2025-04-07
縁があって身を寄せた傭兵隊はハイランドによりもろくも崩れ去った。砦は焼かれ、部隊の者はそれでもある程度の秩序をもって退却していく。人数が多すぎると目立つから、と部隊長の命に従って少しずつ部隊の人数は減って行く。キニスンもまた、身の振り方を決めなければならなかった。
道々に用意された、小さな森に隠された小屋の前でキニスンはまた犬笛を吹いた。やはりなんの返事もない。砦陥落の混乱でシロとはぐれてしまって、一昼夜が経とうとしていた。時折、煤だらけの傭兵たちが小屋に立ち寄るからそのたびに彼らへシロの行方を尋ねるのだが、芳しい答えは返ってこない。
彼らには何の責任もないのに、申し訳ないと眉を寄せて頭を下げてくれるのだからお人よし達ばかりだ。
面識こそなかったが、彼らが砦を構えてから明らかに密猟者の数は減っていた。リューベの村人からの評判も上々で、キニスンとしてもそこにあるだけで助かっていた。タイラギが彼らのところで世話になっていると知った時も単純に、自分も役に立てるなら、と思ったのだ。
だからこの選択に後悔はない。シロだってそういうはずだ。
もう一度、今度は慰みのように笛を鳴らした。
「キニスン」
小屋の中で傭兵たちと何事か話していた彼らの弓兵隊長が灯を持って外に出てきた。森の中はすっかり暗く、彼の持つ明かりだけがほのかに闇を照らしている。
「どうしました?」
「そろそろ俺はここを発つつもりなんだが」
傭兵たちが逃げるルートは多分いくらかあって、ここはそのうちの一つなのだろう。目くらましをしながら目的地まで逃げおおせるだけの算段が着いたのだ。
キニスンは弓と矢筒を背負いなおした。
「分かりました。僕も出ます」
「リューベへ戻るのか?」
キニスンは傭兵隊に参加したわけではない。リューベへ帰っても誰にも文句は言われない。シロを探すならそうすべきだと弓兵隊長は考えているのかもしれなかった。
「いえ、僕もミューズへ行きます」
ランプの弱い光の中でも弓兵隊長が意外そうに瞬いたのが見えた。キニスンはわずかに胸を張る。
シロは賢いキニスン自慢の相棒だ。自分が何をすべきか、あの白い狼犬は人間よりもずっとよく分かっている。
「大丈夫ですよ。シロはきっと戻ってきます」
「それは何か根拠があっての事なのか」
慰めよりも、もう少し冷徹な事実確認のように聞こえた。自分たちの力量を正確に図られているような感覚。キニスンは笑ってみせた。
「はっきりとした根拠があるわけではありませんが」
シロは優秀な猟犬だが、同時に人にも良く慣れている。キニスンと共にいなくても、誰かのそばにいる判断をするだろう。砦ではぐれた以上、そばに居る誰かは傭兵部隊の一員である可能性は高い。
「傭兵の方たちは、シロを邪険に扱ったりしないでしょう」
犬や猫がのびのびと広場でくつろいでいた。そう言えば、弓兵隊長は困ったように眉を寄せる。それこそ子供のように分かりやすい表情に、キニスンは笑みを深くした。
「傭兵の方たちはミューズに向かいます。シロはきっとそこまで着いてきてくれますから」
「リューベに帰ってしまうという事はないのか」
「シロの方もきっと僕を探していますから」
キニスンがシロを探すように、シロもキニスンを彼なりの理屈で探すだろう。その中に、リューベに戻るという選択肢がない事を、キニスンは理屈でなく知っていた。
「リューベに戻っても、僕らに出来る事は何もありませんから」
弓兵隊長はなにか言いたげに、わずかに口を開いたが、結局、言葉になることはなかった。代わりに、自嘲の笑みを自身に向けたようだった。
「思ったより覚悟が決まってるんだな」
「ふふ、光栄です」
タイラギの目に光を見た、といって、この傭兵に分かるだろうか。リューベで密猟者や野盗を追うだけでは出来ない何かを、彼はキニスンとシロにもたらしてくれると魂が言っている。
「もしかしたらタイラギ君と一緒かもしれませんね。あの子のこと、シロは気に入っていましたから」
「だったら良いな」
傭兵は心配げに夜の森に視線をやった。
「きっとそうですよ。シロは強いですからね」
これに根拠はまったくないが、シロの強さはキニスンが誰より知っている。捕虜とは名ばかりの子供を心から心配している傭兵が、ほんの少しでも安心するならキニスンが言うべきことなどたった一つしかない。