左様ならば、また逢いましょうあれ。
こんなところで珍しいね。
もちろん、君のことなら知っている。商人で有名なリー家の、ええと――
……そう言われるのは好きじゃない?
ふふ。
そうだろうね。
私?私はただの通りすがりだよ。
君はどこまで?……そう、あの十字路まで。せっかくだから一緒に行こうか。
しかし、十字路、ねえ。
ああいや、大した意味はないよ。十字路は何故、国が変わっても縁起が良くないのかと思ってね。
過去と未来が交わるとか、この世とあの世が交わるとか。そんな謂れが多くてね。ほら、罰として罪人の死体を埋めたりするだろう?しない?ふうん。
そうだ、こんな話を聞いたことはあるかな。
未練のある魂は、死後に十字路に行くんだ。自分が来た道を除くと、目の前には三本に分かれた道がある。そのそれぞれが過去に、未来に、現世にと続いている。そうして選んだ道の先で、幽霊になって化けて出るのさ。いや全く、輪廻転生を是とする炎国らしい話だと思わないか?死後の審判、天国か地獄に行き先が分かれるラテラーノ教とは異なる死生観だよね。まあ、だからこそ死後どこにも行けない魂が永遠に彷徨い続けるという罰が成立するわけだけど――
ああ。
話が脱線したね。すまない。一人でいる時間が長くなると、どうにも独り言が多くなって困るよ。
うん?
死後、どうして幽霊になるのか?
会いたい人がいるからだろう。……過去や未来に化けて出たって無駄だ、って?その相手がいるかもわからないのに?
ふふ。
そうだね。
本当に。
会えたら、いいのにね。
――うん?
ああ、私は――そうだね、人探し、というか。道を探しているというか……、さっきの話じゃないけどね。全く、なかなかうまくいかないよ。
そうだ。
君だったらどうする?
過去か未来か現世か、どれか道を選べるなら――
***
覚えているのは、赤。
腹に二箇所、右大腿に一箇所、右手には四――いや、六か?右側方からの襲撃。散弾銃で打たれた場所はカウントが難しい。随分と景気よく穴が空いたものだと自分でも思う。致命傷になったのはやはり、腹部からの出血か。体中から流れ出すのは可視化された生命であり人生の残り時間だ。ともすると砂時計というのはこういう気分なのかもな、と冗談めかして笑おうとしたところで、口から出るのは血の混じった泡だけだ。喉を裂かれていることを思い出す。全く、大した念の入れようだ。とはいえ対象が指揮官であれば当然かもしれない。言葉を発せられる状態にしておけば、今際の際に、どんな作戦指示を出すかわかったものではないのだから。
「――ク――、ド……ー」
ドクター、と。銃声と爆発音を裂いて真っ直ぐ耳に飛び込んできた声に、喜びと怒りのどちらを先に感じれば良いのかわからない。馬鹿野郎。なんで助けに来るんだよ。いいからさっさと逃げろ。そう指示を出したいのは山々で、けれどもひゅうひゅうと掠れる息と血以外の何も、この喉からは溢れ出さない。
「ドクター、ドクター。……しっかりしてください」
彼が私の身体を抱え上げる。いい。やめろ。もう私は助からない。早く君だけでも逃げるんだ。
彼が顔を歪める。言葉にしなくても、これくらいのことは通じる間柄だ。私にとっては喜ばしく、彼にとっては呪わしい。
「どうして、あなたは――」
おれを置いていくんですか、と。言葉とともにぱたぱたと頬を濡らす雫は、流れ出す生命よりも熱い。私のことを番と呼ぶ彼。私のことを半身と呼ぶ彼。――もう助からないとわかっていても、最後まで寄り添おうとしてくれる、彼。
嗚呼。
参った。
最後に、彼の名前も呼んでやれないことが――こんなにも辛いとは思わなかった。
***
覚えているのは、黒。
頭上に広がっているのは海ではなく深海だ。私は海の底にいる。身体が錆び付きそうなほどの潮の香りが纏わりつく。
潮は――もう、静まっただろうか。地上に侵攻している、あのシーボーンたちを鎮めることは?私たちは上手くやれたのだろうか?
わからない。きっとそれを確かめることは、もう出来ない。血液よりも塩分濃度の高い水が、喉から肺へと流れ込む。肺の血管が浸透圧に耐えかねて破裂するのと、血液から酸素が失われて私が窒息するのではどちらが早いだろう。いずれにせよ穏やかな死とは言い難い。
私を海に行かせまいと、最後まで必死だった彼を思い出す。それが出来ないのなら同行させろ、と。あなたはおれの番でしょうと、そう言っていた人のことを。
私の中に海が満ちる。ここは寒い。寒くて、暗い。魂まで凍りついて、永遠に海の底に沈んでしまいそうなほど。
彼がいれば。
もっと、暖かかったのだろうか。
一人で死なずに済んだのだろうか。
いやだなあ。
こんなに暗くて寒いところに、ひとりきりなのは。
嗚呼。
彼を、こんな寂しい場所に連れてこなくて――本当に良かった。
***
覚えているのは。
何度繰り返しても、必ずどこかで、自分は失敗するということ。
何度繰り返しても、必ずどこかで、自分は彼を傷つけるということ。
――何度繰り返しても、私と彼は巡り合う、ということ。
「だってそれが――番ってもんですから」
覚えているのは。
覚えて、いるのは――
***
……うん。
そうだね。
こんなものはただの思考実験だ。大した意味はないよ。
ああ、もう着いたね。君の家はあっちの方だろう?……うわ、この距離でも見えるお屋敷なのか……。本当に良家の貴公子なんだね、君。
いやいや、疑っていたわけじゃないよ。
ここでお別れだ。リー……
……。
そっ、か。
君、そういう名前なんだね。
いや、落とし物を拾った、というか……ずっと前になくしたものが見つかった、というか……。
彼は捨てたって言ったきり、教えてくれなかったからね……。いやいや、こっちの話だよ。今の君には関係ない。……関係ないんだよ。
うん?
私の名前?
私の名前、は――
「――いや、やめておこう」
夕陽が沈む中、その人は白い闇のように浮かび上がって見えた。フェイスシールドが斜陽を照り返し、その表情は見えない。
「まだ、その時じゃないからね」
白は悲しい色だ、とその時に思った。夕日の赤にも、夜闇の黒にも完全に染まることはなく。どっちつかずのまま、漂流を続けている。
その人は、自分とは違う道に向かって歩き出す。――一度だけ、その人は振り向いた。
「さようなら」
さようなら、と手を振り返す。
「――また、どこかで」