Petit chéri ほーお、と彼はテーブルの上に置かれた箱を手に取った。バレンタインだから、と贈られた品だ。送り主はといえば、リーの向かいに座って落ち着かない様子で指を組んでは開いている。ドクターからのバレンタインプレゼントは、黒の包装紙に赤のリボンがかかった、外装からして立派な一品だった。
「開けても?」
「君に贈ったものだ。好きにしてくれ」
発言は投げやりとも、あるいは怯懦の表れとも取れる。では、としゅるりとリボンを解く。箱の中にはチョコレートが十二粒、品よく並んでいた。宝石のような美しさだ。そういればこれに合わせてドクターは珈琲を淹れたのだったな、ということを思い出し、リーはその中から一粒を選んで口に入れる。目の前にすわすその人が、わずかに息を呑む気配が伝わった。
「……ど、どう?」
「上手いですよ。いやあ、ドクターの見立てに間違いはありませんね」
調子のいいことを言って、と軽口に相槌を打つドクターの表情は、先程までとは打って変わって明るいものになっていた。
「スワイヤーがおすすめしてくれたお店だからね。大丈夫だとは思っていたけれど、君の口にも合って良かったよ」
「おれの予想とはちょいと違いましたけどね。てっきり今日はガトーショコラが食べられるもんだと思っていたんですが」
ドクターがむせた。飲んでいた珈琲が気管に入ったらしい。背中でもさすったほうがいいかと腰を浮かせかけたリーを、ドクターはうっすらと涙の滲む瞳で睨みつけた。
「な、な、な、何を言って」
「おやおや、違いましたか? フォンダンショコラでしたっけ?」
「誰から聞いたんだ!」
「これでも食堂の皆々様とは仲良くやらせていただいているんですよ」
そう言えば、思い当たる節と人がいるのだろう。歯噛みしているドクターを見て、リーは可笑しそうに喉を鳴らした。音の途絶えた室内で、気まずさから視線を逸らしたのはドクターの方だった。
「……いいんだよそれは。そっちの方が美味しいから」
自棄酒のようにマグカップの中身を煽る。頬に苦さが浮かぶのは、何も飲んでいるもののせいだけではあるまい。
「暇さえあれば練習してたって聞きましたが」
「息抜きにちょうどよかったんだよ」
「他のオペレーターたちには食べさせたとも」
「危機契約を終えてみんな糖分を必要としてたからね」
「アドナキエルさんには何十回も試食させたそうじゃないですか」
「誰に聞いたんだよそんなこと!」
勿論本人ですよぉ、と笑うリーをドクターは睨みつけたが、頬に差す赤のせいでいささか迫力には欠けていた。戦場ではさながら冷徹な機械のごとく指揮を振るうこの人も型なしだ、と含み笑うリーに、ドクターはふてくされたようにそっぽを向く。
「それで、おれの分はないんですか?」
「……だから、そっちの方がおいしいって」
「そんなの、食べてみなけりゃわかりませんよ」
「……」
根比べはリーの勝利だった。のろのろと立ち上がったドクターは、執務室の片隅にある冷蔵庫へと向かい、中から取り出したものを皿へと乗せて持ってくる。あくまで自分用に作ったものだから、とドクターは念を押したが、リーはそれを聞いているのかいないのか。手渡されたフォークでいそいそと一口分を切り分け、頬張る。
「……ど、どう?」
問いかけこそ先程と同じだが、切実さはまるで違う。目を閉じ、その味わいに浸っていたリーは瞼を開ける。ドクターは真摯で、真剣で、そして深刻そうに自分を見つめていた。
「うまいですよ。とっても。おれが今まで食べた中で、一番うまい」
「……、君は甘いからね」
「世辞なんかじゃありませんよ。ほら、ドクターも一口どうです?」
切り分けたケーキをフォークに刺し、ドクターの方へと差し出す。戸惑いを見せるドクターに、ここにいるのはおれたちだけじゃありませんかと囁けば、ドクターは苦笑した。マナーの悪さを咎める人間はいない。味見は散々したんだけどな、とドクターがテーブルに身を乗り出す。口が近づき、それを食べようとしたところでフォークを引くと、驚いたドクターがこちらを見上げた。視線が重なったのは一瞬で、一拍後には唇が重なる。
「――ほら、うまいでしょ?」
この人は、自分を甘いと言うけれど。自分からしてみれば、この人の方が、砂糖よりも何よりも、余程。