来週もまた見てくださいね!2「はぁい、始まりました。少しだけ夜更かしを。今夜はなんとスペシャルゲスト、祓ったれ本舗の夏油傑ちゃんを招待しているわよ」
深夜11時56分。ラルゥはしっとりとした声音で、パフパフパフと空気の抜けたラッパ音を鳴らした。
ラジオブースは2人掛けの机と機材が圧迫し、出入りに苦労するほど狭い。閉鎖的な空間でも不快感がないのは、ラルゥの空気が柔らかいのはもちろん、私がラルゥに全幅の信頼を置いているからだろう。笑いかけられて、自然と肩の力が抜ける。悟や硝子とコミュニティは違うが、学生のころバイト先で出会ったラルゥもまた、身内と呼べる大切な存在だった。
「紹介いただいた夏油傑です。よろしくお願いします」
「傑ちゃんはゲストっていうより、もう準レギュラーよね。今日もじゃんじゃんお便り届いているわよ」
ラルゥはタブレットを起動し、リアルタイム投稿に目を通していく。
「先週の『これだけ言わせて!』に触れてる人が多いわね。傑ちゃん、まだ見れてない人のために説明してくれる?」
「もちろん。共演者が楽屋挨拶に来たとき、別室にいる悟が、私のイヤホンに対応方法を指示する。私は悟の指示を必ず実行する、って企画ですね」
テレビ離れがささやかれる昨今に神企画と話題を呼び、高視聴率を叩きだした。ディレクターを始めとした番組スタッフは跳びあがって喜び、慰労会を実施したが、私も悟も収録の予定が詰まって辞退している。
「私も見たわよ。あそこ好きだったわ。悠仁ちゃんと腕相撲したとこ」
悠仁ちゃんこと虎杖悠仁は新進気鋭のアーティストであり、企画の最初の生贄だった。
よろしくお願いします! と体育会系よろしく頭を下げた悠仁に対して、悟の指示はひどい。
『弱いヤツと喋りたくないんだよね』
弱いってなんだ。10も年下の子相手に、開幕からフルスロットルすぎないか?
色々ツッコミどころはあったが、すべて飲みこんで尊大な口調で告げる。
ラルゥは放送を思い返し、ほうっと息をついた。
「傑ちゃんの冷ややかな目、ぞくぞくしちゃった」
「私はドキドキだよ。悠仁とは初対面だったし」
「あら、そうだったの? ファーストネームで呼んでるし、面識あったのかと」
「悟が仲良いんだ。よく話題に出るから、初対面って気はしなかったね。良い子だろうとは思ってたけど、想像以上。あれは根明だね。『弱いが何を指すがわかんないけど、……とりあえず腕相撲でもします!?』って」
悠仁は動揺しながら袖をまくり、机に肘を立てる。肉体競技が好きな私の大正解を引き当てた。
「いや~~かわいかったな。芸能界なんて魑魅魍魎と思っていたけど、あんな子がいるなら安泰だね。負けてもめげずに2回戦を申し込んで、ガッツがある。やりたかったなぁ」
悠仁から提案した種目だけあり、さすがに強かった。久々の全力腕相撲に私もテンションがあがるが、再戦目前に制止がかかる。
『勝負にもう1回はないんだよ。どうしてもって言うなら泣いて土下座するか、私の相方の好きなところ10個あげな』
私の相方――つまり悟の好きなところである。10個と数も地味に多い。
年下に意味不明な詰め寄り方をした羞恥がよみがえって呻く。私は顔を覆った。正直、この企画内で一番しんどい場面だった。
「それで悟ちゃんが裏にいるってバレたのよね」
「そうなんだよ」
私は顔をあげる。
――ねぇもしかして、どっかで五条先生みてる? そう言って悠仁はきょろきょろ楽屋を見渡した。勘が鋭くて、素直で、悟が気に入るのも納得いく。
「そこまでは平和だったのよね」
子猫を見守るような穏やかさから一転、ラルゥは遠い目をする。
次に楽屋に着たのは、女優のA子だった。小動物系の童顔が可愛いとネットからじわじわ広がったが、祓本周辺では違う意味で騒がれている。
悟との匂わせ写真だ。
彼女は悟が投稿した飲食店と同じ店を、同日に、時間差であげた。また別の日には悟の愛用品を自宅写真に写りこませる。抗議するほどでもない行為に、悟は取り合わないが、事務所は辟易としていた。
彼女が楽屋に入って来て、悟の指示は1つ。
立たなくていいよ。
悠仁の時も同じ指示を受けたが、彼は後輩。彼女は年齢こそ下だが、芸歴は先輩になる。
「お久しぶりです」
彼女は明るく、可愛らしい声をしていた。
『会ったことあったけ?』
対して私はスマホをいじり、目線も上げない。
気分はアンプである。片耳イヤホン越しに悟の思考を読み取り、適切に出力する。大得意なゲームだった。
「やだな。去年クイズ番組でご一緒したじゃないですか」
挙げられた番組は当然知っている。そこから彼女の影が悟にちらつくようになった。
『覚えてないな』
「そうですか、あれから悟くんには、時々お世話になってるんですけど」
悟くん……悟くん――!? 耳慣れない呼称にぎょっとした。
A子は楽屋にカメラが入っていると知らない。あまり過激な発言をされてボツになったら、先ほど体を張った悠仁に申し訳が立たなかった。
イヤホンに集中するが、終了の指示はなし。企画はスタッフが止めるか、私が強制終了の合図を送らないかぎり終わらない。
悟は次の言葉を告げた。
私は弄っていたスマホを置き、彼女を挑発するように目を細める。
『へぇ、仲良いんだ』
「はい、時々ご一緒しますし」
『廊下ですれ違うことを、業界用語でご一緒するって言ったりする?』
「プライベートです」
「『どこ?』」
悟と声が被った。フライングすんな、と笑われる。
「スイーツ店です」
時間差投稿で話題になった店である。この場で名前を出すくらいだから、投稿は偶然ではなく、意図的なものだろう。マスコミ相手ならともかく私にアピールする意味は謎だが、外堀から埋めていく作戦か。
『一緒に行ったなんて、聞いたことないな』
悟は悟で私に成りきり、口調を再現する。
「相方だからって悟くんの全部を把握しているわけじゃないでしょう?」
「たしかに」
『はぁ? してますぅ! 俺と傑はおはようからおやすみまで共有してますぅ! つーか傑も肯定すんな。勝手にしゃべんな』
思わずうなずくと、ぎゃいぎゃい不満が飛んできた。音漏れしそうな声量に眉根をひそめる。真横にいたら絶対、唾が飛んでいた。
私の表情を悔やんでいると捉え、彼女は余裕を取り戻す。
「でも祓ったれ本舗は仲いいですよね。2人でご飯もよく行くんだとか。今度私も混ぜてくださいよ」
『やだね』
あっかんべ、と舌を出したに違いない。
「そんなこと言わずに。どういうお店よく行くんです?」
『居酒屋かなぁ』
まぁそうだなと同意した。事務所の後輩を連れて行くなら焼肉だが、2人きりか身内だけなら圧倒的に居酒屋が多い。もちろん大衆向けではなく、専用個室つきの店である。
「え?」
A子は聞き返し、ふふっと空気を吐き出した。口角が左右対称に持ちあがり、目は緩やかなアーモンド型を描く。業界人にとってお手本となる美しい笑み。
――あ、見下されたと直感した。
「居酒屋って。悟くん飲めないのに? 付き合ってくれるんだ。優しいですよね」
「知らなかった? 悟は飲めないけど、飲みの空間は好きなんだよ」
『傑くーん、僕なにも喋ってないけど?』
「そして私が飲み会に行くとき、誘わないと拗ねる」
『おい聞けよ。勝手にしゃべんな』
この時の私は番組の主旨が吹っ飛び、うるさいなぁとイヤホンの音量を下げていた。
彼女から表情が削げ落ちていく。
「プライベートで悟の世話になったっていうのも、店で偶然会ったとかだろ? 悟はハマると同じ店に通う癖があるから。もしかして張り込んでた?」
「そんなことしてません」
「そうか。それは悪かったね」
彼女は警戒を宿し、胸の下で左肘を握りしめた。薄手のブラウスが持ちあがり、時計が覗く。
「それさ」
私が指すと、顔色を変えて手を離した。
「悟が愛用している型とお揃いだよね。ジュジュスタに写ってたってファンの子が教えてくれたよ」
「あ。これは、たまたま」
「だろうね。趣味良いし」
「……ん?」
「あれね、実は私の時計なんだ。悟に貸してあげてるの」
半年以上貸しているから、あげたようなものだ。私も仕事中は一度もつけなかったから、元が私の時計だと知っている人は少ないけれど。
「悟って時間にルーズだろ? これ見て行動しな、って渡してるんだけど、……実はこっそり早めてある。内緒ね」
唇に指をあて、しぃっと空気を吐き出す。
「だからファンの子たちも他人に迷惑かけないように。彼女、無関係だから。はい、おしまい。出ておいで」
手を叩くのが、強制終了の合図だった。テッテレーと音楽が流れて、どっきり看板を抱えたスタッフ1名が仕切り板から顔を出す。ドッキリでしたー! とやけくそのように明るい声が浮く。
「この企画の一番の功労者は彼でしょうね」
ラルゥはしみじみと労り、首を傾げた。
「傑ちゃんが途中から勝手に喋りだしたけど、あれはありなの?」
「いや、私のミスだ。申し訳ない」
「あらやだ、面白かったわよ。悟ちゃんも爆笑してたしね」
イヤホンの音量を極小にして収録中は気づかなかったが、スタジオの悟は膝を叩き、目尻に涙を浮かべて笑っていた。そんなにですか? と若干引いたアナウンサーに、こう返す。
傑を操るなんてできないんだよ、何人たりともね。
恍惚とした言い方に、誰も口を挟めなかった。
「お便りも読んでいくわね。『おはようからおやすみまで共有してるってなに? 祓本同棲してるってこと……?』」
ラルゥはいたずらじみた目で、どうなの? と問うた。
私はスゥッと息を吸う。音響をいじって、声に説法用のエフェクトをかけた。
「いいかい? これは相方からのアドバイスだけど、悟は基本的に適当なんだ。まともに受けとるのはやめなさい」
「ふふっ」
ラルゥは笑みをたたえて、次のお便りを探す。
「私はデビュー時から祓ったれ本舗のファンです」
「ありがとうございます」
「人生かけるくらい好きです。劇場に通って、プライベートでも傑とすれ違えないか本気で考え、ロケ地など出没する場所が発表されたら行っています。大好きです」
「出没って、……ポケ〇ンか?」
きな臭い香りがして、空気が重くなる前に茶化した。
ラルゥの口調は明るいが、頬はわずかに引きつっている。読み始めたメッセージは、途中では止められない。
「週刊誌で色々言われてますけど、古参のファンなら2人の仲が良いことは知ってます。でも2人とも相方が笑ってたらいい、って考えてますよね? ファンにも目を向けてほしいです。古参ファンDMとかもうちょっと返してくれたらいいのに。って、こんなファン鬱陶しいですか?」
長文を読みあげラルゥは息をつく。手のひらを合わせて、ごめんなさい、と口が動いた。
私は宙を睨み、顎をさわって考える。
「妙だな」
「なにが?」
「私たちにガチ恋ファンがいると思ってなくて」
「あら、いるでしょ! 傑ちゃんイイ男だし。私も大好きだもの」
「はは、ありがとう。私もラルゥのこと好きだよ」
「あら~~~嬉しい。両想いじゃない」
出された両手に、両手を重ねてハイタッチする。手のひらに快活な痺れが走った。
ラルゥはマイクに向かって高らかな声をあげる。
「ごめんねぇファンの人たち。そして悟ちゃん。傑ちゃんのハートは私が射止めさせてもらったわ」
投げキッスをするラルゥがおかしくて、私はくすくすと肩を揺らす。テーブルに置いてあったスマホが光り、とっさに視線が向いた。普段なら収録終わりまで放置だが、相手が渦中の人物だったので名前を出す。
「悟からメッセージだ」
「あら、なんて?」
画面を見せると、ラルゥは吹き出した。
「『は? 僕にもシラフじゃ言わないくせに』ですって。可愛いじゃない。――酔ったら言うの?」
「悟、君は明日も早いんだからさっさと寝な」
最後のはスルーさせてもらう。ラルゥも深堀りはしなかった。
「傑ちゃんって、ガチ恋ファンに対してどう思ってるの?」
肩をすくめ、正直に答える。
「ガチ恋してくる子は、"猿"って呼んで、寄せ付けないようにしてたから。残ってたのが意外というか」
「え。ファンの子を猿って呼んでるの? いいの?」
「最近は出待ちに『猿って呼んで』ってうちわ持っている子もいるよ」
「ファンの子たちそれでいいの!?」
ラルゥは気を取り直して苦笑する。
「まるでアイドルね。ちなみに悟ちゃんと傑ちゃん、ズバリどっちがモテるのかしら?」
「私だね。悟はかっこいいけど、性格がね。小学生だから」
考えるまでもない。私はふふんと顎をあげた。
またスマホの画面が光る。
「悟から。『オマエまた自分だけ好感度あげようとしてね?』だって。ふふ」
「むしろ下げにいってない?」
頬杖をついて見守っていたラルゥが、ふっと表情を緩める。
「貴方たち、ほんと仲いいわねぇ」
「そう? まぁ付き合い長いしね」
悟から『親友だしね』とメッセージが届いて、私は微笑んだ。これは、全国放送にのせなくていい。私だけが知っていればこと足りる。
しっとりとしたジングルが流れて、終わりの合図にラルゥはくちびるを湿らせた。
「そろそろお時間のようですね。少しだけ夜更かしを、お付き合いありがとうございます。パーソナリティのラルゥと、」
「ゲストの夏油でお送りしました。また来週も聴いてくださいね!」