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    リュート

    主にアークナイツ関連で、たま〜に思いついた文章をここに上げます。ドクターは男設定。主に銀博、葬博、傀博。

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    リュート

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    現パロで銀博♂前提小説。家庭教師としてドクターが向かった先は、とある一人の少女──アーミヤの家。そこで彼女にせがまれ、ドクターは自分と『彼』──シルバーアッシュの馴れ初めを語り始める……

    #銀博
    silverberg

    教え子と私と、彼と ──春の陽気は少しずつ後退し、初夏の陽射しが照りつけ始める時期。雲一つない空がどこまでも青く、からっと晴れ渡った日曜日。
     私はとある家の前に立っていた。
     住宅街の一角にあるごくごく普通の家。強いて言えば赤い屋根が目立つ。しかし目立つのはそこだけで、後は至って普通だ。
     門戸を抜け、玄関先へ。すでにインターホンを押して家主の許可は貰っている。しばしそこに立っていると、カチャカチャと音がして玄関扉が開く。顔を覗かせたのは長い耳を持った濃い栗色の髪の少女。私と目が合うと、耳を揺らしながら彼女はぱあっと破顔した。まるで小さな蕾から一気に大輪の花が咲き拓くように。
    「ドクター! お待ちしてました!」
     小さな身体から出る大きな声。彼女の大きな瞳がキラキラ輝く。純粋な好意をひしひしと感じて、私も自然と口元を綻ばせた。
    「やあ、アーミヤ。久しぶりだね」
    「はい! えーと、二週間ぶりですね。ドクターとお会いするのを楽しみにしてました」
    「はは、ずいぶんと大げさだなぁ」
    「大げさじゃありませんよ。本当です」
     むぅ、と少女──アーミヤはむくれる。私は苦笑しつつ、自分より低い彼女の頭を撫でた。アーミヤは嬉しそうに笑顔を見せる。頭を撫でられるのが好きなのは相変わらずだな。私も彼女のこの屈託のない笑顔を見るのは好きだから、何度でも撫でてあげたくなる。……決して、手触りがいいからじゃないぞ。
    「……あっ! 玄関先でいつまでも……。ドクター、どうぞ入って下さい」
    「ああ、そうだな。お邪魔します」
     アーミヤに腕を引っ張られながら、私は中に足を踏み入れた。


     二階。アーミヤの部屋。
     他の子はわからないが、彼女の部屋を見る限り、たぶん一般的な女子高生の部屋だろう……と思う。
     一番特徴的なのは部屋の隅にコタツがあること。この時期だからコタツ布団はすでになくてテーブル代わり。何故か彼女はコタツが好きなのだ。勉強をするのは普段は勉強机だが、冬の寒い時期はコタツに入ってやることが多いと聞くし、私も何度もこのコタツに招かれ向かい合って教えたりしたこともある。寛ぐ時ももちろんコタツに入る。私にはよくわからないが、女子高生ってみんなこうなのだろうか? 違う人もいるかもしれないが……。
     今日もそのコタツに向かい合って座る。コタツテーブルには紅茶と少しつまめるようなお菓子が用意してあった。
     紅茶を一口飲む。……おっこれは。とても香り高く美味しい紅茶だな。いい茶葉を使っているんだろう。とある人物から教えられた紅茶の知識がぽっと浮かぶ。
    「……そう言えば、一昨日まで中間テストだったんだろう? 手応えはどんな感じだい?」
     今一番聞きたいことを聞く。先週はアーミヤの学校で中間テストの期間中だった。そのため二週間前まではその準備のため、彼女につきっきりで勉強と対策を教えていた。直前までずいぶん不安そうにしていたのを覚えている。だが、今私と向かい合って紅茶を飲むアーミヤの顔はけろりとしていた。大きな瞳が私を見据えて、長い耳がぴこぴこと揺れる。彼女はにっこりと笑った。
    「聞いて下さい! それなら大丈夫ですよ」
    「へぇ、自信たっぷりだな?」
    「ドクターに教えていただいた所がほとんど出ましたし、出なくても教えられたコツを思い出してじっくり考えれば、答えが出ました」
    「そうか。それは良かったね」
    「これもドクターのおかげです。ありがとうございます」
    「私だけじゃないよ。アーミヤがきちんと復習していたからだ。君の努力と実力だよ」
     言ってまたアーミヤの頭を撫でる。彼女は本当に私に頭を撫でられるのが好きだ。顔をほんのり赤くして照れながら「えへへ……」と呟く。
     私から見ても、アーミヤはずいぶんと教えがいのある子だと思う。私から様々な知識を吸収し、今では自ら調べて私に聞くほど。初めて出会った時はまだ年相応の幼さだったのに、子供は本当に成長が早いなあ。
    「ドクターが私の家庭教師になっていただけて、本当に良かったです」
     ポリ、とクッキーを食べながらアーミヤがつぶやく。私もうんうんと頷いた。
    「私も、キミみたいな教えがいのある子に出会えて良かったよ。ありがとうな」
    「それを言うなら私もです。ありがとうございます」
     互いに礼を告げながら頭を下げ合う。顔を上げてお互いに見つめて、プッと吹き出した。
    「……そうだ。ドクター、前から聞きたかったんですけど……」
    「ん? 何だい?」
     クッキーを口に入れながら返事をする。アーミヤは大きな瞳を好奇心でいっぱいにしながら、
    「あの、シルバーアッシュさんとは、いつ出会ったんですか?」
    「ぶッ」
     真正面からどストレートな質問をされて、完全に油断していた私は思わず食べていたクッキーの欠片を噴き出してしまう。うわああまずいまずい! テーブルが汚れた! 慌てて近くのティッシュ箱からティッシュを掴み出して、吹き出したクッキーの欠片をつまみ取る。
    「す、すまないアーミヤ!」
    「あ、いえドクター、大丈夫ですか」
     大丈夫も何も。私が汚してしまったのだから彼女が心配することはないんだけどな。それでもアーミヤはあわあわしながら部屋を飛び出して階段を降りて行き、戻ってきた時には台布巾を手にしていた。テーブルを拭く。
    「本当にごめん……」
    「いえ、いいんですよ。気にしないで下さい」
     紅茶のカップをひっくり返さなくて良かった。もっと大変なことになっていただろう。不幸中の幸いかな。
     テーブルが再度綺麗になると、私はふーっと大きく息をついた。すごく動揺してしまった。脂汗をかいてしまっている。まさかアーミヤの口から、そんな事を聞いてくるとは思いもよらなかった。興味無いと思い込んでいたからだ。
    「……えーと……アーミヤ、知りたいのかい?」
    「ええ……ぜひお願いします」
     彼女の瞳は好奇心でいっぱいになっている。……なんか恥ずかしいな。真正面から見られない。私はつい顔を逸らしたが、それでもアーミヤはニコニコしながら黙って私をじっと見ている。彼女の視線がビシビシと頬に突き刺さってくる。うーん、これはもう話題を反らせないか……。
     私は腹を決めた。声をひそめる。
    「…………誰にも言わないでくれるか?」
    「もちろんです!」
     純粋な好奇心が痛い。べつに悪いことをした訳じゃないのに、胸がちくちく痛む。完全に白状しなきゃならないだろうな、これは。まあ、ある程度はぼかすかな……。
    「……わかった。じゃあ……順番に話していくか」
    「はい」
     私はやっと、彼との馴れ初めを話し始めた。


     彼──シルバーアッシュと出会ったのは、五年前。アーミヤの家庭教師になるよりも、さらに二年ほど前だ。
     私はある名門大学に講師として招かれていた。まあ、講師と言っても一時的なもの。一年間のみの臨時講師。要するに代役だ。
     若くして飛び級で大学を卒業した上に、ある研究と開発でちょっとだけ名前が有名になって……って、自分で言うと自画自賛過ぎて恥ずかしいが、その実績を買われて講師になった。何度も言うけど教授じゃなくて講師だ。まあ、一つの経験として人に教えてみようかと思っていたし、その手始めにでも、と打算的に考えていた。
     教室は満員。一回目の講義だから興味津々な者が多いだろう。それに必修ではなく選択だから、今後の講義を聞く聞かないは自由だ。今日は様子見の学生も多いだろう。果たして二回目以降はどれくらい来るのやら。
     一回目の講義を終え、次の二回目。人数は約半分。三回目……と回を重ねる毎に人数は減っていき、五回目になると一回目の十分の一程度にまでなった。まあこれが普通だろうし、特に気にしていない。それに五回目ともなると、講義に毎回出てくる学生の顔を覚えてくる。出てくれるだけでもありがたいことだ。拙くてもそれだけ私の講義に興味を持ってくれたのだから。ここまで出てくれただけで彼らに単位をあげたいくらいだ。
     ──そして六回目の講義の日。教室には見慣れた顔ぶれが並ぶ。ほぼ全員が最初の講義からずっと居てくれる学生たちだ。
     その中でも、常に一番前の席に座る学生がいるのだが、この彼が見た目からして一際目立っていた。
     特徴的な耳と尻尾だけではない。凡庸な者とは違う聡明な表情。射抜くような切れ長の目、美しく長い銀髪、ピシッと背を伸ばした姿勢の良さ。明らかに彼は凡人とは違うオーラを纏っていた。
     たとえ何百人もの学生たちの中にいても、彼が埋もれてしまうことはないだろう。何処にいても彼だとわかる、圧倒的なオーラを発していたのだ。おかげで私もすぐに名前が覚えられた。
     彼の名は、エンシオディス・シルバーアッシュ。この時点では私は知らなかったが、あの大企業カランド貿易の跡取り息子だということを後に知った。
     何はともあれ、その日の講義が終わり、学生たちが道具を片したりおしゃべりをし始める。私は講義に使ったテキストや資料をまとめ、小脇に抱えて足早に出ていく。と、教室から出たところで、後ろから声がかけられた。
    「……先生、失礼します」
    「ん?」
     振り返ると、銀色の波が私の目を引く。それが彼の髪だと気づくのに、ほんの数秒かかってしまった。
    「おや……君は」
    「エンシオディス・シルバーアッシュです」
    「ああ……。君はよく一番前に座っているね?」
    「はい」
     彼は生真面目な顔で頷く。言葉を続けた。
    「お話があるんですが、よろしいでしょうか?」
    「話?」
     私は首を傾げる。はて、学生から話があるとは思わなかった。何だろう。
    「それは立ち話で済む話かな?」
    「話というより、質問がいろいろあるので、もしかしたら少し時間がかかるかもしれません」
    「ふむ……」
     なら、ここじゃない方がいいよな。別の場所に腰を落ち着けて、聞いた方がいいか。
    「それなら、私の研究室に行こう。研究室と言ってもごく小さいけど、ここで立ちっぱなしよりはマシだろう。それでいいかな?」
    「もちろんです」
     同意を得て、私達は揃って歩き出した。

     私の研究室。この大学にいる間与えられた部屋。他の教授たちの部屋よりも狭いだろうが全く問題ない。どのみち一年間しかいないし、講義するのに必要な資料が置ければそれで十分だ。
    「狭くてすまないね。そこにかけてくれ。コーヒーでもいるかい?」
    「ありがとうございます。お気遣いなく」
     共に向かい合って座ると、早速彼が口を開く。
    「では質問なのですが」
    「ほう、何だい?」
    「今日の講義の中で説明があった……」
     ……というのを皮切りに、彼からの質問が次々に飛び出してくる。一つ一つ丁寧に答えながら、私は内心驚いていた。こんなに質問があったのか。ならば授業中に言ってくれれば、その中で答えたのに。わざわざこんな時間を作ってまで聞く必要はなかったのに。年齢的に遊びたい盛りだろうに……。
     一通り答え終わって、彼が口を閉じると同時に、今度は私が口を開く。名前を呼ぼうとしたが、
    「ええと、えんし……エ……シオディ……」
     どうにも呼びづらい。と、本人が助け舟を出してくれた。
    「エンシオディス・シルバーアッシュです。長いだろうし呼びにくいので、シルバーアッシュと呼んでくださって構いません」
    「そ、そうか。なら……シルバーアッシュ、何故そういう質問を授業中にしなかったんだ? 最後に質問の時間を取ったはずだが?」
    「そうなんですが、こちらからの質問が多いので、授業を長引かせるのはまずいと思いまして」
    「私は構わないが」
    「他の学生たちが迷惑になるかなと」
    「ああ……」
     そうかもしれない。彼らはまだ若い。勉強よりも遊びたいのが本音だろう。気持ちはわかる。自分も、興味のある分野はいくら勉強してもし足りないが、それ以外は見るのも嫌で遊びたい、と思っていたから。
    「だからわざわざ、授業が終わってから声をかけたのか」
    「はい。それに……」
    「それに?」
     銀の青年は一瞬だけ視線を足元に落としたが、すぐに私を真っ直ぐに見てきた。敵意はないが射抜くような鋭い視線。
    「先生の授業は、個人的にもとても興味深いので」
     ん……? 気のせいだろうか? 彼の切れ長の瞳が光ったように見えた。涙が光ったのではない。瞳自体が光を放ったような。……いや、気のせいか……。
    「……そうか。そう言ってもらえると、教えるこちらとしてもありがたいよ」
    「はい」
    「君はこのまま私の授業を取るつもりかい?」
    「もちろんです。それで、あの……」
    「ん?」
    「貴方に時間がある事が条件ですけど、今後も……ここに来ていいですか? 授業で聞き足りないこととかを改めてお聞きしたいので」
    「んん? ……構わないけど、何で?」
     意外過ぎる言葉に私は訝しむ。何故彼はここに来たがる? だってこれほど見目麗しい彼なら、友人にも恋人にも引く手数多だろう。放課後だってそういう付き合いで忙しくなるんじゃないのか。こんなせせこましい研究室に来るより、もっと外に行った方がいいんじゃないのか。
     と思っていると、本人の口から説明された。
    「私は同年代と遊ぶより、こうして様々な何かを学びたいんです」
    「学びたい? ……もっと勉強したいってこと?」
    「はい」
    「……それは君の本心かい?」
    「はい」
     躊躇なく頷いて、またあの鋭い視線を私に向けてくる。そこにあるのは敵対心ではない。真剣に勉強を進めたい、もっと知りたい、もっと教えてもらいたい──という、心からの知的好奇心。
    (へえ……)
     今までの人生の中で、こんな感情に出会ったのは初めてだ。しかもそれが自分に堂々と放たれるとは。私は思わず自分の口元が緩むのを感じる。
    「……君は変わってるな」
    「よく言われますね」
    「ほう。何とも思わないのか?」
    「別に何も。所詮は他人から見た外側だけの目線ですから」
    「強いんだな、君は」
     彼の思いを感じ、言葉を耳にして、私の中にも久しぶりにむくむくと好奇心が湧いてくる。人に──いや、彼に対する興味が。これは面白い。
    「わかった。なら気軽に来なさい。時間があれば大丈夫だから。あっと、私もさすがに知識外のことは教えられないからな。そこは他の先生に頼むよ」
    「ありがとうございます」
     ぱっと表情が明るくなり、シルバーアッシュは頭を下げる。年相応の笑みが彼の顔に広がった。
     ──こうして私は「彼」と出会ったのだ。


    「……とまあ、これが『彼』との出会いかな」
    「そうなんですね。 それがいわゆる『馴れ初め』ってものなんですね!」
    「な、馴れ初め……。……うん、まあ……そうなるのかな?」
     綺麗な目をキラキラさせるアーミヤに、私は戸惑いつつも首肯した。とりあえずそう……なのか? 改めて考えるとなんか微妙だが。
    「そこから、お付き合いを始めたんですね」
    「お付き合いというか……まあ、講師と学生の勉強付き合いだね」
    「それで、それからどうしたんです?」
    「ど、どうしたって……」
     私は困惑してしまう。なんで彼女は異様にこの話に食いついているんだろう? 理由が全くわからないけど、アーミヤは私に向けて純粋な好奇心をこれでもかと見せている。これは……思春期特有の女子の思考……なのだろうか? 男である私にはイマイチわからないが……。
     ふと気づく。あ、もしかして?
    「…………どうしてその後、カランドに入ったのかを、知りたいのかい?」
    「はい!」
     やたらと力強く頷くアーミヤを見て、私はひたすら困った。なるほどそこか……。
    (うーん……どうしようか?)
     彼女から信頼を置かれているとはいえ、あまりプライベートに立ち入られるのはどうかとは思うが、まあ、そんなに詳しくない程度ならいいのかもしれない。
    「そうだね、じゃあ……」
     私は再び口を開いた。


     ──それから約半年後。私とシルバーアッシュは講師と学生の立場を越えた仲になっていた。
     あ……いや、特におかしな仲じゃないぞ。教室では今まで通り講師と学生の立場だが、二人だけになるとその枠は取り払われ、完全に対等な立ち位置になる。つまりは年齢差ありの親友、ということ。たまにはこういう人間関係もいいんじゃないかな。
    「ドクター、差し入れの珈琲豆だ」
    「おお、ありがとう」
     シルバーアッシュは私と二人だけでいる時は、すっかり慇懃無礼な態度だった。敬語もなくなっている。まあ私も、彼を親友として扱っているから、お互い様だ。
     シルバーアッシュはポットに水を入れて電気をつけ、私は彼から貰った珈琲豆をミルで挽く。豆の良い匂いが鼻をくすぐる。この段階でこんなに香り高いとは。相当いい豆を持ってきたな。こういう物を容易く入手出来るとは、さすがは国内有数の大企業の御曹司だ。
    「あと……」
    「うん?」
    「あと四ヶ月、か……」
     私は顔を上げる。シルバーアッシュは顔を下に向けていた。ポットの表示を見ているのだろうか? 長い前髪で顔が見えない。
    「……?」
     私は首を捻る。あと四ヶ月……どういう意味なのか……。
    (……あ)
     ふと、カレンダーに目を向ける。今は十二月の初め。月日の経つのは早い。もうそんな時期だったか。
     あと四ヶ月。それは。
    「……そうだな、もうあと四ヶ月か」
     あと四ヶ月で三月。それは私の講師としての勤めが終わる時を表している。そうなれば私はこの大学を去らなければならない。当たり前だが、改めて思い知る。
    「一年って、長いようで短いねぇ」
    「そうだな……」
    「……?」
     そこで私もようやく気づく。シルバーアッシュの声が妙に暗いのだ。落ち込んでいるようにも、辛そうにも聞こえる。……何でだろう?
    「どうしたんだい、シルバーアッシュ君。元気ないね」
    「……そう見えるか?」
    「ああ、見えるとも」
     私はミルで挽いた豆をコーヒーフィルターに入れ、お湯を注ぐ。そして出来上がった珈琲を二つのカップに注いだ。すると今度は彼の声色が変わった。
    「もう、貴方がいなくなると思うと、寂しいものだと思ってな」
    「……えっ?」
     思わず振り返ってしまう。今なんて言った? 私が居なくなるのが寂しい?
    「それって……」
    「……」
     シルバーアッシュは何も答えなかった。ただ黙って渡された自分の分のカップに注がれたコーヒーを見ている。
    「……」
    「……」
     私はしばらく呆然としていた。まさか彼がそんなことを考えていたとは思わなかったからだ。彼はいつも冷静沈着だから、私との別れにもクールに対応すると思っていたのだが……。
     でも考えてみれば当然かもしれない。私達はたったの一年間──いや正確には一年もないけど──しか一緒にいなかったのだから。
     黙っていたシルバーアッシュが口を開いた。
    「……貴方の講義は、実に良かった」
    「え?」
    「私が貴方の講義を初めて取った時は、お試しというのが強かったが、いざ受けてみると他の教授よりも面白く、かつ簡潔で、しかも理路整然とした内容に、毎回興味を引かれた。おかげで続けられたし、何よりあれだけ集中して講義を受けられたのは初めてだ」
    「はは、買いかぶりだよ」
    「だが、私は本当にそう思ったんだ」
     つと、シルバーアッシュが顔を上げて私を見てくる。真剣な表情に真剣な瞳。
    「……ところで、春以降の身振りは決まっているのか?」
    「いや、まだだ。というより少し休もうかなと思う。休んでいる間に考えるつもりだ」
    「つまりは、まだ何も決まっていない、決めていないということだな」
    「ん? ああ、まあ、そうなるね……」
    「そうか……」
     シルバーアッシュの口角が上がった。……ん? 何か嬉しそうに見えるが……?
    「ならば、うちの会社に来い」
    「へっ?」
    「カランドで、貴方を受け入れよう」
    「……は?」
     ……えっ? 会社で受け入れる? ……って、一体何を言ってるんだ彼は?
    「私もあと一年経てばここを卒業する。卒業後はカランド貿易の一社員になり、仕事の基礎を叩き込まれる事になっている」
    「……へぇ、卒業後の進路は今からとっくに決まっているのはすごいけど、そのまま会社を継ぐんじゃないのか?」
    「ゆくゆくはそうなるだろうが、私はまだまだ学ぶ事は多いのだ」
    「そうなのか? 大企業の御曹司の君なら、他に帝王学みたいなものも学んでいるんじゃないのか?」
    「まあ、一応はな。だが私にはまだ経験がない。だからまずは一人の社員として働き、経験を積まなければならない。後を継ぐのはそれからなのだ」
    「なるほどな……」
     シルバーアッシュはすでにその頭角を現しているほど優秀だ。そのままトップの座に着くのかと思っていたが、会社を継ぐ上で経験が足りない以上、会社を維持するためにはそれが最善なのかもしれない。御曹司も大変だな。つくづくそういう立場でなくて良かったと思う。
    「それに……」
    「うん?」
    「私は貴方と一緒に仕事をしたいと考えている」
    「は」
     全くもって予想外の言葉だった。私と一緒に仕事をしたいって、それはどういう、いや、つまり……。
    「私は貴方を……」
    「……ちょっと待った!」
     私は手を前に出してストップをかける。混乱している頭を整理したい。まず深呼吸をして、それから。
    「つまり……君は私と一緒に働きたいと?」
    「ああ」
    「なんでまた?」
    「理由はいくつかある。一つは貴方の優秀さだ。私は今まで多くの講師を見てきたが、その中でも貴方はトップクラスだと思う。それだけ優秀な人材はなかなかいない。ぜひ欲しいと常々思っていた」
    「……」
    「二つ目、これは個人的な理由だが、貴方と話すのは楽しい。貴方と過ごす時間はかけがえのないものだった。……できることならば、こうしてずっと話していたいと思うほどに」
    「……」
    「三つ目、これが一番大きな理由なのだが、貴方は信頼できる人間だと私は思っている。今まで見てきた中で、最も信頼に値する人物だと確信している。一緒に働けたら嬉しいし、安心感がある。それに私は貴方のことを気に入っている。……できれば失いたくない。だから私は、貴方と共に歩みたいと考えた」
    「……」
     ……なるほどな。そういうことだったのか。確かにシルバーアッシュの言うことはわかる気がする。彼とは一年とはいえ、濃い時間を過ごした。他の誰よりも共に過ごしたから。
    「……」
     私は珈琲を一口飲む。うん、美味い。とても香り高い。さすがは一流の豆を使っているだけある。……ではなくて。
    「……ふぅ……」
     私はため息をついた。そして彼の方を見る。
    「……だから私を、会社に受け入れたいと?」
    「そうだ」
    「しかし私は研究者だよ? 貿易の利になるような事はできないと思うけど」
    「『貴方が研究し開発した物』なら当てはまるだろう」
     ああ、なるほどな。そういう事か。品物なら確かに取引の材料には出来るな。シルバーアッシュの口上はまだ続く。
    「貴方の優秀な頭脳、研究や勉強熱心さ、それに基づく開発……。どれもこれも他の企業や研究機関にとっては、喉から手が出るほど欲しい物だ。他の企業に買われる前に、我がカランド貿易で受け入れよう。それも最高の待遇でもって」
    「いや……それは買いかぶりだよ」
    「貴方にはそれだけの価値があるのだ。私の目に狂いはない」
     なんかすごい饒舌に語られたな? というか、彼がやたらと自信満々に称賛かつ推薦してくるのがこそばゆい。私にそんな価値などないと思うんだが……。
    「迷っているのか?」
    「そりゃ……当たり前だろう……」
    「ならば待つ。いつでも貴方の席は空けている。その気になったら、連絡してくれ」
     フ、と薄い笑みを浮かべながらも真摯な目つき。……何だか上手く乗せられている気になったが、確かに待遇は悪くない。というか後でその待遇とやらを聞かせてもらったが、悪くないどころか本当に最高級の待遇だった。慌ててそこまではいらないと言ったが……。
     ただこの時の私は、本当に迷っていたんだ。だから余計に困惑した。
     それでも。
    「……わかった。その時は遠慮なく連絡するよ」
    「ああ、待っている」
     ──その時に見た嬉しそうな笑顔と言ったら……!
     未来は決まった訳ではないのに、まだ行くと決めた訳ではないのに、彼は本当に心底嬉しそうな、そして眩しく笑っていたんだ──。


    「なるほど……」
     アーミヤはうんうんと一人で頷いている。
    「それで、カランドに行ったんですね?」
    「……そうだな、ずいぶん悩んだけど。結局夏には行ったかな」
     まだシルバーアッシュ本人は卒業していないが、承諾の連絡を入れた時はそれはそれは嬉しそうだったな。今でも思い出せる。
    「で、そのままお付き合いに発展して、今に至る……と」
    「いやあのお付き合いってそのおかしな意味じゃないからな」
    「え? お仕事でお互いに協力し合うのもお付き合いじゃないんですか?」
    「あ……ああ……そういう意味ね……。うん、それも確かにひとつのお付き合いだ、ね……」
     アーミヤがいきなり「お付き合い」という不穏なワードを言ってきたから、焦ってしまった。思わず全力で否定するが、そういう意味ではなかったらしい。よ、良かった、ホッとした……。
     今はまだ本当のことをアーミヤには知らせたくない。ぼかしておくのが懸命だ。もっとも彼女は好奇心旺盛なお年頃。もしかしたらもう少し経てば気づくかもしれないが……。まあそれまでは誤魔化そう。
    「……あれ、もうこんな時間」
     アーミヤが壁の時計を見た。私も同じ所を見ると、もう夕方過ぎ。終了予定時刻はとうに過ぎている。私の話だけでこんなに時間が経っていたのか。私は頭を搔く。
    「あー……ごめん。もう勉強の時間はなくなっちゃったなぁ。すまないね」
    「いえ、いいんですよ。ドクターのお話を聞けてとても面白かったです」
     お、面白い……? まあ、変な意味ではないだろうけど、そんなに面白い話だったか? でもアーミヤにとっては面白かった……のかな? いつものニコニコ笑顔だし。
    「時間過ぎちゃったし、まあ……今日はこれで終わりでいいかな。たまにはこんな息抜きの日があってもいいね」
    「ですね。また次回から勉強の方をお願いします」
    「それはもちろん」
     お茶とお菓子をいただきながら私が話をしただけだが、たまにはこういうのもいいだろう。荷物を持ちながら立ち上がる。ふと、私は聞いてみた。
    「そういえば君は、大学に行くと聞いたけど、志望する所は決めたかな?」
    「はい」
     即答。迷いのない良い返事だ。これなら進路の心配はないかな。
    「そうなんだ。何処かな?」
    「ふふ、それはまだ内緒です。合格したらお教えしますよ」
    「そうかー。ならその時まで楽しみにしてるよ」
     含みを持たせたアーミヤの言葉に残念に思ってしまうが、彼女の選択だ。部外者が口を出すものじゃないな。いずれわかるのなら今は聞かないでおこう。
     共に階下に降りていく。降りながらアーミヤは言う。
    「私の目標の為には、どうしてもそこに行きたいんです」
    「ふぅん……?」
     妙に強調。どうやら本当に本気みたいだ。目指す先があるのはいいことだとは思う。一体彼女の目指す先は何なのか。
    「志望校も目標も、ドクターにもいつかお話ししたいと思います」
    「そっか……楽しみに待ってるよ」
    「はい! じゃあ、また来週よろしくお願いします!」
    「ああ」
     玄関でぺこりと頭を下げられる。私も会釈して外に出た。
     薄暗い。街灯がぽつぽつとつき始め、夕闇が迫っている。思ったより時間をかけてしまったか。と、なるともしかして……。
     ププーッ
     住宅街だからか、やや控えめなクラクション。近寄るエンジンの音。
     門戸から外に出てほんの数メートル歩いたところで、黒い大きな車が横に止まる。
     予想通り。
     私は車から降りてきた銀の人物に微笑んだ。


    「ふう……」
     アーミヤは自室に戻って一息つく。今日はとても充実した一日になったと思う。
    「やっぱりドクターのお話を聞いて正解だったわね」
     大学での日々について色々と話してくれた彼に感謝しなければ。あの人の話はどれも新鮮で、興味深いものばかりだった。おかげでますますあの学校に行きたいという決意が固まる。
     と、耳に入るクラクションの音。彼女はピクリと眉を動かし、窓から外を見る。
     自宅に面した道をゆっくり歩く一人の男。そのすぐ側に止まる大型の黒塗りの車。男も止まり、何やら口を動かしている。車の後部座席側のドアが開き、降り立つ見目麗しき人物。男はその人物に微笑みを見せている。
    (ドクター……)
     アーミヤにはすでに察しがついている。あの車はカランド貿易所有の車。降りてきた人物はそのカランド貿易の現当主、エンシオディス・シルバーアッシュ。予想通りだ。ドクターが遅くなったので、迎えに来たのだろう。
     そう、当主本人がわざわざ迎えに行くほど。
    「ドクター……」
    (貴方は、気づいていないのですね)
     アーミヤにはわかっていた。
     話の中でドクター本人が言っていた、シルバーアッシュのドクターに対する美辞麗句。あれは全て、ドクターへの口説き文句だということを。
     明確な愛の言葉はない。だがドクターからの伝聞を通してでも、シルバーアッシュの言葉のひとつひとつに、彼のドクターへの想いをひしひしと感じたのだ。
     アーミヤでさえわかったのに、当の本人がよくわかっていないのだからある意味皮肉だ。単に会社への勧誘としか思っていない以上、彼は相当こっちの方面に疎いらしい。或いは第三者のアーミヤだからこそわかったのかもしれないが。
    (まあ、ドクターらしいですけど)
     彼が鈍感であればあるほど、見ているこちらも面白いというもの。
    「ふふっ」
     彼女は思わず笑みがこぼれてしまう。
     二人の男は何やら話していたが、やがてシルバーアッシュがドクターを促して車内に入れる。そして自分も入ろうという時、視線を別の方向に向けた。
     それは明らかにアーミヤの家。しかも彼女の部屋の窓。
    「!」
     アーミヤははっきりと見た。
     シルバーアッシュが口角を上げたのを。
     狙っていた獲物を手に入れた、満足気のある笑みを。
    「……」
     それはほんのわずかな時間。彼はすぐに表情を消し、顔を戻して車内に乗り込む。ドアが閉まり、車は走り去って行った。
    「…………」
     アーミヤは窓から離れ一息つく。一瞬、ほんの一瞬だが、シルバーアッシュと目が合った……気がする。自分の気のせいかもしれない。だが彼のあの笑みは、自分の存在をわかっている、という意味だ。
     それでも。
    (ドクター……)
     彼女はぐっと両手を握りしめる。勉強机に向かって座り、教科書やテキストを出して勉強を始めた。
     自分の未来の為に。
     自分の目標の為に。
     彼女の目標──それは。
    (絶対、貴方と同じ大学に合格してみせますよ、ドクター)
     ドクターが卒業した、とある有名な大学。そこが彼女の志望校。
     言えば彼はびっくりするだろう。合格すればもっとびっくりするに違いない。
     憧れのあの人に追いつく為に。尊敬するドクターの背中を追う為に。
     アーミヤは微笑みを浮かべながら、今日も勉強に取り組むのだった──。




    ※おまけ


    「…………」
     夕方の渋滞をかわし、順調に走る車内。隣の席の盟友は先程から静かな笑みを浮かべながら、窓の外を見ている。
    「盟友」
    「…………」
    「盟友」
     やや強めに呼ぶと、ハッとして前を向き、こちらに顔を向けてきた。やっと私を見てくれたか。
    「どうした?」
    「え…………どうしたって?」
    「さっきから呼んでいたのだが」
    「あ……ごめん。気づかなかった……」
     頭を掻きながらややバツが悪そうな顔をする。私が呼んでいるのに気づかないとはいい度胸だな。
    「盟友」
    「何?」
    「車に乗ってからずっと笑っているが、何かあったのか?」
    「え……何、笑ってた?」
    「ああ」
    「あー……いや、大した事じゃないんだ」
     その言葉で全部納得するほど、残念ながら私の心は広くはない。そのままじっと見ていると、彼は言葉を続ける。
    「教え子がずいぶん成長してきたなあ、と思ってね」
    「お前が家庭教師をしている家の娘か」
    「そう。来年大学受験なんだ。彼女は実に聡明だ。私の教え方も理解してどんどん吸収してくれる。それが嬉しくてつい顔に出ちゃったかな」
    「ふむ」
     彼の教え方は実に丁寧だ。分からないところを懇切丁寧に説明し、理解させるまで根気強く付き合う。かつて私が大学で彼の講義を取っていた時と、同じ教え方。
    「まあ、あの子には才能があるよ。この調子なら志望校に合格できると思う」
    「そうか。そこまで教えるつもりだな」
    「もちろん」
    「ふむ。それにしても……」
    「ん?」
    「お前が家庭教師になるとは思わなかったな」
     ──あの後。
     盟友はこちらの望み通り、カランド貿易に来てくれた。提示した条件は約束通り全て与え、今では彼は自身の望むままに研究開発をしている。そのいくつかはカランドにとってなくてはならない物にもなっている。
     だがそれだけではなく、また教育をしたいと言い出したのだ。大学講師としての日々を思い出したらしい。私や他の学生たちに教えたのが刺激になったようだ。
     私としては少々渋ったが、元より様々な経験を積みたい彼のこと。講師になったのもその一つらしい。結局、彼は自力で家庭教師のアルバイトを探し、採用された。興味が湧くと、いつもは重い腰を自ら上げて動く。今だに年齢不詳の彼が採用されたのは、途中から私も密かにバックアップしたせいか(本人も薄々気づいたようだが)。
     そしてとある一般家庭の女子高生の家庭教師となり、今に至る。家庭教師の仕事は順調らしい。その教え子をとても可愛がっているようだ。私としては少々複雑だが、ずっと彼を閉じ込めておくわけにはいかないか。
    「……うん、私もだよ。ま、講師生活も面白かったしね。これもまた良い経験になったと思っている」
     盟友は満足そうに頷く。私は苦笑を漏らすしかない。カランドでの仕事だけでなく、教育者としてもずいぶん充実しているようだ。
     私は少しだけ間を空けてから話を続けた。
    「お前は相変わらずだな」
    「え? 何が?」
     盟友が首を傾げる。私は何も言わずに喉の奥で笑いを漏らした。彼はますます不思議そうな表情を作る。本気でわかっていないらしい。
    「いや……気にするな」
    「そう言われると、余計に気になるんだけどな」
    「お前はお前の思うがままに進め、ということだ」
    「?」
     まだ理解出来ていないのか。彼は自身の研究や興味を持った分野には切れ味鋭く頭が回るのに、それを外れると途端に鈍くなる。……しかしそんなギャップがあるからこそ、私が彼に惹かれた理由であり、手に入れたいと思った理由でもあるのだ。
     盟友はまだ何か聞きたそうな雰囲気を出していたが、私は瞑想するように目を閉じた。そのうち諦めてまた窓の外を見だすだろう。
     ──あれから年数が経った。私も経験を重ねた。上手く行けば、来年には会社の全てを受け継ぐ事になるだろう。
     自分が欲しいものは全て手に入れてきた。どうしても無理なもの以外はほぼ全て。
     だが……。
     ここまで心の底から、しかも本能的に、絶対に手に入れたいと思ったものは初めてだ。
     薄目を開けて再び隣を見る。当の本人は、車内に入り込んでくる夕陽の光を、眩しそうに目を細めながらも、堂々と浴びていた。
    (必ず……)
     今はまだ、彼を完全に手に入れられていない。だが絶対に手に入れるつもりだ。
     そう、いつか必ず。
    (必ず、我が手に──)
     改めて決意を抱きながら、隣の盟友に手を伸ばす。引き寄せて肩を抱いた。
    「シルバーアッシュ?」
    「……」
     盟友の怪訝な目は視界には収めず、ぐっと肩を抱く手に力を入れる。
     必ず、彼の全てを手に入れる為に。
     
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