舌品料理「こんにちはー。宗雲さんいらっしゃいますか?ちょっと渡したい資料があって……」
夕方ごろ、まだ開店前のウィズダムに行けば目当ての人物はなく。代わりに颯さんがひらひらと手を振りながら「ノアさんだ!いらっしゃーい!」と屈託の無い笑顔で出迎えてくれた。
「宗雲に用事?ごめんねー、もうちょっとしたら戻ると思うんだけど」
「そうですか……では、そちらの席で待たせてもらっても?」
「もちろん!あ、僕開店準備の続きしなきゃ。お構いできなくてごめん」
「いえいえ、むしろ僕こそ忙しい時間に来ちゃってすみません。準備、なにか手伝うことありますか?」
「ノアさんはお客様だもん、だいじょーぶ。それじゃっ、ゆっくりしてて!」
文字通りはやての如く駆けていく颯さんを見送りつつ、カウンター席に座る。僕には少し高すぎるくらいのその椅子は、座ると余裕で足が浮く。ラウンジから見えるビル群と沈みゆく夕陽をぼんやりと見つめている。さすが高級ラウンジだなあ、なんて思っていたからか、はたまた別の理由か―――――僕は、近づいてきた人物に全く気付かなかった。
「おい」
「うわあっ!?………なんだ、皇紀さんか!こんにちは!」
心臓が早鐘のようにがんがんどんどんと音を立てる。野生動物のような彼は、高い椅子に座ったままの僕をじっと見下ろす。
「あの……何か?」
「……………」
「…………えっ、皇紀さん!?」
皇紀さんは―――――おもむろに、僕の頭を撫でた。あまりにも突飛な行動に、早鐘は騒音なみに体中を駆け回る。そういえばこの前阿形さんと見た映画、江戸時代の火消しが主人公だったな。火事だ火事だーァ、と江戸中に響き渡る声と鐘の音。危険を知らせる音。まさにそれが僕の中で鳴っている。きっとはた目から見たら「頭を撫でられている少年」みたいな光景だろうに。
「ええと………皇紀さん?何か言ってくれないと、僕ちょっと不安にな―――――」
「口開けろ」
「えっ?………むぐっ!?」
反射的に口を開けてみれば、皇紀さんの美しい顔がいっぱいに広がる。美しい白銀の睫毛が伏せられた瞬間、頭の中で「あ、睫毛長いな」と思った。
思ったと同時に、僕は皇紀さんにキスされていた。
「(………え!?え、え、え~~~~~!?!?)」
目が白黒する。顔やら耳やらが真っ赤になっていく。僕があわあわしているうちに彼は蛇のように口内にするりと侵入し、弄る。上顎、歯列、そして舌を絡められ、段々と頭がぼんやりしてきた。
「(やばい―――――これはなんか、やばい………!)」
手を伸ばしてもいいんだろうか。震える手で皇紀さんのジャケットに手を伸ばそうとした瞬間―――――――ふいに、解放された。
「ぷはっ……!な、なにして、」
「舌は厚めだな。」
「――――――――なんですって?」
「厚めで短め。可食部は少ないが噛み応えはありそうだな。虫歯は無し。唇は薄い」
「え、ちょ、あの、こうきさ――――――」
「あーーーーーーーッ!皇紀さんがノアさんに手出してるーーーー!!!」
いきなり聞こえてきた大声に再度背中をピン!と伸ばす。開店準備中だったはずの颯さんが大股でずんずんと近づいて来て、皇紀さんに顔を近づけた。
「皇紀さん、それダメだって宗雲に言われてたじゃん!怒られちゃうよ!」
「見知ったヤツならいいだろ」
「見知っててもダメ!」
「あ、あの!すみません話の流れが全くわからないんですけど!どうして僕はキスされたんですかね!?」
「お前の食い応えが気になっただけだ」
皇紀さんはよくわからない事をしれっと言う。未だ頭にハテナマークが浮かぶ僕に対し、颯さんは溜息を吐きながら「つまりね」とフォローした。
「皇紀さん、最近舌に拘ってて。」
「し、した」
「牛タン以外にも舌料理はあるのか、他の動物の舌はどんなもんなのかって気になっちゃったんだよね。ね!皇紀さん!」
「………」
「無視!?ひどい!」
「ええと―――――――つまり、あの。」
あれって触診みたいなもんですか、と僕は聞いた。
「………俺は医者じゃねえ」
――――――つまり。僕に対してのそれは特になんの感情も無かったということで。
「ぼ………僕のファーストキスが………!」
「ええっ、ノアさん初めてのちゅーだったの!?皇紀さん、責任取ってあげなよ!」
「今度タンシチュー作ってやるから喚くんじゃねえ」
「そういう問題じゃない!!!!」
「ノアさん、安心して。ウィズダムメンバーみんなやられてるから」
「フォローになってないよ颯さん」
「一番可食部があるのは浄だった」
「聞きたくなかった………あれ、もしかして頭撫でたのも『頭蓋骨の形を確かめるため』とか言いませんよね?」
「……………ボーンチャイナ、」
「織田信長じゃないんですよ!!骨を食器にしようとしないでください!!」
――――――――しかしノアが帰宅したのち、颯はふと思った。
「(………僕ら、頭は撫でられてないな………?)」
わかりにくいけどお気に入りなんだろうか、彼は、彼にとっての。