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ここは世界の東の果て。正確には日本という国のシンヨコハマという街で、今は新暦二〇二二年のクリスマス前。野犬に喰い破られたはずの腹は塞がっていて、クラージィ自身は吸血鬼となっていた。いったい何が起きたらそうなるのか。
わかっているのは『誰かが噛んだ』ということだけ。差し出された鏡の中には背後の壁しか映っていなかった。コツを教わってようやく映ったクラージィの顔は、赤い瞳と鋭い牙を備えていた。
「な、なるほど、それでいまも私は生きている、と……」
「で、『親』……貴方を噛んだ吸血鬼は?」
「わからない」
未明の街をさまよい、薦められるままに訪れた場所でクラージィが出会ったのは、あの日出会った『悪魔の子供』が立派に成長した姿だった。彼はあの日と同じ笑顔とクッキーでクラージィをもてなし、ドラルクと名乗った。あの日と違うのは、ドラルクの隣に丸い奇妙な動物がいることだ。名前はジョン。
ドラルクはあの日の客人を覚えていないようだった。子供の頃のほんの一夜だ、思い出せなくても無理はない。クラージィは自分の身元を詳細には語らなかった。
それでも話を聞くうちにクラージィの置かれた状況を知ったドラルクは、当面の支援を申し出た。クラージィは当然断った。ドラルクはすぐに言い返してきた。
「日光をしのぐあてもないくせに遠慮しない! ノーブルなドラドラちゃんのノブレス・オブリジュとでも思いなさい。今日はもう夜が明けるから、夜までここにいて貰うことにして……服は明日揃えるまでロナルド君のを借りて……」
有無を言わさぬ態度だった。こうしてしばらくの間、クラージィはドラルクの客人となった。
クラージィを何より驚かせたのは、ドラルクが人間と一緒に暮らしていることだ。吸血鬼退治人のロナルドと、床から出てくるヒナイチ。
ロナルドが事あるごとにドラルクを塵にする様子を見てクラージィは最初こそ愕然とした。だが良く見ていると、殴って言い合ってのやり取りは、むしろ年の近い兄弟がちょっとした喧嘩をするのに似ていることがわかってきた。要するにドラルクが弱すぎるのだ。それにしても神よ。クラージィは心の中で訴える。この青年、ペースが速すぎます、神よ。
ヒナイチのほうは、ドラルクが焼き菓子を作ると出現する。「その言い方、レアモンスターのポップ条件みたいですな」とはドラルクの弁だ。クラージィには意味がよくわからない。ヒナイチはまだ少女と言っていい歳のはずだが、この街の警官として吸血鬼専門の部隊にいる。警官が床から出てくる理由については、まだ聞けていない。
吸血鬼退治人と、吸血鬼専門の警官。二百年前にクラージィの就いていた仕事がかたちを変えて残っているようで興味深い。
ロナルドとヒナイチは、ドラルクからクラージィの状況を聞くと、まず市内の各所にクラージィを連れて行った。最初は妙な仮面をつけた医者らしき人物のところ。その後は市庁舎、警察。そうして数日の間に、この名前以外は身元不明の吸血鬼が制度上問題なくシンヨコに滞在できるよう各種手続きを片付けてしまった。
ドラルクは通訳としてクラージィに付いていた。ジョンも一緒だ。深夜の警察署、廊下のベンチに座りドラルクは言う。
「犬仮面が違うって言い切るまで、貴方のこと、どこかの吸血鬼に変な催眠をかけられたんだと思ってたんですよ。でも着ていた服の生地やつくりは本当に当時のものだったし。面白いね、ジョン」
「ヌー」
ドラルクはジョンを胸に抱えて顔を見合わせた。
「会ったばかりでこんなにして貰って、いいのだろうか」
クラージィが恐縮して言うとドラルクは笑った。
「その話は最初にしたでしょうが。それに、二百年の時を超えた客人とは、面白そうだ。貴方も同胞なら、わかるでしょ? 何事も面白くなくては」
「うーん……それにヒナイチ嬢もロナルド君も、仕事としてはむしろ我々を――」
「ハイそれ二百年前のセンスですぅー。貴方や私が吸血鬼だからと言って、出会い頭に杭をブッ刺すような時代じゃないんですよ。ここでは、吸血鬼も人間も、同じ街で暮らせるのです」
「なんと……」
クラージィにとってはすぐには信じがたい話だった。
「ところで貴方、これからしたいことは、ありませんかな?」
「したいこと?」
「『親』を探しに行くもよし、ほっといてフラフラするもよし。祖国へ帰るもよし、この街に落ち着くもよし。その前に吸血鬼としての最低限の知識とか、この時代の常識とか、いろいろ覚える必要もありそうですがね」
「吸血鬼としての、最低限の……」
「最初うちに来たとき、朝方にカーテン開けようとしたでしょ? ジョンがローリングアタックかまさなかったらどうなっていたことか。新たな生の初日に過去の習慣でうっかりカーテン開け死なんてとんだ語り草だ!」
「面目ない。覚えることは多そうだ」
わかればよろしい、とドラルクとジョンは頷いている。
「私を師匠(せんせい)と呼んでも良いですよ。それとも、年齢的には同期ですかな?」