ワンライ(まつりのあと) ホリデーシーズンを迎えた人気リゾートの中心街は、たくさんの観光客で賑わっていた。
「モクマさん。私で良かったのですか? ミカグラを離れても毎日のように見る顔だというのに」
「もちろん。お前とはミカグラを歩いてなかったしね」
つい先程チェズレイは、オフィス・ナデシコのリビングで寛いでいたところを街へと連れ出された。モクマが何か買いたいものがあるのだそうだ。
今日はクリスマス翌日。相棒と連れ立って歩く劇場街のど真ん中では、昨日まで圧倒的な存在感を放っていた巨大なクリスマスツリーの解体作業が行われていた。
誰もが笑顔になる楽しい祭りは昨日で終わり。……だというのに。
「つい昨日まで『メリークリスマス』と浮かれていたというのに、移り気なものですねェ」
横たわる樅の木から視線を移せば、店のショーウィンドウの『メリークリスマス』の文字が『ハッピーニューイヤー』に張り替えられている真っ最中だった。
「ははあ、移り気……一途なお前さんらしいねえ。でもさ、祭りの後の寂しさも、次の祭りの準備に追われてれば吹っ飛んじまう気がせんかい?」
「おや。クリスマスが終わって寂しかったのですか? モクマさん」
「寂しかったのはお前さんの方だろ? 珍しくぼ~っとしちまってさ」
ルークは昨夜の便で帰国してしまい、アーロンも今朝の船でハスマリーへと発った。久しぶりに気の置けない仲間と過ごした楽しい日々が過ぎ去り、チェズレイの心には一抹の寂しさが芽生えていた。
こうして買い物に誘われたのは、それを見抜かれてのことだったらしい。さすがは相棒、と言うべきだった。
「見抜いてきますねェ」
「そりゃ他ならぬチェズレイのことだもの」
「お気遣いいただきありがとうございます」
「お、素直。まあ、お前さんとデートがしたかったのもほんとだよ。久し振りじゃない、こうやってふたりで過ごすのってさ」
約一年半ぶりに訪れたミカグラ島では、ナデシコやスイなど懐かしい面々との再会を果たした。大傷が癒えたばかりのチェズレイはあまりオフィスから出歩くことはなかったが、モクマは昔ながらの友人たちと酒を酌み交わしたり、新人警察官へのスピーチに呼ばれたりと、それなりに忙しく過ごしていた。
オフィスにはルークやアーロン、そしてシキもいた。モクマもチェズレイも、自然と彼らといる時間を優先した。ほとんどふたりきりで過ごしたここ一年半からは考えられない、賑やかな時間だった。
とはいえ今のチェズレイの中にあるのは、彼らとの別れを惜しむ気持ちばかりではない。自分のそばには生涯を誓った相棒がいるのだ。
せっかくの久々のデートを楽しむべく、チェズレイはブロッサムの街へと目を向けた。ホリデーのイルミネーションが、昼間でもキラキラと輝いている。その中にふと見慣れない物を見つけた。
「モクマさん、あれは何です?」
指差した先のショップでは、店のスタッフらしき男性と着物を着た男性が、竹らしき何かでできた飾りを二人がかりで外へ運び出していた。
「ん? ああ、あれは門松っちゅうんだ。門の前に置いて神様を出迎えるための、マイカの正月用の飾りだよ。ついでにあの店のドアにかかってるやつは、しめ飾り。あれもマイカのもんだ」
「なるほど。こんなところでもブロッサムとマイカの融和が進んでいるのですね」
「そういうこった。嬉しいねえ」
ホリデーのきらびやかなイルミネーションの中に、マイカ由来の正月飾り。アンマッチなようでいて、不思議と馴染んでいるように見える。
着いたよ、とモクマが示した店のドアにも、しめ飾りが飾られていた。
「ここは……」
店内に入ると、コーヒーの香りがふわりと鼻腔を擽った。様々な種類のコーヒー豆が売られている、コーヒーの専門店だった。
モクマは買い物に行こうと誘っておきながら、その目的地については秘密だと言って勿体ぶっていた。
「前に、一緒にコーヒー飲んだだろ。あの豆くれた知り合いにたまたま会ってさ、この店を教えてもらったんだ。久々にあのコーヒーをお前と飲みたいなって思ってね」
「そうでしたか。それは嬉しいお誘いですね」
あの時と同じ豆を見つけたモクマは、さっそくレジへと向かう。その間手持ち無沙汰だったチェズレイは、店内をきょろきょろと観察した。
「喫茶スペースもあるのですね」
商品が陳列されている奥には、テーブルセットがいくつか用意されていた。
「せっかくだし飲んでくかい? おじさんが淹れたのより美味いコーヒーが飲めそうだ」
「そうですね」
レジの店員に告げて店の奥へ向かうと、二組ほど先客がいた。さらにその奥には、無人のテラス席がある。モクマがそちらを指し、ふたりで外へ出た。
着席して程なくすると、淹れたてのコーヒーがふたつ運ばれてくる。
まずは深い香りを愉しむ。そして一口。舌の上に、このコーヒーならではの独特の味わいが広がった。
あの朝飲んだコーヒーよりも洗練された味。けれど、何故だろう。記憶の中にあるモクマのコーヒーの方が不思議と美味しかったような気がした。
繁華街の喧噪から切り離されたようなテラス席には、ゆったりとした時間が流れている。モクマも「こりゃ美味いなあ」と、満足げにコーヒーを味わっていた。
「クリスマスで盛り上がった翌週には、もう正月か。今のミカグラの正月は、昔よりも華やかなんだろうな」
「0時に盛大な花火を打ち上げるようですよ。悪党のアジトの爆発と、どちらが華やかでしょうね?」
「そこ比べちゃう? お前さん的には、今年はどっちがお望みだい?」
「そうですねェ……。昨年は敵アジトの爆発で迎えましたから、今年は花火でも良いかもしれませんね」
世界征服を再開するとは言ったが、ミカグラをいつ離れるか、具体的にはまだ決めていなかった。ちなみにその前の年、チェズレイは正体を隠してルークと共に監獄の中にいた。あれはずいぶんと味気ない年越しだった。
「それがいい。ま、のんびり行こうや。……そういや、祭りの後って言ったらさ」
「はい?」
「世界征服が終わった後って、どうするか考えてるの? 賢いお前さんのことだから、時期も大方予測してるんだろう」
「ええ、まあ」
確かにチェズレイの頭の中では、世界征服のプランがかかる年月も含めて描かれている。その計算が、優秀な武人のお陰で予定より早まっていることも事実だった。
「……あなたはどうしたいですか?」
「俺?」
聞き返されると思っていなかったのか、モクマは目を丸くする。
「うーむ、考えたことなかったな」
世界を征服したいという相棒の壮大な夢に『ラクできそう』などと言って乗っかった男は、相変わらずのんきなものだった。熟考するように、コーヒーを一口。そしてゆっくりと白磁のカップをソーサーに置いた。
「ちょいとすぐには思いつかんが、お前とこうやってコーヒー飲んでられたらいいなって思うよ」
「欲がありませんねェ」
カップに口をつけながら皮肉を返す。
「そうかねえ? 昔よりはずいぶん欲深く、図々しくなったと思うよ。何ちゅうかさ……一番欲しいものはもう持ってるから、その次って言われると、なかなか思いつかんもんでね」
……私、間違えてカフェオレを頼んでしまったのだろうか。
チェズレイは内心で首を傾げた。
どう見ても真っ黒な液体だ。コーヒーはブラックが至高。それがチェズレイの美学だ。このコーヒーも、上質な味わいをそのまま楽しむためにミルクは入れなかった。
それなのに今、口に含んだばかりのコーヒーは、まるでミルクを容赦なく入れたかようだった。甘く優しく、もったりとした口当たり。ごくりと飲み込むと、体中に甘さが巡る。
その味わいも悪くないと思える程には、チェズレイもモクマによって変えられてしまった。
「言うようになりましたね、あなたも」
「お陰さんでね。……あ、そうだ。世界征服が終わったら、隠居して南の国でのんびり~なんていいかもねえ。俺たち、せっせと働いてなくても案外のんびり過ごせるって、こないだの三週間でわかったし」
「……刺激に欠ける生活は御免ですよ」
「あちゃ~。そうねえ、怪我が治って動けるようになってからのお前をおとなしくさせるの、大変だったもんねえ」
モクマの家族が住む南の国は案外居心地が良く、気づけば三週間も居座ってしまっていた。けれどその間、彼の家族への挨拶以外の時間をずっとベッドでの療養に充てたわけではない。……いや、ベッドで過ごしたということには間違いがないのだけれど。
「ですから、そうなさりたいのなら、あなたが責任持って刺激を与えてください」
「そりゃあ願ってもないことだが……その時おじさん、何歳になっちゃってるの? まだ現役で頑張れそう?」
「フフ、どうでしょう」
約束がなくとも、目的を果たしても、モクマはチェズレイと同道する。ゆえにこの先、彼のお陰でさらにチェズレイの夢が思いの外早く成就しても、問題はない。祭りの後の寂しさも、彼がそばで癒してくれるのだから。
……けれど。
チェズレイはカップの中のコーヒーを飲み干し、不敵に笑った。
「ですが、祭りの後には次の祭りが控えている方が宜しいのでしょう? 世界の次は、宇宙征服にでも乗り出しましょうか」
モクマは一度目を丸くした後、「俺の相棒は欲深いねえ」と苦笑いした。