その肌に残るものは 腕を上げた拍子に、白衣の裾が捲れてドクターの肌が露わになった。透ける肌は無機物めいて白いけれど、チェンが目を留めたのは別の理由だ。その視線に気づいたドクターが苦笑する。棚に刺さっていたバインダーを抜き取って裾を直す。
「見苦しいところを見せてすまないね」
「いや、そういうわけでは」
チェンの視線が泳ぐが、その注意関心が今でもその腕にあることは明らかだった。正確には、実際に生えているのではないかと錯覚するほど鮮明に焼き付いた、鱗の痕に。緩やかな螺旋を描くそれは、さながら刺青のようだった。
ドクターの肌にこの痕跡を残せる存在については言うまでもなく、二人の脳裏には同じ面影が浮かんでいる。ドクターは努めて何もなかったかのようにバインダーをチェンへと差し出したが、しかしチェンが腕を伸ばして掴んだのはドクターの腕だった。服の上からその痕を隠そうとするようで、力の強さも相まって、ドクターの肩が跳ねる。
「……それは、彼の尾が?」
「うん? うーん、そうだよ」
まさかチェンの方から話を降ってくるとは思わず、ドクターは一つ瞬きをした。今は仕事の最中、次の任務についての相談をしているときで、ついプライベートな面を覗かせてしまったのは自分の手落ちだが、彼女の方から踏み込んでくるとは思わなかった。視線を彷徨わせるチェンは、珍しく歯切れの悪い口調で、ひとつひとつ言葉を探している。
「……私達は、幼い頃から、あまり感情を表に出さないようにと教育を受ける」
それは妥当なところだろう、とドクターは頷いた。特に、人の上に立つ身になれば尚更。交渉事の席につけば、自身の感情を悟られることは弱味になりかねず、だからこそ露わにする感情も手札の一つに他ならない。感情は理性の元で管理するべきものだ。
「それは表情や声色に限った話ではない。ドクター、尾を持たないキミにはわからないかもしれないが、私達は自身の尾が感情で揺れないように、言われて育つんだ」
目は口ほどにものを言う、というが、尾や耳を持つ種族であれば感情がそこに現れることも多い。ペッローやコータスなどでそれは顕著だ。彼らの内心を反映するかのようにぶんぶんと揺れる尻尾や、へにゃりと垂れた耳は、時として言葉よりも雄弁だ。
しかし、例えば自分のような家柄で生まれた人間は、それははしたないことだと言われて育つのだとチェンは言う。言われてみればそれも道理だ。いくらポーカーフェイスを取り繕ったところで、それ以外の部分で感情が露出するのでは意味がない。
ならば。
例えば彼が、自分と一緒にいる時に。尾を揺らして喜びを表したり、尾を垂らして悲しみを表すことは――、一体どういう意味を持つ?
「私達は普通、尾に自分の感情を載せることも、……ましてや、それを誰かの身体に巻き付けることなど、しない」
チェンの手が外れ、彼女は中途半端にドクターが持っているバインダーを受け取った。
「よっぽど愛されているんだな、キミは」
「……そういう風に思わされているのかもしれないけどね」
「本人に聞いて確かめてみたらどうだ? だが、それはあまり人目に晒さない方がいいだろう」
それでは確かに、と次の戦術立案のために必要な資料を受け取ったチェンは、ドクターを置いて資料室を出ていく。ひとり残されたドクターは、そろそろと袖を捲り、そこに残された鱗の痕をなぞる。そこに刻まれているのは、彼の感情だろうか。それとも駆け引きのためのカードの一つだろうか? けれども肌に残るのは、確かに心の欠片で、自分はそれに触れることを許されている。それがどういう意味を持つかは、ゆっくりと考えることにしよう。この痕が消えるまでに。