insomnia ――少年には忘れられないモノがある。
一つの躰を無理矢理二つに分け隔てられた恐怖。"彼女"の心臓を貫いたときに触れた体温。それらは、常に少年に寄り添う情景だ。殊に夢の中では鮮明に再現され、その度に少年は息を飲みながら覚醒するのである。
カーテン越しに室内に差し込む光は淡い。大凡、午前5時手前だろうと少年は察せられるようになっていた。午前7時が起床時間であった少年には早い時間である。今日もまたダアトを駆け巡る予定であることを踏まえれば、体力の為にも再度睡眠を摂るべきだ。けれども、少年は眠れそうになかった。
(心臓が、酷く五月蠅い)
なんて傲慢な文句なのだろうと、少年は唇を噛みしめる。
己が"不眠症"を患っていると彼は自覚していた。病院に行くべきであるし、それこそ自分が現在所属している組織の研究者に相談すれば一足飛びで薬を処方して貰えるだろうと。しかし、少年はそれを望まなかった。
――少年の目前でゆっくりと鳴動する赤色の輝き。
そっと、少年は己に寄り添う半身の体に手を伸ばす。睡眠が必要ない神造魔人。その彼が、少年と共に生きるために選択してくれたスリープモードの姿。輝く黄金の双眸は瞼に隠され、アオガミの体躯を走る赤色のみが少年を照らしている。
(本当に、なんて傲慢なんだろう)
アオガミに一層身を寄せながら、少年は瞼を閉ざす。
瞼越しでも分かる赤色。アオガミが生きている証の色。
この色に少しでも長く触れていたいが為、少年は治療を望まなかった。酷いエゴだと自覚していても。
「ありがとう」
だからこそ、少年は小さく呟く。
スリープモードと謂えども、少年の変化に気づかない筈のアオガミ。そんな彼が瞼を開けず、己の症状に口出しをすることもなく、寄り添えばそっと背中を撫で、それでも"寝ている"ふりをしてくれるのだから。
「ありがとう、アオガミ」
狡いと分かりながらも言葉を紡ぎ、少年はアオガミの手を握る。躊躇いながらも、ゆっくりと握り返される冷たい指先の感触に少年は一筋の涙を零すのであった。
時刻は早朝、午前4時58分。
彼らが素知らぬ顔をして朝の挨拶を交わす時間は、午前7時。
その時までふたりは静かに――寄り添い続けるのだ。