お化け屋敷じゃねぇんだぞ!「はぁ…………」
のし、のし、のし。
普段はそんな音なんかする訳無いんだが──え? しないよね? 大丈夫だよね?──今日に限っては絶対に、のしのし言ってる。間違いない。
「っ……ま、まぁ、落ち着きなよ…………仕方ないじゃない、シンヨコなん…………ぶふっ」
おいテメェ笑ってんだろわかってんだからな! くそこのっ……!! こいつの方はなんかあんまり変わってねぇのマジ腹立つな!!
「笑うくらいなら口開くんじゃねぇぞクソ砂ァッ!!!!」
むかついて殴ろうにも、ヌリカベになっちまった俺の腕の可動域は驚く程狭い。肩関節は横方向で固定されてて、前方向への可動は無し。前に動かす為には肘を曲げての運動しかない。しかしこのヌリカベ、不思議な事にコスプレというよりも変身に近いらしくて、ぐるぐる腕を回しても違和感も擦れもなくスムーズだ。足は壁の下辺から生えてるから問題はない。そんな痒いところに手が届く仕様がまぁ、ただただムカつく訳だが。
対するこいつは、所謂ただのお化けだった。白装束に白い三角形をおでこにくっつけてるやつ。あまりに普通すぎて腹立つ。そして何の違和感もない。
その時、ビュンッと強い風が吹く。
「うわっ」
冷たい風は剥き出しの顔面と剥き出しの手足に、ぶわっと鳥肌が立つ。いやまぁ、冬だから仕方ないけどさ。それより何より表面積が広くなってしまったから風が当たるとそこそこ辛い。別に転んだりとか飛ばされたりとかする程じゃねぇんだが、いつもとの差異が酷くてちょっと油断しがちなんだよな。転んだら起き上がるのめんどくさそうだし。昔飼ってたカメも、ひっくり返った時起き上がるの大変そうだった。
それはさておき。さっきから寒いっちゃあ寒かったが、やっぱ風が吹くと格別だな。なんて思った先に、隣でクソ砂が砂になった。
「寒っっっ!!!!」
ぱふっ、と砂になって散った数秒後にはもう既に凝集? し始めてる。飛び散ったら流石の俺も拾い集めるのちょっと困るなと思ったが、この器用貧乏……いや、器用貧弱なクソ砂おじさんこと俺の恋人はそのあたり問題ないように出来てるらしかった。まぁよくよく考えれば『冷たい椅子で死ぬ』ような幼少期だったなどと言いつつ数年間? 数十年間? あの氷の権化みたいな師匠と一緒にいたんだから、そんな言うほど寒いのが苦手な訳ではないはずなのだ。なんせこいつ、冬でもいつもと同じ格好でほっつき歩ってるし。吸血鬼ってそもそも体温が低いから、寒さにも弱いのかもしれない。知らんけど。
「うっせぇ!! もう事務所着くから大人しくしろよおっさん!!」
なんて言ってるうちに、事務所のビルに辿り着いた。そのまま真っ直ぐ歩いて……やべぇめっちゃスレスレだったわ。端の方でドアとの隙間にドラ公を挟んでから、ちょっと慌てた。やべぇな、ドア壊したら弁償かな。家賃八千円だから、下手すると入り口のドアを壊した場合修理費の方が高くつく。払えない訳じゃないけども、なんか馬鹿みたいな気持ちに──────。
「「あ」」
そのエレベーターの入り口は、まるで誂えたかのように、ぴったりした横幅だった。あ、と声が出た時には、すでに遅く。
「………………」
「おい若造」
うるせぇ後ろから声かけるくらいなら押すなり引くなりしろや……いや、この雑魚が押そうが引こうがどうにもならねぇ。それはわかってるんだが……わかってるんだが。
「ハマってるぞ」
「うるせぇわかってんだよ」
殺すぞと言おうにも殴りようがない。なんせドラルクは後ろにいるのだ。手が届くはずがない。足も上手く動かないし。
「えーっと…………腕の人とか連れてくる?」
頼む、と言いかけて、思う。壁の端に感覚が無いのは散々理解しているし、なんなら感覚があればこんなに見事にハマっちゃいねぇ。だけど、この壁の端が壊れたとして、どうなるだろうか? 変身なのだとしたら……戻った時にどうなるか。俺達をこんなにした吸血鬼はというと、とっくにお縄についている。気絶してVRCに運ばれていったが、まだ能力の詳細は分からずじまい。その内治るだろう、という事ではあるが。
それに、このエレベーターの方も心配だった。
もしサテツに無理矢理引っ張ってもらって、俺が無事だったとして、エレベーターが壊れたら? それこそ補修工事など、考えるだに恐ろしい。
「…………いや。まぁ、ほら……多分…………すぐ直るだろうから…………」
小さくなっていく声は、果たしてエレベーターの外のドラ公に届いているのかどうか。
「うむ…………まぁ、君が良いなら良いが……」
無事聞こえていたらしい。俺だって良かないが、仕方ないだろ。色々な被害を考えると、もう少しで済むんなら挟まってた方が遥かにマシ……な、気がするし。
「…………なんだよ」
それにしてもこいつ、何かやけに静かだ。こういう時ってなんか、変な事とか考えてる事が多い……ような。
「いやさぁ……なんかこういうの見た事が……」
沈黙数秒。そして、ドラルクはぽんと手を打った、らしい。音しか聞こえなかったけども。
「くまの」
「うるせぇ誰がはちみつ食いすぎたクマだこの野郎!!!!」
くっそやっぱろくでもねぇなチクショー!! 許されるならここで暴れたい。いや、なんならもう暴れちまおうかな?! つか壊れるとか穴開くとかもう今更じゃねぇか? 床なんかスカスカだし、そもそも床下に一人住んでる時点でもうアウトだろ。
「ってなんでお前そんなとこさすさすしてんの???」
感覚はないとはいえ、着ぐるみの上を摩られている程度にはわかるんだけど、なんだろうな?? 背中というか腰というか……そこは最早尻……?
「いや、これあと少し加減が違えば壁尻だったなって」
「壁尻ってなに……? つか加減てなんだテメェ!!!! 理解は出来んがそれがなんか俺にとって良くねぇ話だって事だけはわかったぜ!! コロス!!!!!! あとで一億回……いや、今コロス!!!!!!! エレベーターもビルも知らねぇ!!!!!」
「いやビル壊すのは今更だが良くないだろう!!!!」
「もう良いんだよ今更だから!! 毎週隕石降ってきたり爆発したりしてるビルに賠償も工事もクソもねぇ!!!!」
「いやあるだろうアホゴリラ!!!! 冷静になれ!!!!」
「どの口が言ってんだっっっ!!!!」
そんな俺の怒りが伝わったのか、それともただ単にタイムアップだったのか。詳細は分からんが、その数分後に変身は解除されてドラルクは無事、完膚なきまでに殺される事になったのが……それはまだ、この時の俺達には予想こそ付けど、預かり知らない未来なのだった。