「もしも、何でも一つだけ願いが叶うなら何をお願いしますか?」
ニコニコと楽しげな顔でそう問いかけてきた葉月に、儂は無遠慮に「くだらん」と答えた。
有り得もしない夢想に耽るタチでもなければ、答えを聞きたがっているこいつに気を遣ってやるほど親切でもない。
それは葉月も周知のことだろう。
「考える素振りくらい見せてくださいよ~」
などという言葉とは裏腹に、その顔は満面の笑みである。
まともな返事が返らないことは分かったうえで儂に話しかけ、薄い反応すらも嬉しそうに受け取るこいつはつくづく変わった奴だと度々思う。
「あ、お願いの回数を増やすのはナシですよ!」
「まだその話を続けるつもりか……」
これ以上何度質問を重ねようと、ここから話が広がることは一切ないにもかかわらず、いったい何がそんなに面白いのか。
葉月にはよく「十三王は笑いの沸点が低すぎる」と言われるが、こいつのツボこそ儂には理解できん。
「五官王様が願うなら実用的なのがいいですよね。えっと……あ! 五官王様が二人に分身、とかどうですか? 二人で仕事をすれば早くすみます!」
呆れ顔の儂を気にも留めず、儂の願いを勝手に考え始める始末。
「でも五官王様が二人になっちゃったら私はどうしましょう……! 二人の五官王様に挟まれたりなんかしちゃったら心臓が止まるかも……」
たかだか妄想だというのに、本気で顔を真っ赤にして手で覆う葉月。
葉月とともに茶を飲み始めてから、儂は二言しか発していないのだが、葉月の顔は百面相のようにコロコロと色を変える。
それが面白くて、儂はこいつの傍を離れられないのだ。
「五官王様は私が二人に増えたらどうしますか?」
「さあな、増えてから考える」
「んぅ……取り付く島もない……。そんなこと言うと、井戸仙人さんに頼んで分身する薬作ってもらっちゃいますよ!」
何故かドヤ顔でそう言うあいつが妙に愛おしく、ついつい口元が綻ぶ。
それを誤魔化すため、あえて意地悪く笑ってやる。
「はっ、頼んでみろ。睡眠の邪魔をするなと一蹴されるだろうがな」
「確かにそうですね」
まったく素直な奴だ。
「私がもし二人になったら、今よりもっとたくさん五官王様のお仕事を手伝いますね。そしたらもっと一緒にいられる時間が増えるので」
「フン……」
"屈託ない"という言葉が相応しい葉月のこの笑顔に儂は滅法弱いらしいと、気付いたのはここ数年のこと。
だが今にして思えば、出会った当初から儂はこの笑顔にペースを乱され続けてきた。
儂を前にして、儂に対して、満面の笑みを向けてくる者などいなかった。
獄卒達はみな真面目な顔で頭を下げ、十三王同士で談笑をすることはあっても、ここまであっけらかんと自身の内を明かしはしない。
地上に出れば誰もが恐れ、鬼太郎ですら儂の前では多少なり肩に力が入っているものだ。
それがどうしたことか、葉月にはそもそも儂らへの恐怖というものが欠片もないらしい。
粗相のないようにと明らかに緊張しているくせに、儂の一挙手一投足に感激し、さらにその感動を言葉なり態度なりに現さねば気が済まないときた。
おかげで事あるごとに純粋な瞳に射貫かれ、その眩しさに何度目を逸らしたかわからない。
未だに一人で喋り続ける葉月を眺めていると、この時が永久に続けば、などという想いが頭をもたげるのだ。
そうだな、口にしてはやらないが、もしも一つ願いが叶うなら、儂はそれを願うのだろう。
「もしも、何でも一つだけ願いが叶うなら何をお願いしますか?」
ベッドの上、静かに横たわる葉月が首だけを微かにこちらへ向け、穏やかな声で呟いた。
「今それを聞くのは卑怯ではないか」
握る手は細く皺だらけで骨張っている。
白く、細く、薄くなった髪。
片目は白濁として、目元や頬にも皺が刻まれた。
葉月はもう長くない。
生者であれば仕方のないこと。寿命なのだ。
今では自力で体を起こすことさえできず、毎日決まった時間に薬を飲ませ、固まった関節を労りながら体を拭いてやる。
出会った頃はまだほんの子どもだった。
何百年と時を経て、「ようやく五官王様に相応しい容姿になれた」と喜んだのも束の間。
そこから先は、不老不死の儂にはあまりに早かった。
他人が見れば、葉月が祖母で儂が孫のようにすら見えるだろう。
「あの時、答えを聞けなかったので」
小さく笑いながらそう言う葉月。
きっと今日が最期なのだ。
葉月もそれを悟っている。
だから今聞けば儂が答えるとふんだのだ。
こいつはいつからこんなに強かになったのだったか。
だがそれにしてはあまりにも無垢であるから困る。
「お願いの回数を増やすのはナシですよ」
あんな他愛のない会話を律儀にも覚えている。
それは儂とて同じことか……。
だが今はあの時とは違う。
葉月の死を覚悟してから、ずっと願い続けてきたことがある。
「願いが何でも一つ叶うなら、儂は……」
口を噤んだ。
口に出してしまえば辛抱ならなくなる。
押し黙った儂の手を、葉月の手が弱々しくも握り返した。
「聞かせてください」
全てを見透かすような微笑みだった。
言わねばならぬと思った。
「お前とともに、逝きたい……」
喉をこじ開けて漏れたように、微かに。
それが儂のただ一つの願いだ。
声が震えた。
枯れ枝のような腕に縋り付いた。
まだだ。まだ視界を塞ぐわけにはいかない。
どうあってもこの願いは叶わないのだ。叶わないのだから、最期の瞬間まで、一瞬たりとも葉月から目を離したくはないのだ。
葉月から見た儂はきっと、酷い顔をしているだろう。
だが、葉月は笑った。
「私を不老不死にするんじゃないんですか?」
やはりまだ駄目だ。
最期まで、いつも通りの時間を与えてやりたい。
葉月はまだ生きているのだから。
「不老不死などなるものではない。大切な者を見送るばかりだ」
「五官王様は優しいですね」
満足げに微笑む葉月。
葉月が欲しかった答えは返した。
ここでこの話を終わらせてもよかった。
だが、儂は再び口を開いた。
「お前とともに迎える最期なら、それはとても幸福で贅沢なものだと、儂は思う」
死さえも二人で分かち合えたなら、分かち合えるなら。
何度そう思ったか分からない。
「お前は何を願う?」
「私は……五官王様が悲しみを感じなければいいな、と」
目の奥がグッと熱を持つ。
人がこれだけ必死に耐えているというのに、お前は最期までこちらの気も知らずに感情全てをぶつけてくるのだ。
震える声を誤魔化すために、笑った。
「お前こそ、元気になることを願わないのか」
「似たもの同士、ですね」
葉月も笑った。
二人で静かに微笑み合い、やがて「幸せだったなぁ」と呟いて、葉月が目を閉じた。
「儂も、幸せだった」
繋がれた手から温度がなくなるまで、ただひたすらに握り続けた──。