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    MASAKI_N

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    MASAKI_N

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    毒戦BELIEVER⑦

    ##毒戦
    #毒戦BELIEVER
    #ウォノラク
    wonorak.

    Anubis 一体、自分はこんなところで何をやっているのか。
     自問すれど、紛れもなく自分の感情に動かされ、選択し進んで来たつもりだった。
     それなのに、ここに着くまで散々、頭で考えても出なかった答えを、身体と心がはっきり示した。
     憎むべき相手に救われるのは、罰か。
     救うべき相手を追うことは、罪か。
     強い感情と熱を傾けていたのは確かだが、愛しいなどと思うわけがない。
     そんな疑念は、ウォノを信じると言った彼の瞳を見つめ返す度に霧散した。
     ラクから向けられる感情によって、長い間忘れていた感覚が呼び起こされる。
     いつしか、謎を追うこと自体を生きる理由にしていた自分を読み解かれていく。
     事件でも罪でもなく、ラクただ一人を追って来たのだと。
     傍目には、悪魔を追って地獄に堕ちたようにしか見えないだろうか。
     悪魔と呼ばれた「イ先生」は、ラクのことではなかったはずだ。腕を切り落としたのは、奴らが腕を奪ったから。肌と肉を焼いたのは、奴らが弱き者に火を放ったから。
     虎の威を借るのなら、虎に代わって滅びろと示し、本物の虎は姿を眩ませた。
     虎を追い、森に入り、数奇な運命に人生を狂わされた青年と出会った。
     ラクの眼差しが楔のようにウォノの過去と業を身体に打ち込んで、入り組んだ因果から逃げるなと睨まれる。



     落ち着いたところでラクをバスルームに連れて来て、自分も身体を軽く流す。
     湯を溜めて浸かりたいと言うので、寄り添って広いバスタブに留まった。ラクはウォノに身体を預け、リラックスしている。
     恋人同士の甘さより、神聖な沐浴を思わせる空気だ。
     因果や業と裏腹に、こんな穏やかな営みに浸かるとは。
     出会う前には無かった道が、ラクを知る度にゆっくりと拓けていくのを感じる。
    「ウォノ……」
     少し掠れた声が響く。
    「ん?」
     謎を解いてしまったら今度は、この不遇な若者の呪いを解きたいと思っている。
    「男同士も慣れてるんですね」
     不貞腐れた様子の彼に、ウォノが慣れている前提で迫ったのではないと知る。すんなり誘いに応じた時点で、わかりそうなものだが。
    「そうわかるように――」
     言い切る前に、ラクが細かく頷いた。
    「ええ、言ってましたよね。僕を好きになれるのはわかっても、元々、男も好きなのかは確信してなかった。許容範囲の広さはともかく経験は、僕の予想より濃かったみたいです」
     ラクが読みの甘さを悔いる顔は、何度も見た。棋士が次の手を考えている時の顔付きに似ていると思う。
     受け入れたくなくても、目の前の事実をゆっくり咀嚼し、消えた可能性を閉ざす顔。
     危険や手間より、実現可能かどうかを精査する。そうすることで、窮地からの進路変更に選択肢が増えるからだ。その辺りの勝負強さはウォノと似ている。
    「年齢のせいもあるし、濃さじゃお前には負ける。身体だけなら一定の需要はあったから、それなりに経験もあると思うが、恋愛のことはよくわからんままだ。見た目や性格の好みはあっても性別自体は気にならないから、俺もバイには違いないんだが」
    「その気でいれば、すぐ相手を見付けられるからでしょう?僕が興味を持つくらいだ。身体だけじゃなかったはずですよ」
     贔屓目に思えるが、自覚もそれなりにある。
    「何故か昔から男女問わず、夜の街のもの好きな玄人にはやたら構われる。刑事の習性でワケありの人間に気付いたら無視できない時もある。恋じゃなくて、仕事でやった『しなくていい経験』の方の詳細だ」
     皆、どこかしらラクと似ていたかもしれないと、顔を見るたび思う。
     どうにもならないことも見極めながら、大抵のことはコントロールできると自負している策士の目。獲物をどう料理するか眺める視線。
     自負だけならハリムやソンチャン、ブライアンもそうだが、奴らは薬で狂っては危険を楽しみ、知力より暴力に頼る。
     ラクの方が素面で狂気を加減できる分、ずっと賢い。
    「充分、色気も魅力もありますよ。こっちが惚れても好きだとは言ってくれないけど、助けを求めれば駆け付けてくれて、人の頼みを無下にしなさそうに見える」
    「そんなに上等な人間じゃない」
     だがそれも、自覚はしている。その時点で助けられる人間が自分しかいないと思ったら、見捨てはしない。
    「恋愛関係に限らず、こちらが危害を加えない限りは、声を掛けたら話し相手になるでしょう?寄り掛かられたら支えるはずだ。今だって」
    「それは、職業適性だろ」
     正義の味方になりたいわけではない。悪人に得をさせたくないだけだ。
     大切なものを害された時は感情に振り回されるが、熱を発する核は同じだ。ウォノ自身が他人に何かされた程度では、その核を見失わないように見えるのか。
     本当はそんなもの捨ててしまいたいのに、どんなに追い詰められても捨てられない。
     ラクを殺そうと思った熱と、殺せなかった理由は、同じ核から湧き出るものだろう。
    「恋愛体質でないことを望んであなたに声を掛けるのに――自分にだけは恋して欲しいと思ってしまう。独り占めできないとわかっているのに、したくなる。わがまま言って困らせて甘えたいし、叱って欲しくなる」
     ラクはウォノの左手を掬い取り、薬指の根本に唇で触れた。
    「それで、相手と目指すゴールやら熱量が違って、失敗してきた」
    「選ぶ相手を間違えても、正解でも、どの道別れるつもりだったんでしょう。相手を救った後も自分が一緒にいたら、幸せにできないと思っていたから」
    「あぁ……そうだな」
     不幸な相手しか愛せないのかと問われたことがある。自分でもそうかもしれないと思っていたが、ラクの分析は的を射ている。
    「実際そうだったんだろうけど……ウォノ自身の救いは平穏な生活には無くて、命が尽きるまでに地獄からどれだけ多くの人を逃がせるかにあったんじゃないかな」
    「そんな立派なもんじゃねぇって」
     もしその不幸が環境のせいなら、別の居場所へ送ろうとしてきた。自分には、そうできる力があったから。
    「あなたは兵士というか――戦士だから――戦士以外の人間や生き物を、厄災や戦場から遠ざけたいんだ。僕はこの世が地獄だと嫌というほど知っている。それでも自由や幸福を見付けたし、意地でも生き残ろうとしてきた。天国に行こうとか、地獄に落ちるって概念がないから、きっと合うんです」
    「お前は俺がいなくても大丈夫だろ」
    「大丈夫ですよ。僕は、自分に必要な人間とライカがいれば、居場所は作れると知ってたから。でも、欲が出た」
     魔性のものを思わせる顔が、こちらを見上げる。
    「最小単位に俺を含める気になっただけだろ」
    「単なる恋なら別として、結婚とか家族って、そういうことじゃないんですか?」
    「最大値を目指すんじゃないか?子孫繁栄を求めるなら」
     結婚したいと思ったことがないから、結婚したい人間の気持ちは、ウォノには一生よくわからないままだろう。
     人の結婚や出産を祝えるのも、心底幸せそうだと思える時だけだ。
    「どっちが多数派なのかな。『あなたさえいれば何も要らない』ってパターンの話です。僕はあなたと出会ってしまったから、恋なんて面倒なものに手を出す羽目になった。自分には薬とセックスは必要ないと思ってたのに。あなたが応じなければ、そのまま必要なくなったと思う」
    「性欲はあるんだよな?俺をきっかけに他の相手とすることにも前向きになるかもしれないし、単純に独りより、同時に操れる部位が増えるのが利点なのもわかったろ」
    「それよりも、自分が気持ちいいかだけじゃなくて、僕がすることで気持ち良くなってほしいと思える相手じゃないと駄目だとわかった。知識を得るために色々観たけど、好きでもない人間の性的な表情は別に見たくなかった。一人の方が自由だし満足できると思ってたけど……ウォノが僕として気持ち良さそうなのが一番、嬉しかったので」
    「確かにお前は、最初からそう言ってたな」
     ――僕の中でいくあなたを見たくなって
     あのひと言でぐらついたウォノにも、それが正解だったのだろう。
     似たような誘い文句を言われたことは少なくなかったが、ここまでの熱は帯びなかった。
    「もちろん、逆もです。ライカがあなたに撫でられてるのを見て繋がった気がする。広い意味での愛撫だと意識したから羨ましくなった。その無償の慈愛も性欲込みの恋慕も含めた感情が全部、僕に向けばいいのにって」
    「あぁ――」
     そこから、ウォノに愛されたいのだと気付いたのか。
     だから、無視されるより、監視されることを望んだ。
     ラクは半身を預けるように姿勢を変え、ゆるく膝を抱えながらウォノに寄り掛かる。
    「ナンパされた以外だと、そういう業界に潜入してたから経験豊富ってことですか?ドラァグとか、フェムドム?SMとか?」
    「まぁ、な」
     お互い隠しはしないが情報を小出しにし、食い付き方で自分への興味を測っているのだろうか。飽きられないように?
     自分から全部話すには、秘密が多過ぎるというのもある。
     潜入捜査の癖が染み着いたようでいて、それは生まれ持ったウォノの人付き合いのスタイルだ。秘密の匂いを餌にして、別の秘密と引き換えに通じ合う。
    「僕がトップも有り得たんですかね」
    「そっちが良かったのか?もの好きだな」
     ウォノがヘテロの経験が長かった上でバイなら、トップだと思ったのか。
    「どっ……ちでも、いいんですか?」
    「俺は別に――中でいくのが見たいって言うから、てっきり」
    「ええ。今回はそれで満足です」
     思い出したのか、ラクはウォノの視線から逃れ赤面した。
    「そうか」
    「だから今、拗ねてるんでしょ」
     睨まれても、どんな顔をしたらいいかわからなくて、今度はウォノが目をそらす。赤面したいのはこっちだ。
    「苦手じゃない行為だから慣れただけだ。特殊なプレイを商売にしてる奴らって、知能犯タイプだろ。人体で遊ぶには相応の知識や技術がいるから。秘密だらけの顧客がいて、情報屋にするとお互い得るものも多いんだ」
     安全かどうかは重要だが、後ろを責められることもあった。生来その辺りの固定観念があまり無い。
     言葉責めやロールプレイングはあまり好きではないが、仕事と同じだと思えばできなくはない。快楽を追求し溺れはしないものの、そのプレイを快感だと思う人間が一定数いて、相手が安全なやり方に詳しいなら、別にやってもいいかと思ってしまう。
     愛情や性愛の振りをした加害が目的なら話は別だが。
    「情報のためだけに色仕掛けするようには見えません」
    「向こうが、相手をするなら情報をやってもいいと仕掛けてくるんだ。金銭や何かの便宜をはかるとかでなく、遊びに付き合えと」
     相手は大体、男女問わず独特な魅力と色気のある人間で、頭の回転が速い。育ってきた環境に関係なく品があり、身体を売っても命を蝕む方には病まない強さがある。ラクもそうだろう。
    「初めは探偵のふりでもするの」
    「適当に濁して、信用できれば最終的には身元を明かした」
     ウォノは、被害者のいない違法行為なら見ないふりできる程度には柔軟だ。だから、潜入捜査もできる。
     距離感を間違えずに口説けば、ちょうどよく欲を満たせる相手だと見抜かれ、知り合うにつれ離れがたくなるらしい。
     ウォノを気に入る情報屋は多かった。情報と引き換えに足抜けを手伝うと提案しても無駄に終わることはあったが、信頼関係は消えなかった。疎遠になっても、いざという時の逃げ場になるには向いていた。
     そんな生き方の結果が全部、今ここにある。
    「そういう流れで、元ヤクザでドラァグで頭脳派の情報屋とでも寝てたんですか?それじゃあ、普通の恋人と上手く行かないわけだ」
     ラクも近い戦術を取るし、そういう感覚が一致しているが故に惹かれ合っているはずだ。
    「そういう輩とは惚れ合ってたわけじゃない。でも、自分の許容範囲は広いとわかった」
     愛着や親近感はあっても、恋人なんて甘いものではなかったと思う。
     お互いの好奇心を利用した遊びから始めて、最終的には良い距離感の友人のようになる。
     恋人とそうなる人間もいるだろうから、何の否定にもなっていないか。
    「肉体関係の既成事実だけじゃ、名前のある関係になれないってことですか?僕も」
    「お前は――今までのどの相手とも違う」
     自分の意志で追い掛けてきた。
     誰のためより必死に。
    「なんで、勃たないかもって思ったんですか?僕が未成年に見えるから?」
     目を伏せて静かに何か考えていれば、年相応かもっと上に見える時もある。
     肉が削げ白髪が混じれば、それなりに渋い紳士になりそうだ。
    「遊びの相手じゃないから、嫌なことを思い出したり、緊張し過ぎて不発になるかと思った」
    「肉体関係が先ならセックスの相性はわかってるから緊張しないけど、精神的な繋がりが先だと、身体の相性で台無しになるのが怖いんじゃありませんか?でも、身体の関係が先だと続かなくて、しない方が長続きするとか」
     ズバズバと言い当てられ、その通りなのだろうと思う。
     恋愛に重きをおかずにここまで来てしまったから、どうでも良かった。
    「自分でもその辺はよくわかんねぇんだって……戸惑ってるのはお互い様だ」
     二十五を過ぎた頃から、恋人になってくれとか、結婚してほしいと言われても断ってきた。大体の場合、捜査官を辞める選択を強いられる。過去は消せないとわかっていたから、危険だと思った。
     生き方を自分で決める自由を、どうしても捨てられなかったのだ。でもラクは、ウォノが何者だろうと関係ないだろう。
    「あなたが自分の意志で追って来たのが、本当に僕だけだったらいいのに」
    「恋愛の話なら、片想いで始まってもわざわざ追うことは無かった」
    「両想いになったこと、無いの?」
    「あっても……」
     続かなかったと思う。
     恋愛に対して情熱が無かったのだ。
     花も実も求めずに、ただ葉を茂らせて欲しくて水をやる感覚だろうか。
    「僕はそんなに特別だったの?」
    「犯人を追うのは仕事だが、イ先生の事件を他へ譲る気はなかった。意地でも正体を暴いて、見てやろうと思ったから」
    「僕は恋人?情報屋?バディ?それともただの腐れ縁?」
     情緒はそれなりに乱れているようだが、弁が立つのは変わらない。
     議論は好きなのだろう。寡黙なのは話し相手がいない時だけだ。
    「その全部で、宿敵なんだろ。それに――ちゃんと惚れてる」
    「僕がウォノを好きじゃなかったら、ウォノが僕を好きになる可能性はなかったのかな」
    「お前に嫌われてた場合、あの茶番は成立しなかったし、俺はとっくに殺されてたはずだ。お前も俺を利用したわけだし。この先何があるかはわからないが、こうなった以上、仮定は無意味だ」
     あの兄妹は、ウォノを誰であるか認識した上で撃った。チームのメンバーもブライアンの工場で殺されはしなかった。反撃を封じこそすれ、あえて致命傷を与えなかったのだ。
    「疑ってるわけじゃありません。ただ、できるだけ多くを知りたい」
    「疑っていい。俺もお前がどういう人間なのか知りたくて、ここにいる」
    「もう僕、ずいぶん人でなしになってると思うんですけど――地獄の鬼の生態を知りたいの?」
    「仕事で何をしたかじゃない。お前個人の感情や考えが知りたい。お前もそうだろ」
     長くため息を逃がして、ラクが何かを諦めたような様子で脱力した。
    「……平穏で退屈な人生を選びたくなかったんなら、潜入捜査官は天職でしょうね」
    「逆だよ。向いてないと思ったんだ、平穏な暮らしが」
     退屈だったわけではないが、平穏すぎれば、何のために生きているのか見失ってしまっただろう。暗がりにある危機にも気付けなくなり、愚かで鈍く残酷な市民に成り果てたはずだ。
     生きている実感を――強く意識していないと駄目な性分なのだ。
     だから、殺し合うはずの相手と、平穏な人生など望めない道を選んだ。
    「ボトムもしてくれます?他は……女装とかの方が好みなら、僕、してもいいですよ」
    「お前ならどっちも好みの範囲だ。でも、ポップでエロいコスプレより、ランウェイ向けの服の方が似合いそうだな」
     ラクは骨格や声は紛れもなく男だが、肌の白さや艶っぽい唇がフェミニンな色気を醸し出す。時に毒として相手を惑わせる、蠱惑的な魅力。
     効果的に利用できる程度に自覚もしているし、美的感覚で構築された生き方の表れだ。
    「変な人」
     流し目で笑んで、余韻を楽しむように肌に触れられる。
    「よく言われる。お前も何かやってたろ。責める口調に調教系プレイのSの匂いがする」
    「あぁ……得意なんです。別に好きなわけでは。取引相手にそのタイプのMがいて、薬を買わせるためにそれらしく対応はしてました。それから、非接触のバイトを学生の頃に金策で少し」
    「チャットの類か」
    「そんなところです」
     素人が稼ぎやすい方法だ。エロいごっこ遊びに付き合えば、金が貰える。
     服従系M相手のプレイなら上手くやれば、露出されることはあっても、こちらの露出は要求されずに済むのだろう。
    「向いてそうだし、好きそうだ」
    「好きなわけではないです。知らない人間に興奮はしません。まぁ、こっちが冷めれば冷めるほど、相手は盛り上がってくれるわけで――時間を延長するために向こうが課金していくシステムでは、ずいぶん稼ぎました」
    「上手そうだな」
    「あなた相手ならやる価値はあるかな。僕の発言から目的や意図を理解した時の、あなたの反応は好きです。操られはしないけど、利害が一致すれば素直に従ってくれるし、プレイじゃなくてコミュニケーションの範囲だと思いますけど」
    「お前に面白がられてる時はわかる」
     不本意なこともあるが、そういう時のラクの顔が好きだと思う。
    「巻き込まれてしまえば見捨てて逃げたりできないところはお人好しで、ちょっと損してますね。僕と違って、敵が改心する希望も捨てないでしょ。それに、ペットにされるなら調教されるんじゃなく、溺愛されるのが好きなのでは?あなたへの執着の強さが消えないと信用できるぐらいに」
     ありのままのウォノを気に入り、執着される方が上手くいくとは思っていた。
    「ストーカーやドSのご主人様が好きなわけじゃない。飴と鞭のさじ加減が上手い人間と相性がいいんだ」
     人をコントロールするのに長けた知能犯。
     相性が良く考えが読めるから、イ先生以外は大抵、捕まえられたのだが。
    「そういう人間に好かれるんでしょ。あなたは……僕の全貌を知って、納得したかった?糾弾したかった?誰がイ先生なのかわかったら、どうしてやろうと思っていたんですか」
     これが恋だと確かめて、愛してしまったとわかった今、それを問うのか。
     恋愛が自分の人生の軸になることはないと思っていたが、人生の軸の方に恋愛が巻き込まれた感覚だ。巻き込まれたのか、丸め込まれたのか。
     もう、どっちだっていい。
    「組織の犯罪行為――特に、薬物の違法な流通を止めたかった。誰が黒幕なのか――諸悪の根源なのか知りたかった。その目的は果たした」
    「捕まえて裁く目的はどうしたんです」
    「薬物の売買は大抵、薬か金か力そのものが目当てなんだよ。お前みたいに別の目的があるパターンは珍しい」
    「力といえば力かも」
     悪事の周辺には必ず、救うべき誰かがいる。
     その誰かが少しでも救われたいと思っていれば、できる限り助けようと思って飛び込んできた。
    「俺はただ、誰かを救った気になることで、自分が救われたいだけなんじゃないかと思う。お前のことも。お前の不幸はお前のせいじゃないと言いたいのは――自分がそう言われたいからだ。俺が誰かを不幸にしても、俺のせいではないと、許されたいから」
    「それでいいです。僕にもあなたを救えると、無意識に知っていたからってことでしょう。一方的に利用するのが心苦しいなら、僕もあなたを目一杯利用するまでです」
    「誰かを、じゃない。スジョンを不幸にしたことを」
     バスタブ、ラクの目。
     急にあのオーバードーズ中に観た悪夢がフラッシュバックする。
     ラクは、嗚咽するウォノの首元に頭を預け、涙をすすぐように湯をすくい、頬を撫でた。
     そのまま身体を寄せ、強く抱き締める。
    「僕が彼女の立場だったら――自分が上手くやれば自分に似た誰かやあなたを助けられる、死んでもあなたが心から悼んでくれると思ったから、協力することを選んだと思う。事実、彼女の情報が事件を解決する鍵になったわけだし――生き地獄だった人生を意味も価値もあるものにできたと思えたんじゃないかな。死ぬのは不本意だけど、生きるのに疲れてもいた」
     死んだスジョンはウォノを、許すことすらできない。
    「あいつの命が存在することに理由は必要ないと、言ってやるべきだった」
    「そう思ってくれるあなただから、あなたにとって意味のある存在になれれば報われると思ったんだ。悲しむだけじゃなくて、お前のおかげで謎が解けたと誇ってほしいかもしれない。僕が最もそれを言ってはいけない人間だと、わかってはいますが」
     急に冷えた空気を感じ、しばらく黙った。
     何もかも遅すぎる。
     憎むべき相手はラクではないとわかっても、痛みを共有させたいのか。
     彼女を行かせたのは――
    「スジョンのような協力者にボイジャーやライカを買いに行かせると、不思議なことが起こった」
    「……ウォノ」
     手を絡め、強く握る。
    「消えるんだ。そのまま。消されたか人身売買を疑っていたが、裏社会にいない方がいいタイプの客は、薬を買うはずだった金と俺達の情報を売ることで、新しい身分を与えて逃がしてるんだろうって気付いた。だから行かせたんだ。運が良ければ腐った世界から自由になれるかもしれないと――」
    「知ってたんですね」
    「やっぱり、お前の仕業か」
    「いつか話さないといけないと思っていましたが――僕らは、間に合わなかった」
     それどころかラク自身が爆死するところだった。
    「ブライアンが邪魔する前までは、お前とあの兄妹がやってたんだろ。お前らのアスキーコードの履歴をドクチョンが調べて、やっとそのカラクリがわかった。この近くにも、逃げた奴らがいるのか?あいつらはどこかで市井に紛れたか、お前の情報屋として転身させられたはずだ」
    「さすが――あなたのチームですね」
     そんな推理を今、言うはずではなかった。
     今さら真実か確かめたところで、結果や状況は変わらない。
    「お前が俺に親近感を持ってるのはそのせいだよな。知らずに連携させられてた。『命が尽きるまでに地獄からどれだけ多くの人を逃がせるか』だろ」
     ラクは膝立ちになり、ウォノを見下ろす。
    「あなたのように、汚職には手を染めないものの、悪党を懲らしめ弱者を救うために時には法の目をくぐる柔軟な警官は貴重です。自首せざるを得ない時に頼るためにも、いてもらわないと困る。あなたがチームを作る時も、それが基準だったでしょう。だから、信用していました」
    「俺も、イ先生が人殺しを楽しんでするタイプだとは思ってなかった。組織で起こった殺しは全部、偽者の仕業だったしな」
    「悪はブライアンたちだけで、本物のイ先生は違うとでも?」
     ラクは悪に染まる覚悟をしつつも、自分を見失ってはいない。
    「イ先生が法を破り、薬物を違法に流通させていたのは確かだが、金や力の悪用のためじゃなかった。俺がここに来るまでの間ドクチョンが――やっと偽者の悪事と分けられたから――と、本当のイ先生が何をしていたか調べてくれた。悪党にセックスドラッグを売って巻き上げた金の半分は、慈善事業の支援物資や医薬品に流れてた。クズどもが血眼で確保した流通ルートの先々で、天国と地獄が同時に発展していった形跡は、文字通り闇市から経済が発展するのと同じだ」
     ラクはバスタブから抜け、大きなタオルを手に取った。ウォノも手鼻をかんでから、手と顔をゆすいで立ち上がる。
     もうラクは逃げはしない。ゆっくり身体を拭いてから、便器の蓋に腰掛けた。
    「慈善事業をすることを条件に取引をしていたんです。隠れ蓑は違法薬物の方。制限のある医薬品と物資を一緒に流通させるのが目的だった。過剰に荒んだ街では、クリーンな事業を正攻法で通すのが難しくて」
     目的の達成に、泥水や毒を浴びなければ辿り着けない道しか無かったのだろう。
     褒めはしない。ただ、イ先生を追ってきたのは、その構造に気付いたからだ。
     ウォノは本当の戦場に赴いて、荒んだ街を見てきた。
    「お伽噺の魔神なんかが、富と幸福をもたらす代わりに禁忌や交換条件を提示するのと同じだな。お前の契約は育ての親の死で切れるパターンかもしれないが」
     人ではない何かが、富と幸福を約束する話。その代わり定期的な供物や、禁止事項を課せられる。
     イ先生の正体を探るな、騙るな。
     イ先生の出す条件を守れ。
     イ先生の愛するものを害せば、相応の報いを受ける。
     ラクの操るものは毒物と同じだ。適量を守れば得になり、限度を越えれば毒と化す。
     イ先生は悪魔であり、楽園の守護者でもあるのだ。
    「ガソリンで走れば空気が汚れるとわかっていても、ある状況下では最良の方法だと割り切っているでしょう。そういうことだと思ってやってきた。この世界の法と、イ先生の法は別です」
    「誰だってそうだ。俺にだって俺の法がある。だが世界は俺独りのものじゃない。思い通りにはいかんさ」
    「あなたとの間で新しい法を定めれば、僕たちは上手くやれるかもしれないと思った」
    「今の俺とお前とならできるかもな。世界は救えなくても、自分の周りに理想の世界を構築して、そこに救われたい人間を呼ぶのは共同体の起こりとして珍しいパターンじゃない。そういう合理性と構造があるのが人類の常だし、宗教だってそうだろ。そこにクズの私欲と利権が絡むとカルトやマルチになっちまうが」
    「カルトやマルチに人を救う気なんてありますかね」
     白いタオルで身体を覆ったラクは、皮肉を込め『祈りましょう』とブライアンの真似をする。
    「救えると示すが、完全に救ったらうまい汁が出なくなる。吸い尽くして捨てるか、騙し騙し吸い続けるかは組織の体質によるがな。ワン・ネットワークのチン・ヒョンピルだって、目的のためなら慈善事業もした。でも、善人じゃなかっただろ。イ先生の目的は慈善事業の方なのかもしれないが、悪人でも善人でもあるってことだ。俺だって、目的のためなら何でもした。自分を善人だと思えたことはないが、できればそうなりたいと思ってはいる」
     身体を拭き、服を着て、ラクをタオルでくるんで抱え、寝室に運ぶ。
    「懐柔して自首させるつもりもないのに、もの好きですね」
    「懐柔も説教もしてない。質問に答えただけだ」
    「証拠や証言を取るために話すのって、疲れるでしょう」
    「そうでもない。話せば話すほど、必ず得るものはある」
    「僕は――誰かに話を聞いてほしかったわけじゃない」
     お互い絶望的な孤独を知っていると、眼差しだけでわかった。人を信じているわけじゃない。だが、信じたいと思って賭ける。
    「俺とは絶対にわかり合えない部分があるのに好きになったから悔しくて、気になるだけかもしれないぞ」
    「その部分がわかるなら、全部知ってるのと同じじゃないですか?それを知ってなお、もっと知りたいと思ったんです。浸食しようとは思っていないし、僕たちは役目が違うだけ。共生はできるし、側にいて見ていたいと思った」
    「俺はそんなに深くない。勝ち逃げされるのが許せなかっただけだ」
    「あなたは自分で思っているより複雑で繊細な人間ですよ。ゲームにこだわってるのはウォノの方でしょう。何が勝ちで、何が負け?」
    「俺がお前に捕まるんじゃなく、俺がお前を捕まえたら勝ち」
     ベッドに降ろそうとしているのに、ラクはウォノの首に手を絡める。
    「今は?」
    「半々かな。追いつきはしたが、お前の陣地だ」
     流れのままにキスをして、また寄り添って横になる。
     寝ながらもそもそと服を着るラクの、濡れた髪をタオルでかき混ぜる。
    「幻獣を殺しに来た戦士ですね」
    「お前は人里に降りたら消える類だ」
    「僕はどこにでも行けますよ。だって正体が無いんだ。それとも、消えてほしくないから、ずっとここにいたいって意味かな」
    「殺しに来た俺を軟禁しているところだろ」
     種明かしは済んだから、犯罪者と捜査官でいるのはもう終わりだ。
    「日本のことわざで言うなら、ミイラ取りがミイラになるところでしょ」
     ラクはくすくすと笑い、タオルにくるまる。
    「お前がミイラなら、ここは墓か。お前とライカを合わせて、ミイラ作りの得意なアヌビスの山ってとこだな」
    「シェパードは暑さが苦手だし、アヌビスは無理がありますよ」
    「冥界にも寒暖があるのかよ」
    「はは、知りませんけど――壁画の絵は薄着だし、少なくとも寒くはなさそう」
    「確かにな。問題なのはここの温度だ」
    「あなた、きっとゴージャスなファラオの格好が似合います」
    「冗談を言ってる時は可愛いもんだな」
     毒が抜け、健康的な艶を増したラクの笑顔が眩しい。
    「僕も、ウォノのこと可愛いと思います。好きだから」
    「……そうかよ」
     ライカのキラキラした目を思い出しながら、顔の緩みをごまかすように口付ける。
    「芝居は大胆なのに、本当の人付き合いはシャイですよね。逆人見知り」
    「なんだそりゃ」
    「初対面や行きずりの人の前なら何でもできるけど、よく知る相手には慎重な人のことかな。嫌われたくないのかと思ってたけど、好かれたら逃げられないからだ。人を突き放すのが下手だから。チームのメンバーはその距離感が合う人たちなんですね」
     暴かれ絆され、自分の毒気もすっかり抜けてしまったことを知る。
     あながち、ミイラのたとえも遠くない。
    「酔うとあいつらも対処に困る」
    「好かれてますもんね」
    「……眠そうだな」
    「ん……あなたが変な時間に起こすから」
    「今日は色々あったしな」
     そんな呑気な台詞で済むような「色々」ではない。
     平気そうにしているが、実際、ラクの精神的ダメージは大きかっただろう。
     ウォノはラク本人と接していると、不思議とこれまでの恨みも割り切ってしまえた。
     スジョンを亡くした辛さや空しさはまだ不意に襲ってくるが、その感情に近い情が、ラク達へも向いている。
     強敵だったが、国家権力で抑えつけるべき相手ではなく、弱者の側で生きてきた相手だからだろう。
    「もし気が変わっても、ライカの安全だけは保証してくださいね」
    「ああ、約束する」
     冗談で茶化そうとしているわけではない。至って真剣で冷静に、必要な言葉が紡がれる。
     幸福でなくても、せめて平穏に。
     平穏ではいられないとわかっていれば、些細な日常のやりとりが幸福に変わるのだ。
     薬が出来上がった後、キャッチボールをしていたラクたち三人の笑顔が浮かぶ。
    「髪、乾かしてくださいね」
    「俺の?」
    「僕のも。あなたに撫でられるライカの気持ちがわかりそう」
     屈託のない笑顔で幸福そうなラクを見て、ウォノも観念して笑った。
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