。それをおれが食べるんで」
    「いい性格をしているなあ」
     じゃあこれを、と指さしたのはショートケーキだった。箱から取り出し、一つずつ皿の上へと載せる。ケトルが湯が湧いたことを声高に主張する叫び声が、キッチンから聞こえる。戻ってティーポッドに茶葉と湯を適量加える。さて、ティーカップとソーサーはどこにしまったか。
    「ミルクと砂糖は?」
    「大丈夫」
     砂時計をひっくり返す。砂が落ちきるまでには見つかるだろう。
    「手伝おうか?」
    「お構いなく。あなたはケーキの前でお預けをされていてください」
    「本当にいい性格をしているよ」
     キッチンでひっそりと零した笑い声は、リビングで待ちぼうけを食らうその人に届いただろうか。見つけ出したティーカップを、そういえば温め忘れていたが、急な来客だったのだから仕方がない。砂も全て落ちきる頃だ。紅茶を注ぐと、温かな湯気と香りがキッチンを包む。
    「用意が出来ましたよ」
     目の前にカップを置くと、待ちかねてたその人がフォークを手に取る。いただきます、と弾んだ声で言うその人は、自分がなんの目的でこのケーキを持ってきたのかもう忘れているようだった。
    「うん、モンブランも美味しい」
    「そりゃあ良かった」
     にこにこと笑うその人は、まだ手を付けていない自分を見て、ばつの悪そうな表情になる。
    「……ショートケーキもきっと美味しいよ?お店のおすすめだったから」
    「さっきの質問ですがね」
    「うん?」
    「ここへは一人で来ましたよ。静かに過ごしたかったもんでね」
     それがどうかしたんですか、と尋ねて、フォークをケーキに突き刺す。
     んん、とその人が目を伏せる。白い睫毛が、憂いを帯びた瞳を縁取る。
    「……さみしくはないの」
     子どものような振る舞いが嘘のような、凪いだ夜のように静かな言葉の、何が琴線に触れたのか。自分でもわからなかった。乱雑にソファに押し倒すと、憂いは流れ去り、その瞳には混乱が溢れている。
    「寂しい、と言ったら、慰めてくれるんですか?」
     あなたが、と囁いて、顔の横に手をつく。その人が息を呑んだ。
     例えばここで怯えたら。自分を恐れたら。もうここには来るなと言って、大人をからかうのも大概にしろと言って、逃してやるつもりだったのに。
    「……君のさみしさが、それで埋まるなら」
     それで構わないよ、と。そう言って、唇を噛んで笑うのだから。
     噛みつくように口付ける。強引に唇をこじ開け、舌を滑り込ませる。ケーキのせいだろう。唇は子どもが見る夢のように甘かった。

    ***

    「仕方がないことなんだけどね」
     ここは方舟であり、終着点ではない。例えばドクターやケルシーのように、ここを終の棲家とする者もいるが、全員にとってそうではないのだ。
    「生きていれば考え方も変わる。移動都市を出て、別の環境や人々の中で、考えを変える人もいる。ここを出て、新しい居場所を見つける人もいる。それを裏切りと呼ぶつもりはないんだ」
    「でも彼らは違う。そうでしょう?」
     彼らは明確にロドスの信念を裏切った。ロドスと、ドクターの信頼を。
     ドクターは静かに笑い。何も答えない。――泣いてくれた方が良かった。泣いて、彼らの裏切りを責めてくれた方が。フェイスシールドよりも馴染んだその仮面の下に、この人はいくつの傷を隠しているのだろう。
    「ねえ、リー」
     そうすれば、自分がこの人を慰めた。その傷を撫でて、癒やしてやれた。
    「もし君が、私を裏切る時は。事前に教えてね」
    「――そんな日は来ませんよ」
     絶対に来ない、と。自分はその人を抱きしめる。華奢な体は、力を入れれば折れてしまいそうで、けれどもこの人がそうならないことは知っている。どれだけの痛みを背負っても、この人は前に進み続けるから。だからこうして、傷だけが増えていく。
     背中に回された手は温かく、弱々しい。全てを抱えて生きるには、あまりにも。

    ***

     避暑地に飽いたら、適当に人を捕まえて一夜を楽しむのも悪くないと思ってはいた。そのために一人で来たというのもある。地元で女と遊ぶのは、どうしても面倒事がつきまとう。その点旅先であれば、その手の煩わしさからは解消される。
     だというのに。自分はどうしてこんな痩せぎすで、ろくに色気もないような人間と共に過ごしているのか。
    「やっぱり君、さみしがりだろう」
     ベッドの下に散らばる服をかき集めながらその人は言う。初めの一回に関しては平手打ちを食らったところで何の文句も言えないが、翌日に顔を出したこの人を部屋に連れ込んでなし崩し的に二回目をして以降はもうずぶずぶだった。夏の日差しが降り注ぐ室内での情事は、ある意味ではこれ以上なくバカンスに相応しい背徳と退廃の味がした。
     自分はともかくとして、この人はまるで行為に慣れていなかった。恥ずかしがるし、要領も悪い。その癖、求められることには懸命に答えようとする。平時であれば、初な姿が胸にも響いただろう。しかし今は戸惑いの方が強い。どんなことをすれば自分を拒むのか。それを確かめるためだけに、酷いことをしていると、自分でも思う。例えば窓辺で行為に及んだり、と言った。
     それでも夕方には帰っていくこの人は、次の日になると決まってこの屋敷を訪れる。
    「口の減らないガキですね、あなたは」
     ベッドの上から煙草を吹きかけてやると、げほごほと咳き込んだその人が涙混じりにこちらを睨みつける。
    「いないの?恋人とか」
    「あなたはおれの親ですか?」
    「それ以外にも……そうだね、家族を作るとか。子どもを引き取ったりする予定は?」
    「誰が好き好んでコブ付きになるんですか」
     遊びにくくなるだろう、とは流石に言わないが。そうだね、と笑うその人は、自分よりも余程寂しそうに見えた。
     だから、そう。少しだけ、本音を零してもいいかと。らしくもなく、そう思ったのだ。
    「……ベターハーフ、って聞いたことあります?」
    「うん?」
    「かつて人は、二人の一つの生き物だったんですよ。頭が二つ、手足が四本ずつ。けれど神がそれを切り離して、世に送り出した。――その、かつての半身、魂の片割れを、人は探しているんです」
     つまりはただの御伽噺ですよ、と言ってサイドテーブルに置かれた灰皿に煙草を押し付ける。下着と服を拾い集め、羽織ったシャツのボタンを止めながら、その人はしげしげとこちらを見つめる。
    「君、さみしがりなだけじゃなくてロマンチストなんだね」
    「足腰立たなくなるまで抱いてやろうか」
    「冗談だよ、冗談。そんなに怖い顔をしないで」
    「……その言葉」
    「どうかした?」
     悠然と、その人は笑う。組み敷いて、シーツの海で溺れていた時とは別人のようだった。共に過ごすようになってから、時折、頭蓋の裏から引っ掻かれるような痛みが脳を走る。
    「……いえ、何でも」
    「そう」
     夕日が室内を赤く染め上げる。ボタンを下まで締め、身なりを整えたその人が扉に手をかける。
    「早く、君の半身が見つかるといいね」
     白は容易く他の色に染まる。例えばその肌が噛み跡と鬱血痕で赤黒く汚れるように。その髪を、斜陽が寂寞の色へと染め上げる。まるで別人のようだった。
     誰そ彼――誰そ、彼。

    ***

    「イベリアからはいつ帰ってくるんですか」
     フェイスシールドの向こう側で、ドクターは答えない。それが全てであり、神経を汚れた手で逆撫でられる不快感があった。
    「おれは同行させてくれないんですか」
    「君には龍門を頼みたいんだよ」
     海からの侵略者に対して、この人が少数のオペレーターを連れてイベリアへ向かうことは聞かされていた。その成功率と危険性についても。ならばなぜ、自分は共に行くことさえも許されないのか。
    「リー」
     聞き分けのない子どもにそうするように、ドクターの手が自分の頬を包む。
    「私を裏切らないって、そう約束してくれただろう」
     それは何に対しての裏切りだろう。ドクターの期待か、それともこの人自身か。
     例えば、今この人を攫っていったとして、それは何に対しての裏切りになるのだろう。
    「約束してくれ」
     嗚呼、何故。この人が何もかもを背負わなければならないのだろう。自分ひとりの痛みでさえ満足に抱えきれないこの人が、テラの命運でさえも。どうして。
    「私のために死なないって」
     どうしておれは、この人の痛みを共に負うことすらも許されないのだろう。

    ***

    「明日には帰ります」
     ベッドの上でまどろんでいたその人は、そう、と寝言のように答えたきりだった。
    「寂しがらないんですか、あなた」
    「さみしがってほしい?」
     ふふ、と仔猫のようにすり寄ってくるので、額を指で弾く。
    「いたいよ」
    「可哀想に。優しくしてあげましょうか?」
    「マッチポンプだなあ」
     まるで男を知らないようだったその肌は、今ではすっかり馴染むようになった。これを手放したとして、自分はどれほどの痛みを覚えるのだろう。戻れば、もっと肉付きの良い相手も、行為の上手い相手もいる。ならば何故、今更、手放し難いなどと思っているのか。
    「だから言ったろう、君はさみしがりだって」
     心を読んだようなタイミングだった。穏やかに笑うその人が、普段とはあべこべに、自分を抱きしめる。
    「もう少し眠りなよ。疲れているだろう」
    「……あなたの方が、余程」
     無体を強いているという自覚はあった。だって、例え涙を零しても、この人は自分を拒まないから。いやだ、とか、やめて、とか。そう言ったらすぐにでも手放してやれたのに。
     ふふ、と零れた笑い声が肌をかすめる。
    「君は情に厚いから」
     背中に腕が回される。――その弱さと儚さに、どこかで覚えがある、のに。行為を終えた後の倦怠感に飲まれて、記憶の輪郭は形をなくしていく。
    「   」
     意識が眠りへと溶けていく寸前、懐かしい誰かが、自分を呼んだ、気がした。
     気がしただけだった。

    ***

     あの人は帰ってこなかった。
     そんなことは予想通りで、死に目に会えなかったことも想像通りで、遺体が戻ってこないことも想定通りで、何もかもが予定調和でしか無いこんな大地は滅んでしまえと思った。けれどそれこそがあの人が命を賭して守りたかったもので、だからもうどうしようもない。自分は、生き延びてしまった自分は、生きていくより他ないのだ。
     世界から人間が一人消えても、世界は円滑に進んでいく。人々は海の脅威を忘れ、また以前の通りに猜疑心と対立に明け暮れる日々へと戻り、ロドスもまた、大地を駆け回って、任務を遂行する日常へと戻っていった。
     あの人が、そう手配したから。自分がいなくなっても、ロドスが機能するように、と。
     ■■■、と。もうこの大地のどこにもいないその人の名前を呼ぶ。
     いや――いる。あの人は、まだ、おれの中にいる。おれの記憶の中に。おれの心の中に。記憶として、痛みとして、空白として。あの人の存在が焼き付いて、忘れることを許さない。
     約束をした。裏切らないと。あの人を、あの人の期待を、約束を、あの人自身を。
     だから。
    「■■■」
     おれはあの人のことを愛している。今でも――いつまでも。

    ***

     目を覚ましたとき、その人はやはりいなかった。代わりにサイドテーブルには紙が一枚。一体いつの間に用意したのかと呆れ、それでも手はつけなかった。別れ際に連絡先を手渡されるのはよくあることだ。
     言葉通り、自分も翌朝には街に戻った。いつも通りの日常が褪せて見えるのは、やはりあの日差しのせいだろう。だから季節が一巡りして、また夏が訪れた時に。避暑地へと向かったのは、あの太陽と、そしてショートケーキが懐かしくなったからだ。
    「こんにちは」
     一年ぶりに屋敷へと向かう道中で、ちょうど家から出てきた少女と目が合う。――あの人が、自分が滞在していると言っていた屋敷から。
    「こんにちは。……このお屋敷の人ですか?向こうにいます、リーってもんです」
     あっちです、と屋敷の方を指差すと、その少女は納得したように頷いた。
    「あのお屋敷の方だったんですね!私はアーミヤです。リーさんは、今年からあのお屋敷に?」
    「いえ、去年から」
    「そうだったんですね。私は、去年はこっちに来られなかったので」
    「ご家族さんにはお会いしましたよ。……今はどちらに?」
     アーミヤと名乗った少女の顔がたちまち曇る。
    「体調を崩してしまって……。今年は来ていないんです」
     せっかくのバカンスだろうに、表情が浮かないのはそのせいか。少女はポケットからスマートフォンを取り出し、おそらくは家族写真だろう、それを自分に向かって見せる。やはりこんな場所に別荘を持っている人間は育ちが良いというべきか。個人情報保護、あるいは人を疑うという発想はないらしい。
     しかしそんな冷笑めいた考えは、瞬く間に砕け散る。
    「リーさんも去年、見かけたかと思うんですが。イレーナ姉さんです」
     そこに写っていたのは、やはり白髪の少女だった。伸びた前髪が片目を覆い。冬の朝のように静かな微笑みが印象的な。
     自分が去年ここで会った、ひと夏を共に過ごした相手ではない。
     あの、水晶のように無機質で、その癖人間の温かさを持った、あの人ではない。
    「……アーミヤさんの、ご兄弟はこの方だけですか?」
    「え?そうですよ」
     それがどうかしましたか、という言葉を最後まで聞かずして、屋敷へと駆け出す。背後から聞こえた声はもうどうでもよかった。体当たりをするように門を開け、鍵を開ける手間も惜しいと玄関を開ける。寝室は二階に合った。来る前に頼んだ業者は適切な仕事をしており、床には埃一つ落ちていない。
     けれどその紙は、変わらず、サイドテーブルに置かれていた。
     自分の帰りを待っていたように。
    「……」
     心臓が痛いのは、ここまで走ってきたからで。呼吸が乱れているのは、酸素が足りないからだ。そう言い聞かせないと、頭がおかしくなりそうだった。部屋の中を満たす夏の日差しの中に、その白さの中に、あの幻影を探してしまいそうで。今にでも、チャイムを鳴らして、嘘だよと笑って、ケーキを片手にこの屋敷を訪れる誰かの声が聞こえそうで。
     幻覚を振り払い、震える指で、二つ折りにされた紙を広げる。
     そこには連絡先はおろか、名前すら書かれていない。ただ一言だけだった。その人が自分に残したのは。
     ――名前。
     そうだ、名前。なまえ、を。
     嗚呼、どうして。どうしておれは、あの人の名前を聞かなかったのか。思い出せないのか。
     この焼き付いた痛みが、忘れることを許さないのに。この胸に空いた空白を、埋める何かをずっと探しているのに。
     その痛みの、空白の名前すら、おれは知らないままなのか。
    「   」
     手から紙が滑り落ちる。残されていたのは、たった一言だけ。
     あの人が残してくれたのは、残酷な許しだけ。

    「君はもう、私のことを裏切ってもいいんだ」
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    はるち

    DONEドクターの死後、旧人類調技術でで蘇った「ドクター」を連れて逃げ出すリー先生のお話

    ある者は星を盗み、ある者は星しか知らず、またある者は大地のどこかに星があるのだと信じていた。
    あいは方舟の中 星々が美しいのは、ここからは見えない花が、どこかで一輪咲いているからだね
     ――引用:星の王子さま/サン・テグジュペリ
     
    「あんまり遠くへ行かないでくださいよ」
     返事の代わりに片手を大きく振り返して、あの人は雪原の中へと駆けていった。雪を見るのは初めてではないが、新しい土地にはしゃいでいるのだろう。好奇心旺盛なのは相変わらずだ、とリーは息を吐いた。この身体になってからというもの、寒さには滅法弱くなった。北風に身を震わせることはないけれど、停滞した血液は体の動きを鈍らせる。とてもではないが、あの人と同じようにはしゃぐ気にはなれない。
    「随分と楽しそうね」
     背後から声をかけられる。その主には気づいていた。鉄道がイェラグに入ってから、絶えず感じていた眼差しの主だ。この土地で、彼女の視線から逃れることなど出来ず、だからこそここへやってきた。彼女であれば、今の自分達を無碍にはしないだろう。しかし、自分とは違って、この人には休息が必要だった。温かな食事と柔らかな寝床が。彼女ならばきっと、自分たちにそれを許してくれるだろう。目を瞑ってくれるだろう。運命から逃げ回る旅人が、しばし足を止めることを。
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    DOODLEロドスでダンスパーティーが開かれるのは公式というのが良いですね
    shall we dance「あなたには、ダンスはどのような行為に見えるかしら?手を相手の首元に添えて、視線を交わせば、無意識下の反応で、人の本心が現れるわ」

    踊ろうか、と差し出された手と、差し出した当人の顔を、リーは交互に見た。
    「ダンスパーティーの練習ですか?」
    「そんなところだよ」
    ロドスでは時折ダンスパーティーが開催されている。リーも参加したことがあり、あのアビサルハンター達も参加していることに少なからず驚かされた。聞けば彼女たちの隊長、グレイディーアは必ずあの催しに参加するのだという。ダンスが好きなんだよ、と耳打ちしてくれたのは通りがかりのオペレーターだ。ダンスパーティーでなくとも、例えばバーで独り、グラスを傾けているときであっても、彼女はダンスの誘いであれば断らずに受けるのだという。あれだけの高嶺の花、孤高の人を誘うのは、さぞかし勇気のいることだろう――と思っていたリーは、けれどもホールの中央で、緊張した様子のオペレーターの手を取ってリードするグレイディーアを見て考えを改めた。もし落花の情を解する流水があるのならば、奔流と潮汐に漂う花弁はあのように舞い踊るのだろう。グレイディーアからすれば、大抵の人間のダンスは彼女に及ばないはずだ。しかしそれを全く感じさせることのない、正しく完璧なエスコートだった。成程、そうであれば、高嶺の花を掴もうと断崖に身を乗り出す人間がいてもおかしくない。
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