「絵が得意ならよかったのに」 ――見えてはならないモノと目を合わせてはいけない。
誰かに教わったのか、それとも生存本能によるものか。
物心が付くより前に少年に刻まれていた生きていく為の術であった。事実、少年はずっと平穏に生活していた。
あの砂塵の中で悪魔と目を合わせるまでは。
「……どうせなら、最初はアオガミがよかったな」
『少年、何かあったか?』
「タイミングが悪い悪魔だなって再認識してた」
青く輝くブレードに纏わり付く赤色のマガツヒを振り落としながら、ナホビノが答える。
ベテル日本支部への道中、少年とアオガミの視界に映り込んだのは黒色の翼を持つ悪魔。
某雪の妖精のように都内を観光をするだけならば、少年は見逃すつもりであった。しかし、念の為に監視として仲魔を召喚するより先に彼は見てしまったのだ。悪魔が口元ににやりとした笑みを浮かべたのを。何より、その獰猛な視線の先に縄印の制服を着た生徒がいる光景を。
瞬間、少年の脳裏に浮かんだのは砂塵の景色である。雷が轟かなければ、間違いなく殺されていた己の姿だ。
だが、既にその悪魔の姿はない。彼は既にマガツヒと化して宙に霧散した。
少年の――ナホビノが警告をした結果、悪魔ことダイモーンは自らナホビノに斬りかかってきたのだから。
『確かに、君の言う通りだ。だが、そのお陰で犠牲者を出さずに済んだ』
「そうだね」
認識の相違は敢えて否定せず、ナホビノは頭上を見上げる。ビルの隙間から見える青空の色はダアトのどの空とも違う。ここが人間の世界である証であった。
「越水長官に何か言われるかな」
『安心してくれ。私が既に報告済みだ。君の手を煩わせる事は無いだろう』
「ありがとう、アオガミ」
『当然のことをしたまでだ。君も私も』
「うん」
青き神は会話を交わしつつ、昼間でも昏い路地を進んでいく。
彼の動きに合わせてびくりと身を震わせる影を視認するも、ナホビノは振り返ることはしない。
――見えてはならないモノと目を合わせてはいけない。
そう教わったのはナホビノではない。少年だ。
だからこそ、彼は気づかぬ振りをし通し、大通りへと出ずにビルの屋上への跳躍を選んだ。この場で合一を解けば確実に"目撃"されてしまうからだ。
『少年、ナビゲートは必要だろうか?』
医科学研究所まで神の姿を保つと把握したアオガミが問えば、ナホビノは素直に頷くのであった。
「頼んだ」
『任せてくれ』
頻発する凶悪事件。
SNSでも話題の事件を取り上げれば、注目を浴びられるのは間違いない。その思いだけで動き、路地裏へと足を踏み込んでいた縄印学園の生徒はやっと息を吐き出す事が出来た。先ほどまで彼の直ぐ傍には人ではないモノ達がいたのだから。
慌てて大通りまで駆け出し、人混みに紛れながら彼は自身の携帯端末を開く。未だに震える指先で最新の動画を再生するが、そこに映っているのは己の荒い息だけが聞こえてくる誰もいない路地の光景であった。
がっくりと彼は肩を落とす。
――スクープを撮影し損ねたことにがっかりしているのか。
――あの青き姿を残せていないことにがっかりしているのか。
どちらに対する落胆であるかに、気づくことなく。