2025ー04ー09
パーンが笑った。ぎこちなく頬を緩め、目を細める。握った拳を僕に突き付け、僕はそれに自らの拳を添えた。
テオ・マクドールの鉄甲騎馬隊は解放軍を蹴散らした。錬度も足りなければ兵の数も叶わない。勢いだけで勝てるほど甘い相手ではなく、勢いぐらいしか優っているものがないから、それをくじかれれば終わりだ。
今は逃げるしかない。いくらそれが難しくても、僕らは、僕は死ぬわけにはいかないのだ。僕が死ねば、何もかも無意味になってしまう。
だから、僕はここでパーンを置いていかざるを得ない。一度は離れ、それでも僕を信じてくれた兄とも慕う人間を、置いていく理由が僕にはあるのだ。
解放軍の兵たちは、僕を見つめている。行くな、と言うべきなのだろうか。そして共に戦う姿を見せるべきなのか。それはできない。皆が逃げるために殿を務める事はできない。だからと言って、何も言わずにパーンを残し、すたこらっさっさともいかないのが面倒なところだ。
僕の一挙手一投足を皆が見ている。
向こうに砂煙が見える。城への船を出せる港まであともう少し。時間はあまりない。死地に赴く人間を、誉とほめたたえるぐらいしか出来ない。
「パーン、頼んだ」
一度は僕を裏切った男。帝国ではなく僕を選んだ。その男が僕を守り、帝国最強と名高い鉄甲騎馬隊の前に立ちふさがる。僕は彼を信じて逃げる。その先の勝利を信じるがゆえに。美しいじゃないか。
「俺を信じてくださって、本当に嬉しくおもいますよ」
パーンが贖罪の機会を求めているのは知っていた。そして今は絶好の機会だ。死んでほしいなんて欠片も思っていないが、死地に送り込む事に僕は意義を見出している。
最悪だ。
砂煙がどんどん大きくなり、僕らは逃げなければならない。ビクトールがやきもきしているのが分かる。僕はもう一度パーンと拳をつき合わせた。大きな手のひらだ。二度と触れぬかもしれない掌だ。
「頼む。そして生きて帰って来い」
本当にそう思っているのに、なぜ僕が言うとこんなにも軽く聞こえるのだろう。いや、軽く聞こえたのは僕の耳にだけで、周りが息を飲んだのが分かった。誰かが声を上げ、兵士たちは走り出す。僕もいかなければ。
「夕飯までには帰りますよ」
「きっとだぞパーン!」
僕は一歩引き、それを合図に皆が走り出した。僕の隣でクレオが、僕の代わりのように、子供っぽい願望の声を上げる。家族がまた欠ける恐怖は、彼女のものであり、僕のものだ。
僕が選んだ。全部、全部選んだ。父さんと敵対する事なんて、最初から全部分かっていたし、誰かが死ぬことも最初から理解していなければならなかった事だ。
足を止めて、パーンの元へ走りそうになるのを奥歯を噛んでこらえる。僕は生きなければならない。
なにしろ僕はリーダーだからだ。そうあるべきと決めてしまったからだ。
グレミオ、こんな時こそお前が恋しい。
意気地のない僕はずっとそんなことを思っている。