七月某日、都内某所。
辺りには屋台、川沿いには多くの人がレジャーシートを敷き、今か今かとその時を待っていた。その雑踏から少し離れた神社の階段で、七海と五条は段違いで座っていた。
七海の斜め上に座っている五条は、目の前の雑踏をよそに夏油宛であろうメールを携帯電話で打ち込んでいた。
──花火大会会場範囲内に発生した低級呪霊を祓除。それが今回の任務内容だった。
出向いたのは夏油、五条、七海、灰原の4人で、四手に別れて個々で対応を進めることとしていた。
ただ、いつもこなしている任務よりも簡単なものらしく、昨年同任務を経験した夏油と五条はまるで休日の予定を決めるような雰囲気だった。
「何食うかは当日決めるとして…浴衣どうする?傑」
「浴衣ね…去年は悟の実家の仕立て屋が私の分まで用意してくれたんだよね」
へぇ〜!と関心する灰原を横目に、そんなに呑気で大丈夫なのかと一応聞いてみる。
どうやら毎年依頼される定期任務らしく、現場に行っても苦労することがほとんどないそうだった。とはいえ実際に現場に行ってみないと呪霊の発生具合がわからないので人員を減らすわけにも行かないらしい。
そうだとしても力を抜ききるのもどうかと思うが、その意見は七海自身の胸の内にしまっておいた。
***
「それじゃ、花火の打ち上げ時間が近づいたら一旦集まるようにしよう」
という夏油の言葉を最後に各々の担当エリアに向かった。
が、2人の言った通りのようだった。
人も場所も明るい会場では呪霊はあまり発生していなかった。見つけたとしても等級に当てはまらないほどの低級呪霊だった。
昨年、五条の実家の仕立て屋におろしたという浴衣は、七海と灰原にも着付けられた。黒をベースとしたシンプルなデザインだが、肌触りと形の崩れにくさといい、決して安いものではないと、袖を通して感じた。
それもあって、あまり呪霊の残穢を纏わせたくなかったし、早く帰りたい一心だった。
何度目かの時計の確認で、やっと集合する時間が近づいていたので、七海は周囲に気を配りながらも足早に集合場所に向かった。
***
集合場所に向かうと、五条が一人で神社の階段前にいた。
直属の先輩でもあるためもちろん面識はあるし何度か話したこともある。が、それは隣に灰原がいたときがほとんどで─その時は決まって灰原だけが会話を進めてる─七海自身は五条と多く言葉を交わしたことがなかった。
そんな相手と、一対一。正直気まずかった。何を話そうか、それとも何か理由をつけてこの場を離れようか、と考えている間に、斜め上に座っている五条から「ところで、何体いた?」とふいに声をかけられた。
何体…あぁ、呪霊か、と思い至る。
「…四級以下の小物を三体ほど。…五条さんは」
「俺も大体同じくらい。…やっぱ今年は少ないな」
「…はぁ」
ギリギリ返事に聞こえるようなため息が思わず出てしまった。事前に詳細を聞いていたが、ここまでとは拍子抜けだ。ただ、今回の任務対象は広範囲なうえ、どこであっても呪霊発生のタイミングも会場によって違うらしい。
特級の2人をもってしてもそれは予測しきれない。呪霊があまり発生しない会場もあるというのは聞いていたので、今回はそれなんだろうなと自分で納得させた。
目の前の雑踏が同じ方向に向かい始めた。そろそろ花火の打ち上げが始まる頃合いだろうか。
「…七海はさ、今までに花火大会とか行ったことある?」
再度斜め上から五条に声をかけられる。少し考えてから、「…幼い頃に、両親と一度だけ」とだけ発した。
「…そういう五条さんは去年の任務以外で花火大会に行ったことあるんですか?」
なんとなく、振り返ってみる。
自身の実家で仕立てられたという紺色の浴衣を纏った彼は、白い髪と肌をより一層映えさせていた。サングラスはかけど、縁から溢れそうな蒼い瞳は、突如振り返った七海を少し驚いた様子で捉えていた。
…こういう格好をしていると一段と風格が現れてしまうのは御三家の当主ならではなのか彼が持って生まれたものなのか。彼の目の前を通る人たちも通り過ぎながらも明らかに五条に視線を向けていた。
当の本人はそんなことは気にせず、目の前の七海の問いに対して唸っていた。
「…んー……ない、な。去年はもうちょっと呪霊の数がいて動き回ってたから花火どころじゃなかったし」
「…そうですか」
それ以上交わす言葉が見つからず、そのまま視線を前に戻した。あまりよく知らない相手を詮索する趣味はないが、もしかしたら彼は幼い頃からあまり自由に動けなかったのではないか、と以前からなんとなく思っていた。
相手は御三家の当主だ。大事にされるのは当たり前だし、動いて結果何かあれば由々しい事態だろう。
…が、彼は「五条悟」だ。
幼いときでも並外れた何かはあったんだろうな、と勝手に思考を巡らせていると、視線の先に辺りを見渡す男児が目に留まった。
周りは大人が多く行き交っているが、目線下の男児に誰も目もくれない。
その様子を見ていられなくなり、七海はその場を立ち上がり、男児のもとに向かった。
男児に近づき、彼の身長に合わせて身体を屈める。
「…大丈夫ですか」
七海が声をかけると、男児は途端に泣きそうな表情になり、言葉を詰まらせた。
齢は五、六歳ほどで、身長はおそらく一二〇cm弱。表情と様子を見るに、保護者とはぐれてしまったのだろう。
とりあえずこの場を離れて、迷子を受け入れてくれそうな所に預けた方がいいだろうと、七海は男児の手を引き、人混みから抜け、もといた神社の階段の近くに向かった。
携帯電話で花火大会の運営ホームページで会場マップを開く。幸い、近くに運営テントがあるそうだった。
「五条さん」
少し離れた先にいた五条に声をかけると、五条が階段から降り、めんどくさそうにすり足で七海に近づく。
すると、五条の図体と雰囲気に怯えた男児が、七海の足元にしがみつく。
大丈夫、と言わんばかりに男児の肩に触れつつ、五条に言葉をかける。
「少し、この子を運営テントに送ってきます。ついでに途中で夏油さんか灰原を見つけましたら一緒にここに戻りますので」
では、と軽く会釈してから男児の手を取ったところで「待て」と後ろから五条に呼び止められ、肩を引かれた。
「…俺も行くよ」
そう言い身を屈んだかと思えば、片手で男児を軽々と抱き抱えた。
「ほーら行くぞガキンチョ。俺とこいつがお前のとーちゃんかかーちゃん…かどっちかわかんねぇけど、お前のことわかるやつに見つけてもらえるとこ連れてってやるから」
その言い方は余計に怖がらせるのでは、と思ったが、当の男児の瞳からは怯えた色がすっかり消えていた。おおよそ視線がいつもより高くなり高揚しているのだろう。
五条の意外な一面に驚きつつも、七海は五条に続いて目的地に向かった。
***
「…子どもとか興味ないのかと思ってたよ」
男児を運営テントに送り届け、保護者に受け渡したあと、神社に戻る道途を歩いてる途中で、五条が独り言のように、だが七海に聞こえるようにぽつりと呟いた。
「興味というか…あのまま放っておけないとあの場で思ったのが私が最初だっただけです。…興味、で言うならそれはアナタでは?」
「…俺?」
男児の保護者を待っている間にも、五条は男児を連れて近くの屋台を回っていたそうだった。帰ってきたころには綿菓子が入った袋やヨーヨー、射的で取った景品など、男児1人では抱えきれないほどのものを持って帰ってきた。
子どもの扱いや関わり方をよくわかっているように見えた。
しかし当の五条は自身の頭をガシガシと掻きながら唸った。
「…恐怖は呪霊にとって十分なエサになる。起こり得る事態を避けただけだ。呪いがもとより少ないこの会場で、呪霊が一点に集まらないための手段にすぎない。…お前がガキに気づかなかったらそのまんまだったよ。…わかるか?」
問いかけられたが、正直わかりきらなかったので七海は首を傾げた。
すると、隣を歩いていた五条がすこし足早に歩を進めたかと思えば、七海の前に立ち、ズイと七海に近づいた。
「…だから、……助かった、って話」
近づいてきた彼から、意外な言葉が出てきた。これは、感謝されているのだろうか、と思わず眉間に力が入ってしまう。それは少なくとも疑念だけではなかった。
声をかけた自分ではなく、付き添ってくれた五条が男児を最後まで相手をしていたのを見ていると、余計な事をしてしまったのではないかという後ろめたさを感じていたところがあった。だがそれは決して無駄なことではなかった、と。
「…おかげで、花火見れそうだしな」
神社にもどり、五条が再び先ほどと同じ階段に座った。
「花火……」
そうか、花火。神社の周りには、男児を保護した時間帯よりも多くの人が集まっていた。
ここからでも、よく見えるのだろうかと思いつつ、七海は五条の隣に座った。
ひと呼吸おいたところで、思い出した。
「…夏油さんと灰原、見つからなかったですね」
戻る最中も周りを見渡しながら移動したが、結局夏油と灰原は見つからなかった。
「…あぁ〜…ね」
七海に反し、五条は何故か苦い表情で笑っていた。そんな五条を不思議に思いながらも、七海は「あ、」と思い出した。
「そういえば、五条さんって夏油さんの残穢辿ることってできたりしますか?」
常に隣にいてよく知った相手の呪力なら残穢を辿ることも可能なのではないか。そう思い至った。
「……できねぇこともねぇけど…」
何故か五条はあまり乗り気ではなさそうだった。先ほどからの五条の言動に違和感を覚えていると、開けた夜空から火花が溢れ、周囲が一瞬明るくなってすぐに爆発音が響いた。わぁ、と周囲から歓声があがった。花火の打ち上げが始まったようだ。
周りの歓声と、打ち上がる色とりどりの花火、空気に響く破裂音。
「……もう、よくね?このままで。めんどくせ」
「……………え?」
あらゆる音の中で、ポツリと隣から聞こえた。が、当人は花火を見上げるだけでこちらに視線を向けることはない。
聞き間違い。だとしても、七海にとってはそれがどういう意味なのか分からなかった。初めてまともに見ている花火も、正直それどころではなかった。
自分が知らないだけで、もしかしたら夏油と喧嘩をしていたのかもしれない。それなら確かに合流するのも少し億劫に思うかもしれない、と、色々思考を巡らせたが、先刻の解散前の2人の雰囲気を思い返してもそんな様子には見えなかったのでおそらく違うのだろう。
1つの火玉から、多くの光の雫が夜空一面に散らばっている様子は間違いなく人の心を動かすのだろう。そう、きっと今は自分以外は。
花火の連続打ち上げが一旦落ち着いたタイミングで、ふと隣を見ると、五条が膝を抱えて顔をうずめていた。珍しく小さくなっている五条にギョッとした。
「五条さん?体調悪いんですか?」
肩に軽く触れて声をかけたが、五条は首を振りながらぶっきらぼうに「ちげぇよ」と小さく返した。表情は伺えなかったが、少し声のボリュームが小さいようにも聞こえる。
すると再び夜空から光が溢れ落ちてきた。アサガオのような形、木星に見えるもの、ハート形や星型。様々な形の花火が打ち上がるなかでも横目で視界に入っている五条の頭は上がらなかった。
「…五条さん、やっぱり、」
つい視線を向けた。
その瞬間、膝を抱え、腕から見えた蒼い瞳とカチリ、と視線が重なった。
その蒼い瞳が見開かれた瞬間、素早く腕の中に表情を隠してしまった。
それにつられて七海も五条から視線を外したが、どうしても気になってしまい、バレないように目線だけ五条の方に視線を向けた。
五条の表情は、はっきりとは見えなかった。が、目線は前を向きつつも、口を尖らせながら言葉をつぐんでいた。
七海は夜空からの雫の光により淡く染まる五条の姿から何故か視線が離せなかった。
「………綺麗ですね、花火」
誤魔化そうと思い発した言葉だったが、かえって自分の言葉でいたたまれなくなり、後悔した。
消えゆく光を横目に、芽生えた何かに気づいてしまったからだ。