2025-07-02
なんだろな、油断していたのかもしれない。
グリンヒルから連れてきたのはテレーズ市長だけじゃなかった。ニューリーフの制服に身を包んだ、金色の髪の子供。テレーズとも知り合いで、彼女のグリンヒル潜伏を助ける役回りだったらしい。
だから着いてきたっておかしくない。おかしかないが、ニナの目的はほぼ全てフリックだ言って良いはずだ。城に居ついてからこっち、毎日毎日飽きもせず時には小脇に弁当など抱えてフリックを追いかけ回している。フリックのほうも邪険にすることは出来ず、時折相手をしているらしい。弁当を一緒に食うとか、時々伝令程度の仕事を頼むとか。
騎馬隊の執務室から、俺と同部屋の中まで、強面の傭兵たちの中にあってもまったくおじけづくことのない度胸は感嘆に値するとは思うが、その情熱はなんとなく心をざわめかせる。
女子供には強く出れない奴なんだよな。もうそう言う風に出来ているとしか言いようがない。
山積みの仕事を終えられるのは、最近いつも遅い時間だ。風呂に入って帰ってきたフリックは、深く深くため息をついてふらふらと椅子に座り込んだ。閉じかかる目をこする仕草は、他の奴にはみせない程度には幼い。
「飯は食ったか」
「食った」
ニナが、とかすれた声が言う。食えなきゃ倒れると分かっているから食うけれど、忙しすぎて昼飯や晩飯を抜くことは珍しかった今までと違って、ニナがその辺を管理してるっぽいのはありがたくもある。あんまり食えねえんだよな、こいつ。本人は必要な分だけ食ってるとはいうけど。
ニナが食わせてる。片手でも食いやすいものを詰めた弁当を毎日せっせとこしらえてるんだろうな。夜の夜中まで傭兵連中の中に置くわけには行かないから、夕飯時が終わったら帰らせるようにしているとは知ってたが、なんというか、そう言う気遣いをするのもちょっと、なんか。
「……随分とニナに甘いじゃねえか」
机に懐いていたフリックは顔を上げ、寄せた眉根を指で揉む。
「甘いというか」
水気をぬぐっただけで乾いてもいない髪が額に張り付いている。なんとなく手を伸ばして、指でそれをはらった。
「甘いというか」
次の言葉を探しきれないのか、同じ言葉を繰り返し、頭を振った。
「どうしていいものか」
「お前、ニナの事どう思ってんの」
フリックはずっとオデッサの事を忘れないと思っていたが、生きている人間だ。好意を向けられ、その思いに答えたいと思ったとしてもおかしくはない。
そうしたら、自分はどうするだろう。
こいつの隣が、俺以外で埋まった時に、それを簡単に受け入れられるだろうか。
嫌だ。
少しも思考を挟まずに、否定した自分に驚いた。嫌だ、そんなことは絶対に受け入れられない。
「ニナねえ。あんなの、一時の熱病みたいなもんだろ」
「ひでえ言いぐさ」
だってさ、と唇を尖らせるフリックに、俺はゆったりと笑いかけてやる。ニナよりも近い自信はある。なんだかんだと付き合いは長く、こいつが気を許しているわずかな人間のうちの一人ではあるのだ。
「俺もお前の事好きだけどな」
「はいはい」
「いや、これはまじめな話で」
今更こいつ以外を隣に置くなんて出来ない。
座りなおせば、フリックの奴は眠気がさめた目でこっちを見ていた。
「ニナじゃなくて俺にしとこうぜ」
「……ニナを引きあいに出す意味、お前分かってんのか」
ニナはこいつの一番になりたいんだろ。恋人になりたい。
分かってるってそんなこと。
頷けば、フリックは実に困った顔をした。
「どいつもこいつも気の迷いばっかり」
「そんなことねえって」
頭を抱えて卓の上につっぷしたフリックの、固い髪をゆっくりと撫でる。小さい頭、伺うように俺を見てくる青くて大きい目。
「……え、本気かよ」
「おうおう、本気も本気。ニナにはやらねえよ」
ニナには、な。
まるきり冗談の言いぐさだったのに、フリックにはちゃんと伝わったらしくて、それが俺にはちょっと嬉しい。