ロビぐだ♂ファンタジーパラレル 第7話それから、ロビンの“狩り”が始まった。
やることは獣相手の狩猟とそう変わらない。微かな痕跡から対象の手がかりを得ては追い駆け、追い込み、追い詰める。罠だろうが毒だろうが使えるものは何でも使って、一匹一匹確実に。
捕らえた魔物は情報を吐かせてから殺した。素直に喋らない個体はその気になるまでいたぶってから殺した。入手した情報をもとにまた次を捕らえ、殺し、捕らえ、殺す。その繰り返し。一匹殺す度に技術は磨かれ、殺意は研がれていった。必要なのは立香の居処であり、倫理観や正義感などではない。血眼になって青年を攫った魔物の本拠地を探した。
街に降りて人の口から集めた噂や締め上げた下っ端から聞き出した話曰く。例の集団はやはり討伐の残党だった。しかし今では土着の魔物も取り込み中々の数になっているらしい。獣が如き身体能力と人間にも似た狡猾さを悪用し、各地で悪逆を働いてはどこへなりと去っていく。戯れのように人里を襲い、目についたものを略奪する様は山賊と変わりない。今や連中は単なる噂ではなく実在する脅威として周知され始めていた。
だがそれ程悪評が広まったにも拘らず、魔物達の棲家は杳として知れなかった。尾行しても不思議と見失ってしまうし、連れて行かれたものが逃げ出してくることもない。それがまた連中の始末が悪く、そして恐れられる要因の一つだった。生粋の狩人の腕をもってしても一向に手応えはなく、焦燥はじりじりとロビンの精神を灼いていった。
真っ先に影響が出たのは睡眠だ。休養を取ろうと目を閉じてもまるで気が休まらない。無理に意識を落とせば浅い眠りが似たような悪夢を運んでくる。
夢には必ず探し人の姿があった。愛しい立香。何にも代えがたい唯一無二。その愛してやまぬ青年へ、悍ましく無作法な手が幾つも伸びる。羽虫の如き連中が寄ってたかって宝物に纏わりつくのを、しかしロビンは見ていることしか出来ない。舌は貼り付いたように動かせず、足は凍りついたように微動だにせず。駆け寄ることはおろか声の一つもかけられないまま、青年が無遠慮に貪られていくのを延々と見せつけられて───そこで、目が醒める。気が狂いそうだ。
ろくな眠りにありつけず、寝ても覚めてもただ一人の行方を追い続ける。そんな日々は一端の伊達男を別人のように変貌させた。頬は痩け、目の下には隈が浮き、柔和だった目元には餓狼の如き眼光を湛える。お節介な隣人達に窘められようと耳も貸さなかった。立香を取り戻す、それを果たすまでは。
季節を二つ分費やした執拗な追跡の末、ロビンは魔物達の活動拠点があるだろう地域を絞り込んだ。
───だが、そこまでだった。それ以上の具体的な場所、根城の在り処だけがどうしても分からない。焦りと苛立ちばかりが募ってはロビンの精神を苛む。
そんな眠れない夜に、奇妙な男と出くわした。
◇◆◇
北方の土地にしては珍しく、蒸し暑い晩。ただでさえ睡魔と疎遠になって久しいのに、寝苦しさまで追加されてロビンは今夜の眠りを放棄した。今日の宿たる樫の古木からするすると地上に降り、月光を頼りに水辺へ赴く。少しも行かないところに澄んだ水を湛えた泉があるのだ。瞼に貼り付く悪夢の残骸を引き剥がそうと、冷たい泉で顔を洗う。滾々と湧き出ずる清水は幾分か気分をすっきりさせた。
洗顔の拍子に濡れた前髪。毛先から雫が滴る。その水滴の向こうに足が映った。
「やあ、ご機嫌麗しゅう。色男。」
顔を上げたのと声をかけられたのは殆ど同時である。丁度こちらとは反対側の岸辺に誰かいた。視界に入った『それ』の不審さにロビンは眉を引き上げる。
輪郭自体は若い男のものだ。肩に触れるか触れないかの辺りで切られた髪は、喪服の薄絹を連想させる影の色。整った顔立ちに嵌まった碧眼は弧を描いてこそいるものの沈み込むような鬱屈を孕んで見える。頭に戴く華奢な青い冠も手伝って一見は貴族然とした美男子だが、どこか拭い去れない違和感が付き纏っていた。
「……どちらさんで?」
突如現れた異様な客に、森の狩人は注意深く言葉を選ぶ。相手は明らかに人外の者だ。つい先程まで対岸には誰もいなかった。音も気配なく一瞬で顕れ、波紋も立てずに爪先を泉に浸し───蜻蛉か蜉蝣のような巨大な翅を背負った男が、ヒトである訳がない。
「俺は……そうだな、“虫の王”とでも呼んでくれ。呼ばなくても勿論良いが。」
耳触りの甘い声が鼓膜を舐る。警戒を解こうとしないロビンに男、もとい虫の王は口元を美しく歪めた。
「お前のことは虫共から聞いたのさ。『攫われた番を探して彷徨う“妖精のいとし子”が居る』ってな。」
「…………」
「俺はカワイソウな奴を見ると放っておけない性質でね。気の毒なお前に詔をくれてやろう。」
戯曲の科白を諳んじるように朗々と、そして一方的に宣言する。返事どころか疑心の眼差しを受けてなお、ヒトならざる男はニタリと口角を吊り上げたままだった。
「そう睨むなよ。俺はお前が喉から手が出る程欲し、蛆の如く這いずり回ってまで求めたものを与えに来てやったんだからさ。」
クツクツと喉を鳴らし、肩を竦める。一切の余裕を崩さない様はロビンが眉をしかめるのを愉しんでいるようにさえ見えた。そうして一頻り勿体ぶってから、如何(いか)にも重々しく告げたのは──────立香が囚われている、魔物達の塒の場所だった。
「な、っ…………!?」
緑の両目が見開かれる。思わず身体が前のめりになるも、すぐに我に返った。一度は開いた双眸で王を名乗る存在をきつく見据える。
「……そんなこと、何でお前が知ってる?」
「虫はどこにでも湧いて出る。例え幾重にも隠された畜生の巣穴の底だとしても。言ったろう、俺は虫の王だ。頼んでもないのに報告が届くのさ。」
答える声音は楽しげに、もしくはうんざりとして聞こえた。正反対の印象を矛盾せずに両立させる、奇妙な調子だ。
「信じるも信じないもお前次第だよ。ま、俺なら信じないけど。」
声だけでなく内容も一貫性に欠ける。どこまでが真実で、どこまでが偽りか。何一つ掴めないのが薄ら寒い。見た目以上の異質さが男からは感じられた。
「ああ、忘れるところだった。おまけにこいつもくれてやろう。」
言いながら何かを放り投げる。力を入れたようには見えなかったが、それは奇妙な放物線を描いてロビンの足元に着地した。
「そいつは妖精特製、とっておきの毒だ。ヒトには単なる塵でしかないが、ヒトならざるモノには効果覿面。お前が目的を遂げるための一助にはなるんじゃないか。」
「…………」
軽率に手に取るのは憚られ、ちらりと視線だけ落とす。
草地に真珠のような光沢の小さな瓶が落ちている。丸みを帯びた形状のそれは半透明で、中に妖しく煌めく粉が入っているのが見えた。濃紫の素地に所々月明かりを反射して光る粒が混じっている様は美しいと言えるが、長く見ていると背筋が冷えるような禍々しさも感じる。
成程、確かにこれは人間の手に拠る代物ではない。
「……どうして、オレに肩入れする?」
「だからさっきも言ったろ、俺は憐れな奴を放っておけないんだって。それに俺の可愛い羽虫共に泣きつかれたんでね。お前も幾ら鬱陶しいからってあんまり邪険にしてやるなよ、気持ちは分かるが。」
忌々しそうに吐き捨て、虫の王は空中で何かを追い払うような手振りをした。その様子にロビンは捜索に没頭する己の裾を引っ張っては止めようとする小妖精達を思い出す。
「…………」
小瓶と王とを視界に入れて、黙したまま考えた。
目の前の男の真意を読み取ることは恐らく不可能だろう。妖精は総じて気紛れだ。思考回路の基盤そのものが大きくかけ離れており、およそ人間の枠組みで測れるものではない。ならば徒に意図を推測するより、乗ってしまう方が早かった。あと一歩のところで手をこまねいてるのが現実なのだから。
それにもしこれが悪魔の契約だったとして、立香を救い出せるなら命だろうが魂だろうが安い対価だった。
「……一応、礼は言っとくぜ。」
「ははっ!要らないよそんなもの。反吐が出る。」
毒の瓶を拾い上げたロビンを見て碧眼が歪んだ弧を描く。その足先はいつの間にか暗闇に絡みつかれてずぶずぶと沈み込んでいた。あれは穴、だろうか。空間がそこだけぽっかりと口を開け、みるみる男を呑んでいく。
「───────最後に忠告してやるよ、色男。同じく恋人を探す同志として。」
奈落に消えながら、残った異形の指がロビンをさす。顔は既に見えないが、どんな表情をしているのかは不思議と想像がついた。
「妖精は人間でも、魔物でもない。そのちょうど中間のモノだ。そしてそれに親しむお前もまた、境目に近い。……線を越えるのは、お前が思う程難くはないぞ。」
言葉が終わると同時に伸びた人差し指までも闇に落ちる。要領を得ない台詞だけを残して虫の王は消えた。
後には小瓶を手にした狩人と、水面を撫ぜる夜風が残るばかりである。