Journey 今晩のシチューも絶品だった。
兄妹はウォノがいようが構わず、いつも通り悪態をつきながら賑やかに言い合っている。
即刻追い出さないということは、どうやらウォノを気に入っているようだ。
『おじさん、いつまでいんの?』
『来たばっかり?ビザに困ったら、俺らが何とかしてやんよ』
『あんたじゃなくてラクがね』
「いつまでいます?」
旅の疲れか、ウォノはもう眠そうだ。
落ち着いていても、どこか居心地の悪そうな佇まいはいつも通りだ。
作戦会議中はずっと考えを巡らせている緊張感があったし、事情聴取中も隙はなかった。
やるべきことがない時、悪人の中でそうなのも、警官の中でそうなのもわかるが、多分、子どもや動物の中でも、善人しかいない空間でもそうだろう。
独りの時や、気の置けない友達がいれば違うのだろうか。
「邪魔なら今すぐ出て行く」
「今日はもう無理です。諦めて」
グラスにベリーのシードルを注ぎ、ナッツをかじる。
捜査の間はボロが出ないよう無駄なく話したのが逆に、ラクの発言には全て意味があるのだと気付かれる原因となった。
ウォノには嘘がバレると思ったから、言ってもいい本当のことだけ言って、隠したいことは言わずに隠し通した。上手くやれたと思っていたのに、ライカへの執着から秘密を辿られてしまった。
『これから何すんの?観光?』
『もう殺意はねぇんなら、休暇か?』
「わかんない」
「何が」
一応、ラク以外の三人は質問したい相手に向かって話してはいるのだが、数秒後ちらりとラクを見る。
ラクは特に嫌ではないからいいが、どの言語でも起こる、通訳でもないのに通訳をさせられるパターンだ。それに加えて、双方の言葉を聞いたお前はどう思った?という視線。
完璧な通訳など期待されていないし、ラクの感覚で伝えたくないことは省く。どんな理由で何を省いたかは、そこそこ伝わるメンバーだろう。
「この後どうするか、決まってます?」
ラクには「どうするか」より、この後自分と「どうなるか」が問題だ。
この執着心をウォノが読み解いたら、何が起こるのか知りたい。
憎むのか、拒むのか。受け入れ、諭すのか。
ウォノには想定外でも、多分、無意識に自ら思考の範囲を狭めていたことには気付いたはずだ。ラクを殺すには、自分の感情を封じないといけないはずだが、一度生じた考えは、頭から追い出すことなどできない。無理矢理に押し込めたのに、感極まってしまった。
そこで心を鬼にできるかどうかが、ラクとウォノの決定的な違いだ。
ウォノはそれを理解しても、人間をやめられないだろう。だから惹かれるし、安心して関われる。
自分は生まれつき、鬼に向いていたのだと思う。そして、鬼になっても仕方ないと言い訳できる環境や状況に恵まれてしまった。しかも、自分の手を汚さずに敵を陥れる仕掛けが得意だ。抜け出そうと思えばいつでもセーフハウスに逃げられたのに、そうしなかった。
ウォノの前でなら、人でいようと思える。鬼の顔を見せたくなくて逃げたのかもしれない。秘密だらけの人生を何にも隠さなくていい相手に、出会うのが遅過ぎた。
ウォノはラクの意図する幻術を見破ってなお、受け容れるにはどうすればいいか考え始めているように見えた。
殺意を和らげたのは、ライカの介入も大きい。ブライアンが共通の敵だったこともあるだろう。奴はラクが信じ愛したライカと母親を傷付け、ウォノが気にかけていた少女を死なせた報いを受けた。
ラクが理由なく誰かを傷付けるわけではないと、ウォノは知っている。
悪党が絶滅すればいいと思って毒を撒いていた。ハリムやブライアンのように自分の欲を満たすために他者を害すことを厭わない、暴力的な幸福観とは相容れない。
悪事を止めることには意味があるが、止めたところで必ず幸福が得られるわけではない。
この世の法に従っても報われることがないのなら、誰とも衝突しないところで気ままに過ごす方がいい。
ウォノも、ただ悪事を阻止したかっただけではないはずだ。
もし望むなら、被害者も加害者も、行いを正し善い人間でいられる環境で、幸福に暮らすべきだと思っているのだろう。1%でも良心や善性を見たら殺せないから、ラクはこうして生きている。ラクは、ウォノが少女を巻き込み死なせてしまったことを割り切れず、悔いる姿に惹かれたのだ。
「――そうだな。わからん」
ウォノは何度目かの受容と諦めのため息を吐き、シードルを飲み干した。
兄妹は当事者よりずっと早く、ラクとウォノの感情と現状を読み取る。
容易に嘘はつけない。
『ライフル撃てる?明日、狩り行こ!』
『おっさんの分の狩猟許可がねぇ』
『そこ気にする?もう違法な銃で発砲してんだよ』
『確かに。既に犯罪者だな』
不穏な手振りに怪訝な顔をするも、ウォノなりに彼らの癖や言葉を読み取ろうとしている。状況を観察しながら次の手を考える時の眼差しが好きだ。頭のいい男だ。逆境にも、慣れない環境にも強い。
『捜査の範囲も逸脱してたから、何でもアリじゃん。今だって、本当に警察辞められてるか怪しいし』
確かにそうだ。
決して世間に真実を公表できないとしても、警察組織はウォノの実力を知っている。
優遇や評価はせずとも、都合良く利用するつもりはあるだろう。もしこのままラクたちを捕まえずにいるなら、放置されるかもしれない。でも、捕まえて連れ帰れば手柄とともに復帰できるはずだ。単独行動を取るためにIDを一時的に預けただけで、辞意と決定されるまでまだ充分、余地はある。
『イツダツって何』
『脱法みたいなこと』
『捜査中なら合法だろ』
『合法の範囲を超えることが逸脱』
『なるほど。暴走ってことか』
自分が傷付いても、計画を進めるために賭けに出る覚悟が好きだ。それを愚かなことだと知りながら、それでも捨て身になることを選んだ、知性と理性と感情と、呪いと意地とプライド全部が彼の人間性を表している。
兄妹もライカも、ウォノのそういう臭いを気に入っているはずだ。
頼れば助けてくれると、本能的にわかる。
「ライフルは撃ってたよ――射撃は上手い。さっきは外したけど、多分、どんな武器でも使える」
「何の話だ」
ウォノは潜入捜査ありの麻薬捜査官だ。キャリアは長いようだし、潜入にも慣れていた。若い頃から似たような捜査を嫌になるほど経験してきただろう。
銃の扱いから見て、兵役以上の実戦経験もありそうだ。
薬の名前と犬の関連を確認した時点で秘密の匂いに勘付き、ウォノを助けるためハリムを撃ち抜いた時、ラクが決して小物ではないと確信を強めたのだろう。
自分は途中からウォノを助けることに気を取られ、追及されないのをいいことに、綻びを繕うこともしなかった。
命を助ける度、ウォノは敏感にその感情が動くのを恐れ、ラクを遠ざけようとした。
――お前が俺の命を救うな、罰せなくなる。
――俺を助けることで罪を償ったつもりか。
そんな目だった。
その拒絶はラクへの憎悪では無く、罪への憎悪だ。ラクが良心や善性を伴う情を見せるたび、自らの情に苦しむ様が美しい。
面白がっていたいわけではない。ただその感情を一身に受けたいと願っている。
でもそうなったら、自分がどう変化してしまうのかわからなくて、少し怖い。
『さっきの射撃は痴話喧嘩だったよね』
『喧嘩じゃなくて、プロポーズだよな』
冷やかされるのかと思いきや、ラクをそっちのけで、きゃあきゃあと二人にしかわからない速さで盛り上がっている。
「ライフルが撃てるなら、狩りに行こうって」
ウォノにまた怪訝な顔をされるが、全部は伝えずともいいだろう。
「気分じゃない。許可もないし」
『そこは真面目なんだね』
『警官なんて真面目にやったら、心が壊れて当然だよな』
『なら、薪割りかな。無になれるし』
『そうだな。おじさん、よろしく』
兄妹はそこで立ち上がり、いつものように片付けを始めた。
「ウォノ、旅程が決まっていないなら、とりあえず一週間ここにいるのはどうですか?どこかに泊まるよりは安く、必要な経費はもらいます。滞在中は薪割りと暖炉の係です」
「旅行に来たつもりは無いが――わかった」
少し酔ったのか、ウォノは兄妹を目で追いながら、ぼんやりとそう返した。