マイクロフトの憂鬱 アルバートの弟から電報を貰った時は驚いた。内密な話がしたいと記してあったそれにマイクロフトはモリアーティプランに何かあったのではないかと思い、すぐに「夜八時にディオゲネスクラブへ来てくれ」と返事を送った。彼らのプランがどこかに漏れたのだろうか? 自分が沈黙を貫き、黙認していることも外に漏れているとしたら? アルバートの弟から呼び出しがかかるのも頷ける。どんな話をされても対応できるようスケジュールを調整してから、マイクロフトは職場を後にした。
「ホームズ卿、弟さんを僕にください」
真剣な顔つきで開口一番、アルバートの弟であるウィリアムはそう言った。マイクロフトは己の耳をまず疑った。しかし、はっきりと「ホームズ卿、弟さんを僕にください」と彼はそう言ったのだ。モリアーティプランの話などでは断じてなかった。
「何を言ってるんだ」
その返答に対する答えはこうである。なにを言っているのだと、まるで「娘さんを僕のお嫁にください」と言わんばかりの発言に対する答えとしては満点の回答だと思う。
「シャーロックが必要なんです」
「モリアーティプランのためにだろう?」
「それもあります。が、僕自身に彼が必要なんです」
「はぁ」
「友人、いえそれ以上の関係になりたいと思ってます」
「ん?」
相変わらず真剣そのものな表情でウィリアムは淡々と伝えてくる。しかし徐々に雲行きが怪しくなり、次に彼が発した言葉に頭痛を覚えた。
「有り体に言えば恋人になりたいです」
「待て」
「率直に言って抱きたいです」
「モリアーティプランの承認を取り下げてもいいか」
思わず、そんな言葉が口からするりと出た。国も大事だが、弟も大事だ。弟の貞操を奪うなど許せない。
「それは……困ります」
眉を顰めて悩む様な仕草をとるウィリアム。恋と計画の狭間で悩むウィリアムを見て、マイクロフトは本気なのだと悟った。
頭脳明晰才色兼備。そんな言葉が似合うウィリアムといえどマイクロフトはシャーロックをはいどうぞとあげる訳にはいかなかった。
「今は法だの、お互いの関係などは一旦置いておこう。ウィリアム。単刀直入に聞く。シャーリーにその思いは伝えたのか?」
「いいえ……僕の片思いです。ですが、いずれきちんとシャーロックには伝えて正式な関係を結びたいと思っています」
「そうか……ならば、ここでお前の目を覚ましておかなければならないな」
マイクロフトは瞬時に説得するためのプランを立てる。可愛い弟をあげるわけにはいかないし、何よりこんな話を聞いたらウィリアムを溺愛しているアルバートが倒れてしまいそうだ。不毛な恋だと、伝える必要がある。
「と、言いますと?」
「お前も知っていると思うが、お前の兄と私は友人同士。話を聞いてしまった以上、私は友人の弟であるお前を止めねばならない」
「ホームズ卿?」
「お前達の計画の最後を知っている者としてもな……」
その一言が刺さったのだろう、ウィリアムの表情が硬くなる。察しがいい。流石は数多の犯罪計画を立てただけある。
「まずは、アルバートだが……お前が最後に必ず傷付くとわかっていて許すと思うか? 私も同じだ。仮にシャーリーと思い合う関係になったとして、アイツはお前に置いていかれるんだぞ。悲しく辛い思いを弟にさせたいと兄である私が思うかね? それに、シャーリーにお前達が与えた役割は犯罪卿が企てた犯罪を暴くヒーロー。言わば敵同士。誰にもお前との本当の関係を言えず、お前には置いていかれ、独り悲しみにくれる弟を私は見てはいられない」
「アルバート兄さんには黙っていれば問題ありません。シャーロックは、必ず僕の死を乗り越えて生きていけます。心配はごもっともですが……」
「アルバートはお前が思っている以上にお前の事を深く愛しているぞ。それに、頭も良く察しもいい。隠し通せると本当に思っているのか? お前が傷付くとわかったら全力で説得されるに決まっているだろう」
ここまで言えば打ちのめされるだろう。少々可哀想だがウィリアムのためだ。まだ、シャーロックに告白していないのならば好都合。ここで諦めさせなければならない。
シャーロックは少なからずウィリアムに固執している。初心とはいえ告白されてしまえば素直な弟のこと、意識し恋愛感情に発展するかもしれない。恋人同士になってしまえば後は地獄だ。ここでウィリアムに言い聞かせなければ、必要悪になった上に恋人を置いて逝くことになる。国のために尽くす彼にこれ以上の酷い仕打ちなどない。
「ホームズ卿……それでも、僕はシャーロックが好きです。気持ちを隠すことなんて……」
「ルイスはどうだ? 彼は知っているのか? 自分の兄が不毛な恋をしていると……彼はお前のことを愛しているのだろう?」
この三兄弟の絆が硬いことは日頃のアルバートとの会話やウィリアムの表情の変化でなんとなくわかった。ここで末弟の名前を出せば流石のウィリアムも引くはずだ。
「ルイスは、確かに僕のことを愛してくれています。彼はきっと兄さんよりずっと悲しむかもしれません。僕が傷ついたら……」
「そうだろう。考え直すんだウィリアム。愛してくれている兄弟、なによりシャーロックのためにもバカな事はやめるんだ。お前の頭脳ならばなにが最適解か判断できるだろう?」
ウィリアムは肩を落とし項垂れる。きっと悲しむ大切な人たちのことを真剣に考え始めたのだろう。シャーロックの事も、たとえウィリアムの死を乗り越えられたとしても深く傷付くことには変わらないのだから……
「目が、覚めました……僕、誰かにこんな感情抱いたの初めてで、ちょっと冷静じゃなかったかも……ホームズ卿。聞いてくださってありがとうございました」
今にも泣き出しそうな表情でウィリアムは頭を下げた。その様子にホッと胸を撫で下ろす。アルバート、私を褒めなさい。私はお前の弟の暴走を止めたぞ。
「わかってくれてよかった。今は悲しいかもしれない。それでもきっと、関係を結んだらもっと悲しくなる。双方が辛い思いをするのを見ていたくはない。忘れてしまいなさい」
「はい……」
最後の事件から三年後、ウィリアムと一緒に死んだと思われていたシャーロックが帰ってきた。その時に、マイクロフトはシャーロックにこう尋ねた。
「三年間、彼といたのだろう? 変わった事はあったのか? もう敵じゃないのだから関係も変わっただろうし」
「リアムと!? あーまぁ、色々あったけどよ……その、一番はえっと……言わすなよ! こっちじゃ違法だし!」
耳まで真っ赤に染め上げて恥ずかしそうに言ったシャーロックを見て、あぁこれは大事な弟の貞操はすでに奪われたのだろうと察しがついてしまった。