かぞくのとびら(The way to say I'm home.)8.
教師と生徒でもなければ、歳の差もそれほど無い。僕は最強じゃないけれど、悠仁だって宿儺がいない。
僕も悠仁も、10月31日だって普通に仕事してた。ウケるでしょ。お互いそれなりに忙しいし、何より子供達がいるから、二人きりになるのは難しいけれど、悠仁が自転車に乗れない雨の日は子供達をつれて車で迎えに行く。スーパーに寄り、家で一緒にごはんを食べて、キッチンでこっそり指を絡めて、キス。食後にゲームをしながらコーヒーを飲んで、子供たちが眠くなる前に車で悠仁の家へ送る。
それだけの、そこまでの、繰り返し。だけど、確かに穏やかな日々だった。
出来過ぎじゃない?と思うくらいに。
◇
暗くなる時間が早くなり、ついこの前まで冷風を出していたエアコンは暖房になった。気がつけば11月も半ば。外の空気は匂いが変わり、冬がすぐそこまできていた。
今日は金曜日で明日は休み。僕は定時で上がったところ。そして朝からずっと天気が悪い。とくれば。
「悠仁迎えにいこっか!」
ここぞとばかりに3人で悠仁を拾いに行った。
「なあ、運動会、大活躍だったんだって?」
遅めの夕飯の準備を終え、ダイニングテーブルの僕の隣の椅子を引いて座りながら、悠仁が子供達に訪ねた。視界の端で悠仁のパーカーの赤い紐が揺れる。僕の隣の椅子はすっかり悠仁の指定席になっていた。
悠仁の問いかけに、子供たちは待ってましたとばかりに席から身を乗り出し、先月末に行われた運動会の戦果をかわるがわる報告した。徒競走、ダンス、玉入れ、一生懸命に駆け回り飛び跳ねる子供達の姿を思い出すと、目頭が熱くなる。うーん、なんか、歳とったな…。いや、まだ28だけど!
「リレーは一位よ!」
「メダルもらった」
「すげーじゃん!俺も見に行きたかった!五条さん、あとで動画見せてね!」
今日の夕食は僕が「悠仁の鍋が食べたい」とリクエストをした。
毎年寒くなるたびに懐かしくなる、悠仁の鍋。記憶を頼りに自分で作って見ても全然だめ。だからどうしてもどうしても食べたかったんだ。
悠仁は「鍋って言ってもいろんな種類あるじゃん」って、それでも帰りに寄ったスーパーでは僕の予想通りの材料をカゴに入れていた。
食卓の中央で、その具材の入った土鍋が湯気を出し、蓋を上げると中はいい具合に煮えていた。出汁の香りが立ち上る。僕が子供たちの茶碗(とんすいなんてもの、この家には無い)にそれぞれ取り分け、渡しているうちに、悠仁はグラスに麦茶を注ぐ。
「ごじょうさん、みんなのおかあさんや先生たちから超もててたよ!」
僕の手から椀を受け取った野薔薇が言えば、
「超もててた」
恵が繰り返した。
「へえ〜」
「顔がいいって!」
「うん。顔が」
「か、顔だけ?!」
すると悠仁が僕の顔をまじまじと見てから、
「顔以外もいいとこいっぱいあるのにね!」
はい、と麦茶の入ったグラスを差し出す手が優しい。
「悠仁〜〜!」
「うわ、危ねえだろ。つーか、はやく食おうよ」
「そうでした」
声を揃えて、
「「「「いただきます」」」」
子供たちはまっさきに悠仁の鶏団子を口に放り込んだ。生姜の効いたそれは、昔も、きっと今も、おいしい。
「おだんごおかわり!」
「おれも」
「二人とも野菜も食べろよ〜」
早速のおかわりの要求に悠仁が苦笑する。
「そーだよ、来年には一年生になるんだから。悠仁みたいに好き嫌いなくね」
言いながら悠仁のほうを向く。悠仁は二人に鶏団子をよそってあげながら
「そういえば、そろそろ就学前健診じゃね?」
思い出したように言った。
小学校入学前に必ず行なわれる、就学前健康診断。その時の健康状態を確認するのはもちろん、アレルギーや好き嫌いの有無、成育歴、予防接種歴などを確認するらしい。ただのグッドルッキングガイなら一生縁がなかったであろうイベントが、今の僕には山ほどある。
「そうなんだよね。こればかりは僕が一緒に行かないとだめみたい。来週。仕事調整しなきゃなあ」
二人の通う幼稚園の園児は、多少バラけるものの大勢が同じ公立小学校へ通う。
「受験も考えたけど、幼稚園の友達と離れたくないんだってさ。一緒に歩いて行きたいみたい」
「そっか」
「あの幼稚園で過ごすのも、もう半年無いんだって、信じられる?」
大袈裟に聞けば、悠仁は「そーね」と相槌を打ち、
「ここから卒園までが更に早いって、みんな言ってる。保護者も、俺たち先生も」
そう続けた。
「そうなの?」
「きっとあっと言う間に卒園式だよ」
二人と暮らすようになってから、あまりにも目まぐるしく過ぎていく時間に、新手のスタンド攻撃か?と思うことはしょっちゅうで、やることが…多い……!ってモノローグを背負って走り回ることもザラだけど、何、それ以上なの?
「卒園式かあ」
二人が証書を受け取るところを思い浮かべる。うーん……
「なんか、うまく想像できないな」
だって野菜残すし?転んだらすぐ泣くし?夜、一人でトイレに行けないし?
……なんて思っていたら口に出てたみたい。二人から「そんなことない!」とすぐに反論された。
「やさいくらいたべられるもん」
「たべられる」
二人は勇ましく、茶碗の底に残っていたネギや白菜をかき込みはじめた。思わず悠仁と顔を見合わせて、笑う。
「悠仁のほうは?」
「俺?」
「しばらくは今のところにいるの?最強傭兵の虎杖先生は」
まだ僕たちが付き合う前に聞いた、悠仁の武勇伝を思い出して「あは」声が漏れた。悠仁は「も〜誰から聞いたのそれ」と恥ずかしそうに後頭部を掻いた。
「どこにでもいる普通の先生なんですけどね、俺……」
「ハァ?こんな可愛い先生どこ探してもいねーよ」
「そんな話だった?!」
恵と野薔薇が「どんな話?」という表情で僕たちを交互に見た。悠仁が咳払いをする。
「……で、何だっけ?俺の仕事?」
「そうそう」
悠仁は豆腐を頬張った。「はふ」だって、かわいい。
「今の園の契約、1月末までなんだよね、この前みたいな怪我の先生の代打だったから中途半端で……。だから2月以降はどうしようかなって感じ」
先生なんてよっぽどのことが無い限り、移動や退職は年度末や精々学期末だと思っていたけれど、悠仁のようなフリーランスならそう言うわけでもないのか。
それなら。僕は悠仁にある提案をした。
「それなら、ちょっと気が早いけど、卒園式、悠仁も来たら?」
悠仁はネギを咥えたまま「ふぇ?」と顔を上げた。ネギはすぐにごくんと飲み込んで、
「俺も?」
「実は親戚で〜とかなんとかうまいこと言ってさ。二人の晴れ舞台、見てやってよ」
僕と悠仁を引き合わせてくれた二人の成長を、悠仁と一緒に祝えたら。こんな嬉しいことはないでしょ。
「いたどり、そつえんしきくるの?」
「くるのか?」
僕たちの会話に気づいた子供たちが身を乗り出し、割って入ってくる。
「そつえんしきってね、うた、うたうのよ」
「ひとりずつ、しょうしょもらうって、せんせいがいってた」
二人同時に「くる?!」と迫られ、悠仁は
「うーん」
少し悩んだ様子で、
「考えとく」
今度は団子をぱくりと口に入れた。すぐにもうひとつ。
「あは、相変わらずハムスターみたいに食べるね」
地下室で一緒に食べた鍋を思い出して、
「懐かしいなあ」
そんな言葉が溢れて、手元の茶碗に落ちた。
「いたどり、はやくゲームやろ!」
「ごじょうさんも、まだおわんないんですか」
「ちょっと待ってて〜」
リビングからの子供達の誘いに応えながら、スポンジで土鍋を洗う。その間に悠仁は食器を食洗機へ。いつのまにか定着した役割分担だった。あまりにも自然に二人並んで夕食を片付けていることに、つい顔が緩む。
「ねえ悠仁」
「ん?」
もっと一緒にいたい。そう思った。
「今日泊まっていけば?この子たちも明日休みだし」
「エッ泊っ」
「あ!いや!変な意味じゃなく!夜更かししてゲームとか!!」
下心が無いといったら嘘になるけれど、こんな状況でそういうことが無理なのもわかっている。ただ、純粋に、少しでも長く過ごしたかったから。
だけど、悠仁は「あー……」と言い淀んでから
「せっかくだけど……」
ぎこちなく答えた。今日の楽しそうな様子からして、断られるとはあまり思っていなかった僕は、つい「え!」と変な声を出してしまった。が、がっついてると思われた?
「ごめん……」
下を向く悠仁に、「み、見たいテレビでもあった?テレビっ子だもんね」と僕は努めて明るく、ショックを誤魔化す。
「そーじゃねーけど……あ、人んちだと、寝つき悪いから…?」
「嘘だあ〜どこでも寝れるじゃん。ほら、確か東名高速のアスファルトの上でも寝れる!って……悠仁?」
悠仁は神妙な顔つきで食洗機のドアを閉め、そのままスイッチを押した。
「どうし「……そういうの」
「え」
「俺がどこでも寝れるなんて、なんで知ってんの?」
かっこ悪く食い下がったことに引かれたのかと思ったけれど、そうじゃないのはすぐにわかった。
「五条さんさ、ときどき俺を見ながら誰か思い出してるだろ」
「ゆ」
うじ、と声を出そうとした喉の奥が冷える。
「ほんとはずっと気づいてた。今日だって、好き嫌いないって言ったり、テレビっ子だって言ったり、俺、そんなの言ったこと、ねーよ?さっき、俺が飯食ってるとこ見て懐かしいって笑ったろ。あの顔、なんだよ……」
水がシンクを叩く音がやけにうるさい。食洗機の中の水音も。
「五条さんが俺のこと好きだって言ってくれて、俺と同じ気持ちで、嬉しかったよ」
今にも泣きそうな顔の悠仁が、僕をまっすぐに睨んでいた。
「なあ、俺の向こうに誰見てんだ?昔の恋人?俺はそんなにその人に似てた?鍋は……ちゃんと作れてた?」
思い過ごしだよ、と言うには心当たりが多すぎた。
だって、僕はずっと、お前を。
「ごめん、今日は帰る」
悠仁は僕の横をするりと抜け、部屋の隅に置いていた荷物を手に取りリビングを出て行った。
すぐにひきとめて、何か言わなきゃ。
たけど、何かって何だ。
僕は動けずに、玄関のドアが閉まる音を聞いていた。
「ねえ」
振り返ると、リビングにいたはずの恵と野薔薇が僕を見ていた。
「ちょっと、いたどりになにしたのよ」
「けんかですか」
流れ続けていた水をようやく止めて、手を拭く。
「なんでも、ないよ……」
「いたどり、でていきましたけど」
「おいかけないの?」
僕は強く目を閉じた。追いかけようにも子供たちを置いて家を出るわけにはいかない。僕はもう先生じゃない。二人は幼い子供で、僕は親なんだ。
「ばかじゃないの」
野薔薇の呆れた声だった。随分と大人びたそれに、ハッとする。
「はやくいったほうがいいですよ」
見ると隣で恵も頷いていた。
「じゃないと、わたしたちがいくからね」
「こどもによみちをあるかせるきですか」
「な……」
なんだよ、いつもはただの生意気な子供のくせに。野菜だって残すくせに。転んだらすぐ泣くくせに。夜、一人でトイレに行けないくせに。僕がいない日は寂しそうにしてるって、部下やシッターから聞いてるんだぞ。それなのに、こんな。こんな。
僕は気がついた。
気がついたと言うより、思い出したって方が正しいかもしれない。
悠仁のことを想っているのは、僕だけじゃないということ。それから、僕もちゃんと想われているということ。
いつだったか悠仁が言った「どこからどう見ても、家族だよ」その言葉が今になって身に沁みた。
ああ、確かに僕たちは最高の家族で、そして二人は、悠仁を廻る最強のライバルだ。
「すぐに誰か寄越すからそれまで絶対外出たりすんなよ!!鍵も開けないこと!あと野薔薇、バカって言うのははやめなさい!」
はいはい、という二人の返事を背中で聞きながら、僕はスマホとキーケースだけを掴み、家を飛び出した。
The way to say I'm home.