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    はるち

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    はるち

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    シラクザーノお疲れ様でした

    #鯉博
    leiBo

    降り続く雨の中では、アップルパイの香ばしさも色褪せるようだった。それでもシナモンの効いた林檎は変わらず柔らかい。一口ごとにバターの匂いと混ざって鼻先へと抜け、フィリングの下に敷かれたカスタードクリームが甘く濃厚な余韻を残す。雨が降り止まないのであれば、雨宿りではなく永劫にここに済む羽目になりそうだ、と灰色に濁った空を見上げた。この店はもう長い間店長を欠いているらしく、降りたままのシャッターは錆びついていたが、雨垂れから守ってくれる軒下さえあれば、遅い昼食を摂るのには充分だった。とはいえ紅茶か珈琲でも合わせて買うべきだった、と今は遠いパン屋の方角を睨むと、偶然にもその方向から歩いてくる人影がある。黒い傘は雨を弾くが、外套の裾から覗く尾はその下から飛び出て濡れていた。けれどもそれはわざとだろう。彼の尾は、濡れているときが一番美しく輝くから。
    「どうも、こんにちは」
    三つ揃いのスーツに中折れ帽という服装は、この街においては良くも悪くも堅気には見えない。以前、witch feastで着ていたものは炎国趣味の要素を過分に含んでいたが、今回彼のためにあしらわれた服装はどこまでもこの国の人間のものだった。勿論今の自分も、たとえ見知った人間でさえロドスのドクターとは思わないだろう。ロベルタの特殊メイクはランクウッド、否、このテラの大地で一番だ。
    今の自分達は、雨宿りをしているシラクーザ人に過ぎない。
    「隣で雨宿りをしても?」
    パイを咀嚼しながら頷くと、彼は傘を畳んで隣に立つ。懐から取り出したのは、煙草ではなく葉巻だった。よもやスティックキャンディーなどとは言うまい。ついで取り出したジッポで火をつけると、新鮮な煙がこちらにまで漂った。
    「花屋の様子は?」
    「上々ですよ。赤のライラックが三束入荷しました」
    「そう。なら靴屋も腕が鳴るだろうね」
    「お客様が皆スニーカーだと嘆いていましたよ」
    「それはまた。上映会ももうすぐ終わるだろうに」
    「とはいえミュージカルは最後まで取っておくものですから」
    とあるファミリーへの潜入調査を依頼したときは、仕事終わりにはボーナスが出ないと割に合わないとぼやいていたが。たった一度目を通しただけで、情報伝達用の暗号を全て覚えたのだから、さすがは炎国一の私立探偵と言うべきだろう。ファミリーの戦力とリーの他に潜入しているオペレーターたちの様子、そして具体的な襲撃の日時。食事と雨音の合間に交わす符牒を一言たりとも零さぬように耳だけを傾けて、雨の向こうを見ていた。
    最後の一口を食べ終える。空になった袋を畳んでポケットの中へとしまい、腕に引っ掛けていた雨傘を手に取る。広げると、残っていた雫が勢いよく飛び散り、雨粒と混ざって地面に落ちた。
    「それじゃあ」
    次に会うとすれば、それは作戦が終わったタイミングだろう。雨の中へと歩き出すと、追いかけてくる声があった。
    「炎国料理はいつにしますか?」
    それは何を意味する符牒だったか。言葉の意味を見失い、傘の下を流れる沈黙を雨音が打ち消す。けれどもそれは、暗号ではない。煙と混ざって吐き出されるのは、混じり気のない本心だ。
    一歩踏み出すごとに、葉巻の香りが遠ざかる。降り続く雨が空気を満たして肌寒い。今はただ、あの料理と煙草の匂いが恋しかった。
    「この雨が止んだら」
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    はるち

    DOODLEロドスでダンスパーティーが開かれるのは公式というのが良いですね
    shall we dance「あなたには、ダンスはどのような行為に見えるかしら?手を相手の首元に添えて、視線を交わせば、無意識下の反応で、人の本心が現れるわ」

    踊ろうか、と差し出された手と、差し出した当人の顔を、リーは交互に見た。
    「ダンスパーティーの練習ですか?」
    「そんなところだよ」
    ロドスでは時折ダンスパーティーが開催されている。リーも参加したことがあり、あのアビサルハンター達も参加していることに少なからず驚かされた。聞けば彼女たちの隊長、グレイディーアは必ずあの催しに参加するのだという。ダンスが好きなんだよ、と耳打ちしてくれたのは通りがかりのオペレーターだ。ダンスパーティーでなくとも、例えばバーで独り、グラスを傾けているときであっても、彼女はダンスの誘いであれば断らずに受けるのだという。あれだけの高嶺の花、孤高の人を誘うのは、さぞかし勇気のいることだろう――と思っていたリーは、けれどもホールの中央で、緊張した様子のオペレーターの手を取ってリードするグレイディーアを見て考えを改めた。もし落花の情を解する流水があるのならば、奔流と潮汐に漂う花弁はあのように舞い踊るのだろう。グレイディーアからすれば、大抵の人間のダンスは彼女に及ばないはずだ。しかしそれを全く感じさせることのない、正しく完璧なエスコートだった。成程、そうであれば、高嶺の花を掴もうと断崖に身を乗り出す人間がいてもおかしくない。
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