(水麿)耳も心も奪ってしまって 清麿には最近お気に入りのテレビ番組がある。今夜はその放送日だ。
ドラマではないのだが、途中にそのような描写も挟みつつ歴史を解読していく趣旨の番組で、ナレーターの声が低く響くのが心地よく気に入っている。内容も日本史を主に扱うので本丸の仲間たちの顔がよぎることも多く、それもあり毎回楽しみに見ていた。
始まる時間の五分前にテレビをつけると、日誌を書いていた同室の水心子がわずかに肩を跳ねさせた。
「……清麿、今日もあの番組?」
「うん。ああごめん、うるさかったかな」
日誌に向き合っているのにテレビの音なんて毒だろう。そう慌てて清麿はヘッドホンに手を伸ばした。しかし水心子は焦ったように声を上げて、そういうわけじゃないんだと口にしてまた黙ってしまう。
「……そうなのかい? 僕はヘッドホンでいいんだよ?」
「いや……それも悔しいからいい。そのままでいいよ」
首を傾げる。悔しいから、とはどういうことだろう。問いかけようとした時、番組開始のテーマソングが流れ出した。
「あ、始まった」
二人には沈黙が訪れるけれど、部屋の中にはテレビの音で満たされるので特別気にはならない。黙っていたほうがいいだろう、水心子も日誌があるのだから。
ナレーターの声が今日も響く。きれいな声だ。低い音で耳朶を撫でられるようで心地いい。今日の題材は新撰組のようだ。本丸の新撰組刀たちが広間のテレビ前を占拠していたのはこれを見るためだったのかもしれない。元主たちの生きざまだ、そりゃあ大きな画面で見たいだろう。
明日もきっと盛り上がっているだろうし、話に混ぜてもらおうかな。そんなことを思っていたら水心子が日誌を閉じる音が聞こえた。やっと書き終えたのだろうと思い、労いの言葉をかけようとそちらを向くと彼がじっとこちらを見ていた。
「お疲れさま。どうしたんだい?」
「うん……少し、そっち行っていいか?」
「もちろん。一緒に見ようよ」
そう笑うと彼は複雑そうな顔をした。それでも座布団を持って寄ってくるので、傍に来たいと思っていてくれたんだな、かわいいなあ、と思いながら横に座る気配を感じまたテレビに視線を戻す。近藤勇の生い立ちが流れていた。一時間程度の番組だというのにこんなに丁寧になぞってくれるのだ。もしかしたら前後編の前編なのかな、二時間特番だったりしたかな、と思った時、水心子がまた問いかけてくる。
「……清麿、抱きしめてもいい?」
きょとんとそちらを見る。瞳がなんだか寂しげな色を宿していて、彼の甘えモードに気づき笑って腕を広げた。
「ふふ、今日は甘えん坊さんなのかな? いいよ、おいで?」
抱き合い、彼の肩越しにテレビを見る。水心子の腕の力は強かった。彼はいつも格好いいけれど、甘えモードの時はとても愛らしい面も見せてくれる。それが清麿は好きだ。
番組の再現ドラマの中で、局長が副長をからかい笑いが起きる。その様子がいつも本丸で見る長曽祢と和泉守そのものに見えて、清麿もついつられてしまった。
「ふふっ」
ふいに、水心子の肩が強張る。あれどうしたのかな、と思った時、また彼の声が響いた。
「……清麿、触れていい?」
え、と間抜けな声が漏れた。触れてもいいか。それはわざわざ聞くということは、なにか夜伽の意味のあることなのだろうか。
「え、っと……今、テレビを見ていて……」
「……別に、触れるだけだ。触れられてても、清麿はテレビを見たいなら見ていればいいんだから問題なくないか?」
「んん……? そうなのかな……」
なんだか少し違和感を感じつつも、まあそれならいいかと好きにさせながら視界をテレビに戻した。
彼の手のひらが背筋を伝う。テレビでは新撰組結成のシーンが始まった。水心子の手が尾骨の周囲の窪みを撫で始める。低音のナレーション。触れ合う胸の鼓動の音。水心子の息遣い。
次第に、脳がテレビの情報を拾わなくなり、思考がぼやけてくる。全身が水心子の手の動きを意識し出して、その指に臀部を撫でられて堪らず声が漏れた。
「んっ……」
そうして慌てて口を覆う。けれどその手は、彼に外された。
「どうして隠すんだ?」
「だ、だって……」
「……今は、僕を感じるの、嫌?」
身体に隙間が空いて、目を丸くして彼を見上げた。
拗ねているくせに大人びた、獣の顔がそこにあった。
「……水心子?」
「清麿、言ってるもんね、なれーしょんの声が好きだって……その声のほうが聞いてて気持ちいい? 僕と話すよりそのほうが好き?」
「水心子、どうしたの? 何を言って」
「妬いたんだよ」
痺れを切らしたように零される声。目を見開く間にまた両腕に抱き締められた。きつく抱かれて、彼の吐息が首筋に当たる。
「……君が好きなことなら、理解して見守るべきなんだ。分かっている……けど、でも、この時間がどうしても好きになれないよ。清麿が僕じゃないものを見て、聞いて、心地よさそうにしてるの、寂しいし悔しいし心が破裂しそうになるんだ……ねえ」
──僕の声よりも、なれーしょんの声のほうが好きなの?
沈黙が落ちる。テレビはつけっぱなしのはずなのに、もう音も声も脳には入ってこなかった。
「……ばかだなあ」
ぎゅうと抱き返すと彼の息が潰れた。微笑んで背をさする。
「ごめんね、放っておいてしまって……今からいっぱい、水心子を感じさせてくれる?」
「きよまろ……」
「水心子がいちばんだよ。声ももちろん水心子に敵うものなんてないよ……ね、僕の世界一大好きな声で、いっぱい名前呼んでほしいんだ」
お願い、と掠れた声を、彼の唇に掬われる。合わせた口の中で舌が絡み合った。
「きよまろ」
低く掠れた声。耳朶を指先で撫でられ、濡れた熱っぽい瞳に見つめられる。──ばかだなあ。そして、僕もばかだったね。
君にこうしてもらう時間よりもいい時間なんて、この世には存在しないんだ。
「きよまろ……」
そっと身体が倒れていく。番組が変わっても気づきもしないくらい、全身を彼に満たされて心が震えた。
「ずっとなれーしょんに妬いていたの?」
やっと布団に収まり尋ねてみると、彼はぐうと唸りながら頬を染め掛け布団をかけなおした。
「……清麿が、素敵な声だって言ったから……実際番組中の清麿はうっとりしてるし……僕の声は低いほうじゃないから、物足りないのかもって……思って……」
そう言って悲しそうな顔をする彼の鼻の頭に口づけてやる。それから笑ってしまった。
「自覚症状なし、かあ」
「へ……? ど、どういう意味だ?」
「君ね、えっちなことしている時、あのなれーしょんなんかよりずっと低くて色っぽい格好いい声しているよ?」
それが僕の一番好きな声、と付け足してやると、彼は口を開けたまま真っ赤になった。それを見て腹を抱える。
「……もう、本当に、君ってやつは……」
自分自身の魅力に鈍感で、だから他人にはやきもちを妬きがちで。けれどそれを素直に僕だけには零してくれるのだから、そんな相手以上にかわいい存在なんているわけがないのにね。
「明日、長曽祢たちと話す口実ができたと思っていたのになあ」
「ごめん……」
「でもそれは潰れてしまったから、だから、ね」
彼の浴衣の袖をくんと引き、上目遣いに首を傾げた。
「……水心子が、僕とお話ししていてくれるかい?」
こんなことで君は頬を紅潮させて、嬉しそうに笑って頷いてくれてしまうのだから自分たちはまったく現金だ。相手のことが好きすぎるあまりやきもちも妬く。
けれど、それが最高にうれしくて。
翌朝、朝餉時に盛り上がる新撰組刀のテーブル。それを素通りして水心子の隣に座った。
「きよまろ、身体大丈夫?」
小声で窺ってきてくれる君に、とびっきりの笑顔で返す。
「大丈夫じゃなかったとしたって、またしてね!」
ねえ、僕たちってこれでいいんだと思うな。幸せで満たされた心で、周囲に聞かれていないかと警戒する君を笑いながら見ていた。