こーせん七五♀ なぜですかと問う声は震えているしあからさまに責める口調だ。七海は自分で聞いて、ちっとも冷静になれない自分に舌打ちをした。あれほど、事前に、どう会話を進めれば良いか、シミュレーションをしたと言うのに。
目の前の五条の顔からは血の気が引いている。いつも自信満々なこの人の、こんな頼りない表情など、七海は初めて見た。寮のベッドの上でぽつりと座って、かすかに震えているようにも見える。手に持ったスマートフォンをつかむ指は強ばりすぎて真っ白だ。
夜中に先輩の自室に訪ねるなんて七海はしたことがない。いくら普段は教室で喧々囂々と言い合いしていても、体術の授業では取っ組み合いをしていても、任務の際には命を預けるような場面があっても、五条は先輩だと言う以前に、年頃の女性だ。無闇に超えてはならない一線はある。
だけど、七海は今夜、悲壮な覚悟で五条の部屋を訪れた。どうしても問いただしたいことがあった。
五条のスマートフォンの液晶は今は真っ黒だ。たけれども七海はついさっきまでそれをどういうふうに使っていたのか知っている。
「これ、五条さんですよね」
七海が突きつける、七海のスマートフォンに表示されているのは、SNSに投稿された写真だ。女性が写っている。首から下だけの構図だが、体つきや白い肌から、まだうら若い女性だと察せられる。華奢な手足は熟しきる直前の青々とした若さに溢れている。体つきは細身ながら鍛えられていて、すわアルテミスの彫像かと神々しいほどに、見れば見るほど細部まで美しい。
その高貴で清純な処女性に満ちた肢体を惜しげもなく晒し、更には卑しいポーズまで取っているのは、痛々しいギャップだ。
五条は黙ったままだが、それは十分に肯定の態度だ。
七海がこのアカウントに気づいたのは偶然だった。接続場所が近いと言うだけでオススメユーザーに表示されたのがきっかけだ。
七海はすぐに、これは五条ではないかと疑念を持ったが、信じたくない気持ちや、もし間違っていた場合にとんでもなく失礼な勘違いをしたことになること、その上性的なアカウントを常時見ていると片想い中の年上の女性に知られてしまうことなどから、なかなか切り出せなかった。けれど、今夜アップされた写真は、わずかだが特徴的な髪が写り込んでいたし、背景は見覚えのある寮の壁だったものだから、矢も盾もたまらず部屋に押しかけたわけだ。
七海は、咎める口調でどうしてと訊ねた失策を悔いた。それから、できるだけ、平静な声を出すよう努力した。
「責めているわけではありません」
七海もひととおり、悩み考えたのだ。この写真の人物が五条本人であるかどうか、から、なぜこんなことをしているのかまで。
五条は強く自由だ。だから誰かから脅されたり強制されてやっている可能性は低い。
金銭的な面でも困ってはいないはずだ。
だとしたら、そういう性癖なのか、もしくは存外性的にも自由で出会い目的でやっているのか……。
「ただ、私は……」
未成年が。だが五条は十六歳を超えているのでもう結婚できる年齢だ。現に、何度か見合いをしたと言う話も耳に入っている。
やめてほしい。恋人でもなくただの後輩に、そんなことを言う権利などない。
知らない男になんて見せたくない。これこそ恋人でもないのに、夜中に突然訪ねてこんなことを言い出すなど、五条の方からすればドン引き案件だろう。
「……もったいないと」
蒼白で黙りこくっていた五条は、さっと顔を上げた。
「もったいない? どういう意味?」
「あ、いえ……きれいなので」
「は?」
「だから、その、こんな簡単に見せては、もったいないでしょう」
「簡単じゃねーよ! つかオマエ、もったいないと思うのかよ! ヒトにさんざん魅力がねーって言っといて!」
「……そんなこと言いましたっけ?」
五条の真っ青だった顔はみるみる真っ赤になった。強張っていたくちびるはへの字に曲がって、呆然としていた目はくしゃくしゃになって、
「え、あの……」
七海は狼狽えた。あのいつも気丈な先輩が、ぼろぼろと涙をこぼしはじめたからだ。
「おっぱいがおっきい子が好きって言ってた!」
まったく身に覚えがなくて思考停止しかけたが、踏みとどまって瞬発力をふんだんに振り絞り、記憶を振り絞り、七海は反論した。
「先日の灰原との会話を聞いていたんですね? 違います誤解です、女性は大きい方が好みだと言いましたが、おっぱいではありません! 身長の話です!」
「黒髪が好きって言ってた!」
「黒が似合う人と言いましたが黒髪とは言ってません!」
「セクシーなタイプが好きって言ってた!」
「くちびるが色っぽい人とは言いました!」
「どーせ僕は童顔でおっぱいもちっさいし、髪の毛も」
五条は嗚咽で咽せはじめる。顔じゅうぐちゃぐちゃにして、鼻水をすすって、ゲホゲホと咳き込みながら泣くので、駄々っ子が遮二無二泣いているようにしか見えない。泣き顔なんて、ちっともセクシーではない。
七海はしょうがなく、緊張感のある距離を空けていたのを解きほぐして、近寄って、五条の隣に座り、背をさすってやる。丸めた背骨が手のひらにごりごりと当たる。
「それでなんで、こんな写真をネットにアップしだしたんですか」
「だって、褒めてくれるもん〜」
「そりゃそうでしょうよ」
「童顔でもセクシーじゃなくてもちっさくても、オマエは好みじゃないって言うけど、褒めてくれるもん〜」
「好みじゃないなんて言ってないでしょうが」
七海はべそべそと取り乱す先輩の背中を撫でながら、とんでもないなと軽く絶望した。七海の好きな人は、立ち聞きして、誤解して、自信喪失して、こんなことをやらかしていたらしい。とんでもない。
「あの……私は、五条さん、アナタのことを、……魅力的だと思っていますので、どうかこんなことはもうやめていただけますか?」
五条は泣くのをやめて、キョトンと青い目を見開いた。まばたきでびしょびしょのまつ毛の水分をはらって、七海を見つめた。それから、
「ウソだー、やめさせたいからムリにミリョクテキだとか言ってるー」
とまた泣き出した。
「なんでそうなるんですか!」
七海は天井を仰いでため息をつく。相変わらず続く嗚咽はそのまましゃっくりになって、七海は引き続き背中を撫で続ける。
こんな流れで告白するのなんてとんでもない。けれどもうそうしなければ場が収まらない。その上、誠心誠意に言葉を尽くしても、この駄々っ子は「ウソだー」と言い続けるに決まっている。
七海はまた大きなため息をついた。さっさと告白しておけばよかった。ネットに流れた写真を思うと本当にもったいなくて腹が立つし、告白するにしたってこんなどさくさ紛れにだなんて非常に不本意だ。
けれどもう、早く泣き止ませたいのも本音のうち。
背中を撫でていた手で肩を抱く。同胞にするような気安いやり方ではなく、繊細に、大切に、できるかぎりに愛を込めて。