差し出された手は、あたしだけのものだ 初夏の涼しい夜。寮に戻ってシャワーを浴びていたら、母から電話がかかってきた。
『貴族会に出てらっしゃいな』
「えっ、面倒だし行きたくないな」
『あらそう。じゃあアザミくんのパートナーはお姉ちゃんに頼もうかしらね』
「それ、先に言ってよ!?」
母が言うには、月末の貴族会にアザミくんのご両親が呼ばれているけれど、都合が悪いらしい。それで家長代理としてアザミくんが出るけど、パートナーが必要だからって、あたしに声をかけた。
『アザミくんから聞いてない?』
「……聞いてない。あたしから聞いてみる」
そういうことなら、アザミくんがあたし以外を誘うなんてことないと思うんだけど。ちょっともやもやしつつ、アザミくんに電話する。
「もしもし? 月末の貴族会なんだけど……」
『月末の貴族会?』
「アザミくんのご両親が出られないから、代わりにアザミくんが出るって聞いたよ」
『……確認する』
電話が切れた。晩ごはんを食べ終えたところで、またかかってくる。
『母が、私に伝えるのを忘れていたらしい』
「そっか……」
週末に衣装合わせとダンスの練習をする約束をして、電話を切った。アザミくんのパートナーかぁ。嬉しいなぁ。
週末は、アザミくんの家からそれぞれの実家へ向かった。お向かい同士だから門の前で分かれたけど、うちの玄関で姉に追い返された。
「アミィさん家に行きなさいよ。あんたのドレスはそっちに運んだから」
「そうなの? ありがと〜」
「アザミくん、先にツバつけとけばよかったわ」
「お姉ちゃんのお気に入りはキリヲくんじゃん」
相手にされてないってことは、黙っておく。
「たまに誘ってるけど、のらりくらりなのよ」
「ふうん」
適当に切り上げて、アザミくんの実家に向かう。SDに通された客間では、母とうちのSDがドレスを広げていた。
「他所のお宅で何してるの……」
「あら、来たわね。せっかくだもの。アザミくんと揃いの衣装がいいでしょう?」
「それは、まあ、うん」
気づけば、あれよあれよと着替えさせられていた。母が部屋の外に声をかけるとタキシード姿のアザミくんが入ってきた。
「わあ……アザミくん、かっこいい……」
「そうか……?」
本人はピンときてない顔だけど、とーっても、かっこいい! 顔立ちが綺麗でシュッとしてるし、筋肉質で姿勢もいいから、とにかくフォーマルが似合う。かあっこいい……。
「アザミくんを褒めてばかりいないで、自分のドレスも見せなさいな」
「そうだった。どうかな?」
アザミくんの前で、くるっと一回りして見せた。膝上のフレアスカートがふんわり広がった。ミニ丈にすると、筋肉のついた太ももがむっちり見えちゃうから、膝上丈が一番細く見える……気がする……。
ドレスの上半身も腕と肩が出たデザインだけど、筋肉が目立っちゃうから、ストールで隠すことにした。
「悪くないが、肌を出し過ぎではないか?」
「そうかな。ストール羽織ってるよ」
「こちらは?」
アザミくんが選んだのは二の腕まで袖があるデザインだ。でも、袖がぴったりしてるから、筋肉でムチムチになる。
「腕がパツパツになるから、ちょっと無理」
「これ」
「首まであると、さすがに暑いよ」
「……」
アザミくんの顔がムスッと不機嫌になる。でも、あたしだって、ドレスを着てアザミくんの隣に並ぶなら、かわいくいたい。
アザミくんの手が両肩に乗る。
「他の者に見せたくない」
「あたしは、アザミくんにかわいいって思われたい」
「何を着ていてもお前の魅力は変わらない」
「そういう問題じゃないの!」
「はいはい、親の前で痴話喧嘩はやめなさいな」
睨み合っていると、母が笑いながら入ってきた。痴話喧嘩? ……うん、痴話喧嘩だね……。
「あなたはこれを着てみなさい。アザミくんも同じデザインのモーニングがあったかしら?」
「あるわ。用意しましょう」
母の視線の先に、アザミくんのママもいた。アザミくんは部屋から引きずり出される。
着せ替えられたドレスはロング丈で、ノースリーブだけど、肩から肘のあたりまでレースのリボンが垂れ下がっていてかわいい。これなら、腕が太く見えないかも?
「どうかなあ」
「私はいいと思うわよ。でも、そうじゃないのでしょう? 本人にお聞きなさい」
「ん……うん」
少し待つと、アザミくんが戻ってきた。あたしのドレスと同じ色のモーニングを着ている。胸ポケットのハンカチーフは肩のリボンと同じデザインだ。
「アザミくん、か、かっ……」
「待て、私が先に言う。似合っている。エスコートさせてほしい」
胸ポケットからハンカチーフが差し出される。
手を伸ばしてハンカチーフを受け取った。
「よろしくお願いします……!」
「母親の前で、ずいぶん仲睦まじいのね」
アザミくんのママが困ったように微笑む。あたしの母もその隣で呆れた顔をしていた。今さらだけど……やっぱり恥ずかしいっ!
「す、すみません……」
「ともかく、ドレスはそれで決まりね。ダンスも練習しておきなさい。私たちは退散しますから」
呆れ顔の母親たちが客間から出ていき、アザミくんが手を差し伸べるから、そっと自分の手を重ねた。
軽く頭を下げて、リードされるままに、歩を進めた。
「アザミくん、ダンス上手だね」
「お前も、なかなかだな」
「練習したの。アザミくんの足踏まないように」
「それくらい、構わない」
最後にくるっと回ってアザミくんの腕に収まる。
「だって、アザミくんのパートナーだもん。かっこよくしていたいでしょ」
「それは、こちらのセリフだ」
そっとキスして、ふわりと体を離した。元の服に着替えて、母たちとごはんを食べて、アザミくんの家に戻る。
貴族会当日。実家の前から馬車に乗って、会場へ向かう。
腕を組んで会場に入ると、豪華な空間できらびやかな貴族たちが挨拶を交わしていた。
まずは二人で主催に挨拶する。しばらくして主催の挨拶があり、終わると楽隊が音楽を奏で始めた。
アザミくんが腕を解いて、手を差し出した。
「私と踊っていただけますか?」
「よろこんで」
練習したとおりに一礼して、手を重ねる。二、三曲踊ったあと、アザミくんのご両親や、あたしの親の知り合いに挨拶して回った。
……でも、挨拶をしていると、時々ダンスを申し込まれることがある。
「申し訳ありませんが、本日はパートナーがおりますので」
あたしもアザミくんも、そう言って寄り添って断る。たいていは社交辞令だから、すぐに引いてくれる。社交辞令じゃなくたって、揃いのスーツとドレス、指輪を着けている二人の間に入ろうとする悪魔はそんなにいない。
とはいえ、たまに面の皮が厚い悪魔もいる。
「そう言わずに」
「我が家と繋がりがあって、損はないですよ?」
「いろんな相手を知るのも良いでしょう?」
そういうことを言われるたびに、アザミくんはあたしの肩を抱き寄せる。あたしはアザミくんの胸元に、こてんと頭をもたれかけた。
「わたくし、嫉妬深いものでして。彼女の手を他の方にはお譲りできないのです」
「彼が、あたし以外の方と踊るだなんて、許せませんの」
そう言って微笑む。それ以上は、もう「お断りします」としか言わない。
だって、やだよ。アザミくん以外の悪魔の手に触るなんて。アザミくんも、同じ気持ちだったら嬉しいな。
挨拶を終えて、壁際で軽く食事をとったら、早めに切り上げる。今日の目的はアザミくんの家長代理としての挨拶と、あたしが彼のパートナーであることを、皆にしっかり示すことだから、もう十分。
「ね、アザミくん。そろそろ帰ろう?」
「そうだな」
主催においとまの挨拶をして会場を出る。夜風が涼しくて、火照った体に心地よい。
「お手を、レディ」
アザミくんの手を取る。あたしだけの手だ。
「アザミくん、かっこいいねえ」
「お前は綺麗だ」
「あたし以外に言わないでね」
「言わない」
アミィ家の馬車で家に向かう。隣に座るアザミくんの肩に頭を乗せる。握ったままの手が、何より愛おしかった。