来週もまた見てくださいね! カチンコが鳴り、スタジオに心地よい緊張が広がる。
女性アナウンサーが透きとおった声で口火を切った。
「さぁて始まりました、『これだけ言わせて!』今週はゲストに俳優の七海健人さん、灰原雄さん、そして女優の家入硝子さんをお迎えしてお送りします」
セット外にいるアシスタントがタオルを振り、観覧席から拍手と黄色い悲鳴があがった。順調な滑り出しにアナウンサーは小さくうなずいた。横一列に並んだゲスト席を向くとわざとらしく目を見開き、上ずった声を出す。
「ってあれ、五条さん? なぜゲスト席に座っているんです?」
「どーも」
軽快に手を振る五条悟と私、夏油傑のお笑いコンビ祓ったれ本舗。
2人がメインMCを務める冠番組『これだけ言わせて!』は、ゲストが持ち込んだ提言を面白おかしくイジり、番組内で叶える構成になっている。モテないと悩んでいる先輩芸人がいれば大改造に取り組み、いっぱい食べられるようになりたい! と言うゲストがいれば、私と悟も1週間のフードファイトに付き合ってきた。
悟は、今収録では提言を出す側に座っている。長い足を遠慮なく伸ばし、隣の硝子に向ける笑顔は身内用の表情で、仕事というより同窓会の雰囲気に近い。
私と悟、そしてゲストに呼ばれた3人はデビュー間もないころに共演して、初対面と思えないほど馬が合った。頻繁に飲みに行ったが、個々に売れてからは回数が減っていき、全員で集まれたのは1年ぶりになる。久しぶりの大集合に悟が浮かれるのもわかるが、相方の私は主催側でお行儀よく立っているというのに、いい身分である。
悟の提言は当日までのお楽しみと隠されていた。ナイショ、と悪戯じみた笑みから、どうせ私に関わることだと察する。番組を通して訴えるなんて、どうせろくな内容じゃない。
「さっそく発表してもらいましょう。どうぞ!」
アナウンサーの振りと同時に、悟は膝に伏せていたフリップを掲げた。小学生の発表会のように、大きな声でハキハキと読みあげる。
「ここで一発、傑の好感度を下げときたい!」
「なんだそれ」
私はがくんと片方の肩を落とす。誇らしげに読みあげる姿と内容のギャップがひどい。
「つくづく思うんだけど、メディアで僕がクズ。傑は祓本の良心って扱われてるのおかしくない? この前のドッキリ――は別局か。性格の悪さでいうと同類だと思うんだけど」
「それはそう」
硝子が同意した。納得いかない。
アナウンサーは深刻な面持ちで頷いている。ちなみに彼女は前回の収録から加わった新入りで、所作のひとつひとつに初々しさが残った。
「それで五条さんは、夏油さんの好感度を下げるエピソードを持ってきてくださった、と」
「まぁね」
五条はフリップを1枚めくり、読み上げた。
「傑、挨拶をせずに帰る問題ぃ!」
「してるよ」
自ら拍手して盛り上げる悟に、間髪入れずにつっこんだ。
芸能界は礼儀マナーに厳しい。頭のネジがふっとんだ人が多いため、締めるところは締めないと秩序が保たれない。特に挨拶は基礎中の基礎とされ、軽んじだ覚えはなかった。
硝子や七海、アナウンサーまでも怪訝に首をかしげるが、悟は軽薄な笑みを崩さない。
「いーや、しないね。一昨日だって僕をほうって帰ったじゃん」
「……え」
「こいつ、よくやるんですよ。僕と楽屋が違うと、さっさと先に帰る」
私を指さし、「ひどくね?」と近寄ってきたカメラに愚痴る。
「そりゃあ、次の収録場所が違ったら別々に出るだろ。そういうことじゃなくて?」
「違っても僕は『バイバイ』って言いに行きますぅ!」
そのとき脳裏に浮かんだ。楽屋で私服に着替えていると、「お疲れサマンサ」とノックもなしに開けてくる悟の姿。
「あーーたしかに?」
挨拶だけして悟は出ていくし、まったく意識していなかった。
それみたことかと、ヒートアップしていく。
「オマエこねぇじゃん! 誰もいない楽屋に行った僕の気持ち返せよ。最近は置いていかれないように急いで着替えてるんだけど」
「着替えるの早いなぁと思ったらそういうこと? あはは」
「笑いごとじゃないんだわ」
鬱憤を出し切った悟は、疲れたように息を吐く。最終的に帰る家は同じなのだし、べつにいいんじゃあ……と思うが、収録中には言えない。
悟はカメラに決め顔を向けた。
「これが傑のクズエピソードです」
「クズではないですね!」
背筋を伸ばして、こんなどうでもいいにも真面目に返す灰原は、本当にいい子だと思う。硝子なんて「思ってたクズとちがう」と辛辣だし、七海は帰りたそうに遠い目をしていた。
「もうさぁ、僕と傑は楽屋一緒でいいから。毎回言ってるけど、『用意するの大変だろうから1部屋でいいよ』って優しさだと思ってる? 切実な訴えだから。テレビ関係者各位どうぞよろしく」
「結局、番組巻き込んで合法的に、夏油と同じ楽屋にしてって言いたかっただけだろ」
硝子は紫煙を吐きだすように斜め上を向いた。膝上でトントンと動く指は、灰を落とす癖だろう。テレビ局は全面禁煙となり、歌姫にも「これきっかけに禁煙したら?」と言われていたが、成果はイマイチらしい。
アナウンサーは戸惑いながらもカメラに向き直る。
「意外なエピソードが出てきましたね。五条さんの主張は『ここで一発、傑の好感度を下げときたい!』とのことでしたが、どうですか灰原さん」
「仲が良くてほっこりしました」
趣旨が違う。
「七海さんは」
七海は苦虫を嚙み潰した。私に振るなと、顔に書いてある。バラエティーは苦手だと公言しており、今回の出演も祓本の冠番組なら、と条件づきだった。
七海は息をついて、ちらりと私をみる。
「五条さんは一緒の楽屋が良くても夏油さんは嫌なんじゃないです? 収録前に1人の時間はほしいでしょう」
「まぁ、そうなんだけど。悟に関しては諦めたというか、慣れたというか」
「押してダメならごり押ししろってね。いぇい!」
悟は頭の上でダブルピースを作って体を揺らす。観覧席は、可愛い~と色めき立つが、三十路の男がやる仕草じゃない。
「悟、あんまりすると七海に尊敬されなくなるよ」
「もうしてないから大丈夫です」
「あ"?」
「夏油より、五条の好感度が下がってるぞ」
七海と悟に挟まれて座る硝子は、前かがみに騒動を避けてぼやく。
「まじか」
悟は深刻な面持ちで黙る。左右対称の小さな顔に、毛穴知らずの滑らかな肌。吸いこまれそうな青い目と、びっしり生えそろった長いまつげ。パーツのすべてが彫刻と見間違うほど美しいが、悩んでいる内容はひどい。
「そ、そんなに夏油さんの好感度を下げたいですか?」
アナウンサーは引きつった笑みを浮かべた。
祓本は仲の良さを売りにした芸風ではないが、何故か「相方大好き芸人」といった企画では声がかかる。舐めあうより、どつきあいの関係のほうがカッコいいよねとデビュー前に話し合って、今も互いが一番のライバルだと宣言しているから、そういった仲良し企画に呼ばれるのは意図と反した。
だからって不仲を推してはいないが、『祓本。犬猿の仲?』と定期的に週刊誌に取り上げられる。それはまぁ、べつにいい。家で悟と笑い転げるネタになる。だけど共演歴の浅いアナウンサーは、悟があまりにも「傑の好感度を下げたい」と繰り返すから、不仲説を思い出したらしい。
「傑ってさ」
悟は重い口を開いた。
「視聴者もだけど、同業者からのウケいいんだよね。無駄に好感度が高い。このままだと不祥事起こしたとき一気に好感度下落して、高低差で過剰に叩かれるじゃん? だから今のうちにちょっとずつ好感度下げとこうと思って」
「なんで不祥事起こす前提なんだよ」
「同業者からも評判がいいのは、夏油さんが普通にいい人だからでは?」
相方のイカれた理論を聞いた直後だとなおさら、灰原の素直さが身にしみる。
「灰原このあと一緒に焼肉でも行こうか。私のおごり」
「ええっいいんですか! ありがとうございます!」
灰原は座ったまま器量に90度のお辞儀をした。
「やりぃ夏油太っ腹~」
すかさず硝子が便乗する。
「まぁ硝子にも世話になってるからね」
「あそこ行ってみたいです! 事務所の先輩がこの前オープンした――」
灰原が身を乗り出すと、悟は「ダーメ」と遮った。立ち上がると、長身が自然と注目を集める。悟はポケットに手を突っ込み、緩慢な動きで私の隣に移動した。言いたいことを言い、MC業務に戻るらしい。
「そこはなし。傑、芸人引退して焼肉屋開くやつと、オンラインサロン開くやつ見下してるし?」
「悟ぅ、あまり適当言うんじゃないよ。出世術だけ上手くなって本業で勝負できないやつ(笑)って言ってたのは君だろ? どちらも私は、悪いとは言ってない。焼肉が好きな芸人は多いし、彼らに安くておいしいものを食べさせてあげたいって理念は悪くない。オンラインサロンは気軽なファンとの交流ともいえるしね」
「え、なに。傑も興味あんの?」
「まさか」
自分でも驚く速さで否定する。でも本当に、心の底から興味はない。
「私の本業は芸人だし、オンラインサロンみたいな安い売り方はしない」
話す途中から悟の口角がむずむずと持ちあがり、ぱあっと顔が輝いた。造形の美しさも相まって周囲に星が煌めいて見える。まぶしい。
「傑やっぱ最高」
悟は抱きつこうとして、どうにか肩を組むにとどめた、馴れ合いでは売ってないから、正しい判断である。
「じゃあこの前、憂太たち連れて行ったとこにしようよ」
「え、君も来るの?」
「このノリでなんで僕だけ省こうと思ったの?」
「冗談は置いといて」
「オマエの冗談わかりにくいんだけど」
「七海も空いてる?」
ゲスト席を向いて尋ねると、七海はぺこりと頭を下げた。
「はい」
控え目だが、ほのかに目じりが下がる。レアな表情に観覧席の七海ファンは、ほうと吐息をこぼした。悟は両手を叩いて話をまとめる。
「決まり! 僕予約してくるから、傑は番組締めといて」
指を突きつけて、番組のセットから退場した。MC業務はどうした。
マネージャーの伊地知に「スマホちょーだい」とねだる姿をカメラが追う。可哀相な伊地知は挙動不審に周りを見渡し、アナウンサーも着地点を見失っていた。
「すみません、うちの悟が。……私の好感度を下げたいということでしたら、1つ案があるんですけど」
「おおっ! ノリ気ですね夏油さん」
アナウンサーはほっとして、舵取りに食いつく。
「収録前の楽屋には、共演者の方々が挨拶にきてくれますよね。私はイヤホンをつけて楽屋で待機。別室にいる悟が指示した言動を取る、っていうのはどうでしょう」
「五条さんが『うんこって言え』って指示したら、夏油さんは『うんこ』って言うってことです?」
わかりやすい例をあげた灰原に、にっこり微笑んだ。
「そう。私ははるばる挨拶に来てくれた人に、『うんこ』って言った汚名を被るわけ。私の好感度を上げるも下げるも悟次第」
アナウンサーはおそるおそる口を挟んだ。
「企画内容は面白そうですけど放送したら結局、五条さんが言わせていた……ってバレますよね。それは、いいんでしょうか?」
番組を盛り上げるために悟は、視聴者を不快にしすぎず、かつ面白い言動を指示しなければいけない。つまり適度にクズな言動である。塩梅は難しいし、視聴率を狙うほど悟のクズ度もあがっていく。正直、好感度で売りたいなら悟が受けるメリットはない。
「悟は喜んでやると思いますよ」
企画とか視聴率関係なしに、私も悟もこういう悪戯が大好きなのだ。イヤホン越しに受けた指示を、悟が望む声音、表情、動きで再現できる自信がある。
「そうだね。アイツは性格が悪魔だから嬉々としてやる」
硝子も太鼓判を押した。カメラの後ろに控えたディレクターもディレクターも頭の上で大きな丸を作っている。悟も親指を突き立てるが、あれは企画じゃなくて焼肉の予約が取れた件だろう。
アナウンサーは興奮に顔を紅潮させ、声を張った。
「大変な企画が生まれましたね! ディレクターはOKを出しています。それでは皆さんぜひ放送をお楽しみください!」