【ヴェラン】「唇で確かめて」 届いた手紙をペーパーナイフで綺麗に開封する。
ペーパーナイフは、持ち手に繊細な細工が施された美しいものだ。
これは幼馴染みのヴェインから、「副団長に任命されたお祝い」として贈られたもの。
当時一兵卒だったヴェインは、まだそんなに給金をもらっていなかっただろうに、「ランちゃんも、これから封を開ける機会が増えるだろ。だから」と奮発して銀細工のペーパーナイフなんて高価なものをくれたんだ。
「まあ、ランスロットは、仕事のお手紙よりラブレターを開封する機会の方が多いかもしれないけど!」
なんて言いながら。
ヴェインは本当に気の利くヤツだよな。
確かに副団長に就任してから、使用機会がぐっと増えた。
白竜騎士団の団長になると更に増えたが。執政官も兼任するようになると机上は封書だらけになったんだよな。
騎士団長に就任したばかりの頃は、地方遠征で王都を離れていたヴェインから届いた手紙を、貰ったペーパーナイフで開封する時間が何よりの楽しみだった。
このペーパーナイフが随分活躍するほど、ヴェインは手紙を送ってくれたのだ。
プレゼントされてから数年経つが、しっかり磨き、大切に使っている。
本日届いた空色の封筒から、同色の便箋を取り出すと、そこには見慣れた字で近況報告が綴られていた。
『ランスロットさん、ヴェインさん、お元気ですか』という書き出しの手紙は、以前世話になった騎空団の仲間からだ。蒼い髪の少女は、定期的に手紙を送ってくれて、仲間たちとの日常を喜びの気持ちと共に教えてくた。
「ふふっ、ルリアたちは元気にやっているみたいだな。ジークフリートさんも」
かつてこの国で騎士団長を務めていたジークフリートさんは、現在ルリアたちと騎空艇に乗って、空の旅に出ている。ルリアは、特にジークフリートさんについて、詳しく書いてくれるんだ。
俺の恩師でもあるジークフリートさん。
俺に騎士の全てを教えて下さった方だ。俺が誰より尊敬する騎士で、憧れの人だった。
ジークフリートさんは、定期的に祖国フェードラッヘの様子を見に来てくれるのだが、ここ半年は姿を見せて下さらない。
「元気そうではあるが……」
手紙の内容には、ルリアたちと数々の依頼をこなしていると書いてある。
『大きな熊さんを退治したら、熊殺しっていう怖い異名を付けられたんですよ! でもジークフリートさんは懐かしい呼び名だなって言ってました!』
「ふふっ、そんな異名もあったな」
久々に手合わせを願いたいと思いながら、手紙を読み進めていくと、最後に『月末にジークフリートさんがフェードラッヘに帰るそうです』と綴られていた。
「なに 月末って、もう明日じゃないか」
事前連絡もなく来ることが多いから、連絡があるだけマシだが、急すぎる。
迎える準備をしなければ――主に、俺の執務室の掃除だが!
室内を見渡すと、目を逸したくなった。
「ヴェイン……は、今、視察に出てるな。戻りは夕方か」
疲れて帰ってくるところ申し訳ないけれど、部屋の掃除を手伝ってもらおう。
俺は片付けが苦手で、ヴェインがいないと人を迎え入れる部屋に出来ない。ヴェインはなんと掃除の天才だからな! 掃除も完璧だが、人をもてなす心も完璧だ。ジークフリートさんが来ると知れば、美味しいケーキを焼いてくれるだろう。頼りになる幼馴染みをもって嬉しいぞ!
「そうと決まれば、他の仕事を片付けておかなければな!」
書類の決裁を終わらせておこうと猛然とペンを走らせた。
「ん~、何を食おう……」
書類を片付けたところで腹の虫が鳴り、俺は食堂へ向かっていた。
城の食堂は、ヴェインの料理には負けるが、騎士の士気を保つ美味しい料理の出てくる場所だ。
昼はとっくに過ぎているので、騎士の姿は疎らだった。俺が食堂へ足を踏み入れると、団員たちは挨拶をくれる。
彼らは鎧を脱いだ隊服だったので、今日はもう上がりなのだろう。大分寛いだ様子で話に夢中になっていた。少し離れた場所へ座っていても、彼らの話は丸聞こえだ。
まあ、いわゆる『恋バナ』というものらしいので、それは盛り上がるか。
なんせ騎士団は男だらけだ。女性に接する機会は少なく、チャンスは逃したくないのだろう。
ああだこうだとアドバイスやら、作戦やらが筒抜けだった。
ひとりの男がとある商人の娘に一目惚れしてしまったらしい。うん、定期的に陛下の元へくる商人が、時々ひとり娘も連れて来る。
とても美しいと評判の娘だった。
「亜麻色の髪、透き通る肌……、俺と目が合うと微笑んで下さって……、次はいついらっしゃるだろう。ひと目でいいから、その姿を拝見したい……」
どこかうっとりとした声は、彼女の姿を思い浮かべているのかもしれない。
「そんな消極的でいいのか? 他の男に取られちまうぞ!」
煽るような声に、男は慌てて否定する。
「取られるとか、取られないとか、そんなんじゃないよ。俺は、令嬢に憧れているだけだ」
恋人になりたいとか、おおそれた思いは抱いていないと必死な様子の男へ仲間たちは更に煽り始める。
「嘘つけ。その顔は恋する男の顔だろ! 姿をひと目見たいって?」
「……ああ」
「言葉を交わしたいって?」
「ま、まあ……」
「出来たらひと言じゃなく!」
「うん……」
男は他の団員たちに囲まれ、いい話のタネにされているようでもある。
「憧れ」ではなく、それは「恋」だと断定され、令嬢に近づく作戦会議が始まっていた。なんせこれまで柱の陰から姿を拝むだけで、まだ名前も知ってもらえていないとか。
「憧れだから、姿を拝めるだけで良かったんだ……」と顔を赤くしていた。
『憧れ』か。
俺には憧れる女性などいない。尊敬する女性は数多くいるけれど。当然、恋する女性もいなかった。
この年になって、好きな女性のひとりもいないとは困ったものだが、こればかりは仕方ない。縁がないのだから。
『憧れの人』はいるけれど……女性ではなく、勿論、ジークフリートさんだ。
ジークフリートさんに初めて会ったのは、入団試験の時だった。
他の試験官とは纏う空気がまるで違っていて、鋭い視線に射貫かれそうだった。ゆったりと試験会場を見渡していたが、全く隙のない動きで、それはとても野性的だと思ったんだ。
試験に合格し、剣戟を振るうジークフリートさんを間近で見た時は、震えが止まらなかった。
休暇で村に帰った時、「騎士団に凄い人がいる!」と感激をヴェインに報告したものだ。ヴェインにもジークフリートさんの凄さを見て欲しくて、入団試験へ向けて勉強を教えるのにも力が入った。
「ランちゃんは、ジークフリートさんに夢中だな」
ヴェインは俺の話を相槌を打ちながら聞いてくれて、早くジークフリートさんの凄さを共有したくて堪らなかったんだよな。
今ではしっかり共有出来ている。
ジークフリートさんは剣の腕も立つけれど、『平民出身』と俺を見下すことのない公平な目も持っていた。騎士団に入団してから、身分で差別を受けてばかりで、誰に対しても公平でいるジークフリートさんには、人間としても憧れた。
そして彼のように、国の為、王の為にある騎士になりたいと思って、立派な騎士になる為の教えを請いたくて、話をしてみたくてジークフリートさんに……ん?
あれ?
先程から聞こえてくる男の『憧れ』と俺の『憧れ』は似てないだろうか? どこか違いはあるか?
ひと目姿を見たいと思い、言葉を交わしたいと思う。
ジークフリートさんの姿を探して、言葉を交わす機会を窺って――俺も同じことをしていた。
「それは恋だ!」と断定されていた団員。
これって……、俺の取っていた行動って、もしかして恋する男の行動だったのか
俺はもしかして、ジークフリートさんに恋をしていた?
「――どう思う、ヴェイン」
「どうって」
ヴェインが視察から戻ったところを掴まえて、執務室へ拉致してきた。
俺は扉を閉めるなり食堂で聞いた話と、自分のジークフリートさんに対する行動を照らし合わせ、「これは恋じゃないか」と問うているところだ。
何故、ヴェインに聞くかって、俺が恋愛経験皆無だからな!
子供の頃から小さな村で育ち、村の子供たちは全員兄弟みたいなもので、特別に思う相手なんていなかった。騎士団に入団してからは、周囲は男だらけだったわけだし、恋する機会はなかったんだ。
特別な人が出来る機会などなく――ヴェインは親友で、ずっと俺の特別ではあったけど――どんな気持ちが恋なのか俺には分からない。
ヴェインは俺の問に髪を掻きむしるような仕草をしてから、答えてくれる。
「『恋か』って聞かれたら、俺ははっきり『恋じゃねえ』って言いたいけど」
なんだかヴェインは少しむくれているようだ。俺が無理矢理連れてきたからか。
戻って早々、休憩も出来なかったもんな。腹が減っているのかもしれない。
だが、頼れるのはヴェインしかいない。ヴェインは俺より恋愛経験がある。
以前、『好きな人がいる』と言っていたから。
その時は、とても驚いてしまって――だって、ヴェインは俺の弟みたいな存在で、いつも一緒にいて、ヴェインの交友関係だって全部知っていたはずなのに、彼の好きな人に全く心当たりがなかったから。
ヴェインをよく知っているつもりが、知らないことがあったんだ。
そして、ヴェインが俺に話さないことがあるのだと知ってしまった。
俺は机上に置いているキャンディーポットから飴玉をひと玉取り出して、ヴェインの口へ運んだ。疲れた時の糖分補給用の飴玉をそのまま指先で口の中へ押し込む。
「むご……っ」
ヴェインには後で夕食を奢ろうと思いつつ、それまではこの飴玉で空腹を我慢してもらおう。
「ランちゃん、俺、腹減ってるわけじゃ……、ウマいな、コレ」
「ふふっ、だろ?」
俺のお気に入りだ。特別甘い。
「しかし、やっぱり、『憧れ』と『恋』は別物か?」
「そりゃあ……、別じゃねえの? 憧れが恋になったり、憧れも恋も同時に存在したりもするけど」
「ふうん」
流石、俺より経験豊富といったところか――ちょっと面白くないけど。俺の方がお兄ちゃんなんだぞ!
ヴェインが言うなら、俺のジークフリートさんへの気持ちは、憧れなんだろうな。
「でも、ランちゃんの気持ちは、ランちゃんだけのものだから。ランちゃんが『恋なんだ』って思ったら、それは恋だと思う」
「……ふうん?」
じゃあ、俺はジークフリートさんに恋をしている?
俺はジークフリートさんのようになりたかった。憧れていた理想の騎士だ。
強く、優しい。
今も俺の理想の騎士で、追いついて、追い越したい。そして、憧れているだけじゃなく、ジークフリートさんのことだって導いていけるような、そんな騎士になりたいんだ。
昔はジークフリートさんに近づきたい一心で、彼の周りをウロチョロしていたな。
ジークフリートさんが個別に指導してくれるのは、とても嬉しくて、誇らしかった。一刻も早く、立派な騎士になりたかった。――と、思っていたけれど、そうじゃなくて、彼に恋をしていたから、近づきたかったのか?
「ランちゃん、なんでそんな『納得いかない』って顔してるの」
ボリボリと飴を噛み砕く音がする。ヴェインこそ、なんだか不満そうな顔をしているが。俺のお気に入りを味わわないで噛み砕くなんて。
「いや、恋ってこんなものなのかなと」
団員が見せていた頬を染めた姿を思い浮かべる。相手を思っているだけで、幸せに蕩けた顔だったな。
じゃあ、今俺は蕩けるような顔をしてるのか? いや、『納得いかない』顔をしてるんだった。
「難しいな」
境界線が分からない。
「……他にも、『憧れ』と『恋』の見分け方、あるけど」
ヴェインは俺の執務机へ腰掛け、机上に置いたままのペーパーナイフを手に取った。
「大事に使ってくれて、嬉しいぜ」
「当たり前だろ。お前がくれたんだから」
ヴェインが俺を想って選んでくれたものだ。
いつだってヴェインは俺のことを考えて贈り物を選ぶ。ペーパーナイフを選んだのは、俺が手紙を開封する時に、手で破っているのを目撃したからだろう。
いつも散らかっている机上で鋏を探す手間を省いていた。だから、ペーパーナイフを贈れば大切にすると思ったんだろ?
片付けが苦手なズボラな俺だって、ヴェインがくれたものだけは、いつも大切にしているんだ。
「ランスロット」
ヴェインはペーパーナイフを戻すと、姿勢を正し、俺の前まで歩いてくる。
「ヴェイン?」
なんだか雰囲気がいつもと違うぞ?
「俺は子供の頃からランちゃんをカッコイイって思ってる」
「知ってる」
今だってことあるごとに「ランちゃん、カッコイイー」って言ってくれるだろう。聞きなれた言葉だ。お世辞じゃなく、心からの言葉なんだって感じているぞ?
「ずっと、ランちゃんに憧れてる」
「……うん」
それも、知っている気がする。
ヴェインは誰より俺のダメなところも、弱い部分も知っていて、それでも、憧れていると言ってくれるんだな。
なんだか改めて言われるのは、くすぐったい。ヴェインに憧れられる男ではあるわけだ。
「でもさ、憧れだけじゃないんだ」
……うっ、分かるよ。
ヴェインは俺のダメなところを見過ぎている。
それにヴェインは別に俺になりたいわけじゃないだろ。俺がジークフリートさんのようになりたいと憧れていた気持ちとは違うんじゃないか。
俺はジークフリートさんの構えを真似たりしたけれど、ヴェインは俺を真似たりしないもんな。
「『憧れ』と『恋』の区別なんて、本当はカンタンだぜ、ランちゃん?」
「そうなのか?」
「うん。俺は、ランちゃんにキスしたいなあって思ったから」
「ふうん……?」
なるほど。
腕を組んで考えに耽る。
憧れの相手には、『触れたい』なんて思わないってことか。確かにな。
俺はジークフリートさんとキスしたいなんて、これっぽっちも思わない。
キスしたいとか、触れたいとか、そう思ったら、それが恋なのか。
それなら俺は、ジークフリートさんに憧れていて、やはりまだ恋を知らないんだ。
ヴェインは知っているというのに――。
「………………ん?」
待て。今、ヴェインはなんて言った。
組んでいた腕を解いて、勢い良く顔を上げると、エメラルドグリーンの瞳と視線が合った。
いつも俺を見ている優しい色合いだ。
「じゃあ、ランちゃん。俺、ちょっと飯食ってくるから」
「あ、うん。付き合わせて悪いな」
「掃除は後で手伝いにくるからな!」
「頼む」
朗らかな笑顔を見せて、手を振りながらヴェインが部屋から出て行ってしまう。
俺は腰から力が抜けてしまう感覚に襲われて、机にもたれ掛かった。なんとか自分の体重を支える。
「なんだって……?」
ヴェインがとんでもないことを言った気がする。
『俺は、ランちゃんにキスしたいなあって思ったから』
つまり
ヴェインの好きな人。
――それは、もしかして俺なのか?
唇に触れたいって思うほど?
「……待て、ヴェイン。言い逃げ、するな!」
朗らかに笑いながら、敵前逃亡するなんて! いや、俺は敵じゃないが!
もう一度、はっきり聞いて、確認したい。聞き間違いじゃないよな?
俺とキスしたいって言ったよな?
足に力を入れ、執務室を飛び出した。そのまま誰もいない廊下を走り、すぐにヴェインの背中を視界に捉える。追いつける!
ヴェインはまだ俺に気付いていない。
そのまま気配を消してヴェインの背中を目指した。
いつの間にか逞しく、広くなった背中に負ぶわれたのはいつだろう。鍛え上げられたヴェインの身体に憧れた時もあったけど。
その背中は、俺を支える為に鍛え上げたと知ってから、憧れるのはやめた。憧れなくても、俺の為の背中だって知ったから。
ヴェインは振り返らずに自分の執務室へ向かっているようだ。
このまま、さっきの言葉を有耶無耶にするのだろうか。それは困る。
掴まえたい。
逃がしたくない。
――背中に、触れたい。だって、俺のなんだ。
瞬間、俺は床を蹴り、空中を舞った。
「……掴まえたっ!」
「うわー ランちゃん」
全く気配に気付いていなかったヴェインが大きな声で叫んだ。彼の背中に思いっ切り飛びつくと、ヴェインは俺の体重なんか、難なく支えてしまった。
流石、鎧ごと俺をおんぶすると言うだけあるな!
「ラ、ランちゃん どうしたの」
背中にしがみついて離さない俺の顔を見ようと、身体を捻っているのが分かる。彼の動揺が手に取るように伝わって来た。
鎧越しでは確認出来ないけど、脈も速くなっているだろう。
俺はヴェインの背中に額をくっつけて、腰に腕を回しながら考えていた。
一度触れてしまったら、離れがたくて、どうすればいいのかと。
そういえば、子供の頃からヴェインと手を繋ぐのが好きだった。他の友達と手を繋ぐのは嫌だったのに。
一緒に眠る時も、ヴェインを抱き枕にしていたし、ヴェインに触れていると安らぎを得られて、彼だけが特別な存在だった。
そうだ。ヴェインだけが、ずっと俺の特別だったじゃないか。
もしかして、俺はずっとヴェインを好きだったのか?
憧れも、恋も、親愛も区別がつかないくらいに。
きっと、全部ヴェインが相手なのかもしれない。
腕の力を弱めて顔を上げると、ヴェインが俺を見つめていた。エメラルドグリーンが揺れている。
泣いてしまうんじゃないかと思ったが、それどころじゃないようだ。
ヴェインも、今、確かめたいと思っている。
「ヴェイン」
「ランちゃん……」
確かめたい。
憧れと恋の違いを。
確かめる方法なら、あるんだろう、ヴェイン?
「カンタンなんだよな?」
囁いて、ヴェインの肩に手をのせると、彼の顔が近づいてくる。
ゆっくり近づいて、こんなに近づくのは初めてだな。そうでもないか?
そっとヴェインの唇が俺の唇に触れ、甘い飴玉の味が広がった。