占う以前の欲の発露「―――――――――――うわあっ!!!!!!」
がばりと起き上がる。寝起きにも関わらず僕の心臓はばくばくと音を立てていて、ぼんやりと月明かりを受け止めるカーテンだけが光源となる。枕元の時計を見てみれば、まだ午前三時。そこでようやくホッと息を吐いた。よかった、まだ眠れる。
「(でも……なんか、よく寝たのに疲れたような……)」
「睡眠」という、体を休めるべき最大のタスクを終えたにも関わらず、僕の心身はすっかり疲労しきっていた。――――――――多分、起きる前に見た「あの夢」のせいだ。あの夢のせいで、僕は今こんなになってて、そして――――――
「…………………」
パンツが、嫌な濡れ方をしている。
はたちの男が夢精をしたことへの情けなさで、僕は大きな溜息を吐いた。
「――――――それじゃ、こちら。頼まれてた資料です」
「ああ、わざわざすまないな。明日確認させてもら―――――――………」
宗雲さんはジ、と僕を見る。僕は昨日の今日なのでドキリとする。正直ウィズダムに顔を出すのも気まずかったレベルだ。でも当人は料理の仕込み中だろうし、会うとしても他の三人だけだろうし、と思って意を決して開店前に足を運んだのはいいが。
「…………目の下に隈が出来ているな。昨晩は眠れなかったのか?」
「あ――――――気づきましたか」
「気づくも何も。その様子だと、執事にも相当心配されたろう」
仰る通りです、と返しながら今日のレオンの様子を思う。完全に寝不足の僕を見て、うるうるとした瞳で「今日はお休みになって下さい!」なんて懇願してきたレオン。なんて良い執事なんだろう。でもごめんなさい、レオン。僕はものすごくしょうもない理由で眠れなかっただけなんだ。そのあたりはぐっと飲み込んで、平気な顔して仕事をこなした。
「体調管理もエージェントの仕事だろう。ライダーたちの健康に気を配る前に、お前が体調不良になってどうする」
「返す言葉もありません……」
「………で?眠れなかった理由でもあるのか」
「え」
宗雲さんは僕を見つめながらそんなことを言う。この人は厳しいけれど、なんだかんだで優しい。その優しさについ甘えそうになった僕は、おずおずと口を開いた。
「その――――――変な夢を見てしまって」
「夢?――――――――――ふむ。そうか」
宗雲さんはその綺麗な指を口に添えて、考え込むような素振りを見せる。僕は昨晩とは違うドキドキを感じながら、「あの、…………宗雲さん?」と問うた。
「………夢占いにも少々、心得がある。お前が話したければ、話せ」
「ゆ、夢占い?それって、どんなことがわかるんです?」
「そうだな。夢の内容によっては深層心理や今現在抱えている不安や願望、あるいは将来どうなりたいか・どんな未来が待っているか―――――などを占うことができる」
「深層心理――――――」
―――――――――ぼかせば、大丈夫かな。
正直、僕はこの夢を自分の中に仕舞っておくにはあまりにも刺激が強すぎて、あるいは重すぎて持て余してしまうと思っていた。………ちょっとだけなら。概要だけなら。
「ええと……じゃあ、かいつまんで。僕には――――ええと、気になる人がいるんですが」
「ほう?」
「あ!と言っても恋愛的にとかそういうのではなく、あくまで興味がある、みたいなそういうやつで!」
「続けろ」
「はい」
――――――――夢の中の人物は、服を脱いでいく。美しい顔をしたそのひとは、体つきも美しい。僕はそれを、じっと見つめている。
そのひとは服を脱ぎ終わったあと、己の体に爪を立てた。
上から下へ、爪を這わす。
するとそこから血がどくどくとあふれ出して来た。白い肌を血が滴り、汚した。
僕はそれを見て、唾を飲み込む。
そのひとはピアノを弾くかのように体の上に指を遊ばせて、そうして――――――見せつけるように、体を開いた。
「骨を、見せつけられたんです」
「――――――――骨」
そこには美しい肋骨があった。美しくそそり立つ背骨があり、きれいな形をした胸骨があった。
僕はそれに触れようとして、目が覚めたのだ。
宗雲さんはしばらく黙っていたが、やがて口元の指を解いて「骨が出てくる夢というのは」と続けた。
「体の重要なパーツである――――――信念や基礎といった意味合いを持つ。しかし『骨を見せつけられる夢』か。なかなかレアなケースだな……」
本気で夢占いをしてくれようとしている宗雲さんの横顔を見ながら、大変申し訳なく思ってしまう。でも、もしこの夢に精神性や不安の答えみたいなものがあるのなら教えてほしい―――――むしろ、「それを理由にさせてくれ」という思いさえある。だって、だって―――――――
「おい」
びくん、と肩が震えた。おそるおそる後ろを向けば――――――
「皇紀か。どうした?」
「今夜出す前菜についてなんだが―――――まあ、それは後でもいい」
「え」
皇紀さんはつかつかと靴を鳴らして僕の元に歩み寄り、ひょいと首根っこを掴んだ。
「お前、随分面白ぇ話してるな。来い」
「ちょ、僕用事を思い出したので帰りま―――――」
「二度も言わすな。時間は取らせねえ。」
「あ、」
視界の端で宗雲さんが何かを言いかけて、やめたのがわかる。どうして止めてくれないんだ宗雲さん。いつもだったら止めてくれるタイミングじゃないのか宗雲さん。
ちらり、と皇紀さんの横顔を見る。天使のような顔に悪魔のような笑みを浮かべているのを見て、宗雲さんが止めない理由をうっすらと理解した。悪いことではないと、踏んだのだろう。
――――――――――僕にとってはだいぶ、最悪なんだが。
「―――――――――で?」
「で、とは………」
「しらばっくれんな。宗雲と夢の話してたろ?俺にも聞かせろ」
「あれで全部なんですけど」
「嘘吐け」
僕はいわゆる壁ドン――――――足でやられてる時はどういう言い方をするのが正解なんだろう―――――をされながら、彼と相対していた。こんな美しくてきれいな人に壁ドンなんかされたら、たいていの人は心躍りときめいてしまうだろう。だけど、今の僕にとっては本来の意味の壁ドン………というか、「壁際に追い詰められて恫喝されている」状態である。泣きたい。
「……気になるんですか?夢の話なんて……」
「言え」
「はい」
僕は、さっき宗雲さんに話した内容をそのまま話す。そうして、さっき宗雲さんに言っていなかったことを話す。
「その、骨が。すごく美しくて」
「…………………」
「夢だから、骨がわかりやすく白いんです。白くて強くて、カッコよくて、綺麗で。夢の中の僕は、その骨に触れたくなるんです。どれだけ固いんだろう、滑らかなのかな、触り心地はどうなんだろう、って。」
「――――――――――…………」
「臓器よりも僕は、骨に夢中でした。だって、その。そのひとの肌の白さと同じだったか、ら――――――――」
「―――――――――――っふ、くく」
僕は顔を上げる。
足を降ろした彼は、喉の奥で笑っていた。
「あ、あの、皇紀さん」
「―――――――で?お前はそれ見て――――――夢精でもしたかよ」
「!」
どんぴしゃで答えを出されて、僕はかあと顔が熱くなる。
いや、だって。骨を見せつけていた「そのひと」がそれを問うか、と。
僕は性癖を告白させられているような気持ちになって、恥ずかしさとみじめさで声が震えた。なんなら視界も滲んでいる。
「――――――――し、ました………」
「…………へえ」
皇紀さんの顔がぐい、と近づけられる。今にも舌なめずりをしそうな、獲物を見つけた肉食獣のような瞳をした皇紀さんは耳元で囁いた。
「キレイなもん見て、興奮したのか――――――」
「し、ました」
「触れば、満足だったか?」
「………わか、りません。むしろ」
「むしろ?」
「触っちゃったら、それ以上触れたくなっちゃうかもしれない」
骨はいわば砦だ。臓器たちを守る強い盾。きっと僕はあの美しい骨に触れたら、中にある内臓に、腸に、―――――心臓に、触れたくなってしまうだろう。
そんなことを言葉を選びながらぽつぽつと話せば、皇紀さんは珍しく愉快そうな顔で笑った。
「――――――イイ。」
「え、」
「イイ。ツラを褒められるよりずっと好い。ああ―――――クソ、羨ましいもんだ」
僕が言葉を失っていると、彼は今度こそ舌なめずりをして、僕の顎をかたちの良い指で掴んだ。
「なあ、次は俺を夢の中に出せ。俺だったら、骨の隅々まで、体のナカまで触らせてやるよ」
そう言うと皇紀さんはぱっと手を放して、踵を返す。きっと宗雲さんの所に行ったのだろう、バックヤードには僕だけが残されて、やがて僕はずるずると壁ぞいを落ちるように貼って、やがてしゃがみこんだ。大きめの溜息を吐く。
僕は皇紀さんの体の中を見て、それに触れたいと思っている。
「(服でやめとけよ………………)」
きっと体の中身まで見せられたのは、元々の彼に対するイメージからかもしれない。彼の言う解体というワードが夢の中にも出張ってきたのだ。いや、こう思うと皇紀さんのせいみたいでイヤだな。占いをしてもらうまでもない、どう考えても下心と、あこがれが混じった淫夢だ。もし今夜、「それ以上」の夢を見たら僕は、どんな顔をして彼に会えばいいんだろうか?
一人きりのバックヤードで、「あれ!?ノアさんがいる!?」と颯さんに発見されるまで、あとちょっと。
「おや皇紀。今日は随分上機嫌だね。レディに褒められでもしたかい」
「別に」