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    Jeff

    @kerley77173824

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    Jeff

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    再会を祝して。
    徐々にかけがえのないものを見つけていく、不器用な二人の旅路を追ってみたいです。

    #ラーヒュン
    rahun
    #ヒュンケル
    hewlett-packard
    #ラーハルト
    rahalto.

    Aurora 底なし沼のようだった闇色の視界が波打ち、形を変え始めた。
     淡い蛍光が脳裏に点滅し、徐々にピントが合ってくる。
     
     目に入るのはとっくに溶け切った蝋燭と、埃だらけのタイル。木でできた直線が数本。――ベッドの足だ。
     這いずりながら体勢を変え、肘をついて起き上がる。
     全身が痛い。いつから床に転がっていたのかよく覚えていない。
     散らばった酒瓶をどんよりと見やる。強い酒の匂いに混じって、何とも言えない異臭。
     自分の匂いだと気づくまで数秒かかった。
     汗まみれの下着は月明りでも分かるくらいに染みだらけで、長髪は絡まりべたついている。
    「戦士たるもの、常に清潔、勤勉であれ。これは理想ではない、命を守る手段だ」
     師であり父である、偉大なる竜の騎士の言葉が耳に響く。
    「必ず水浴びを。衣服は己の手で管理せよ。むやみと顔や体に触れるな。汚濁は肉体と精神を侵し、時には死に至らしめる。よく覚えておけ」
     今まで、教えを守らない日は一日たりとて無かった。ヒュンケルと旅に出てからも、それは変わらなかった。

    ◇◇◇
     
     ――お前の几帳面さには頭が下がる。
     と、彼の相棒、ヒュンケルが揶揄った。
     ――よくも毎朝毎晩、判で押したように同じく身支度が出来るものだな。
     ――貴様が雑なのだ。よくこんな不規則な生活で生き延びていたものだ、運のいい奴め。
     ラーハルトがそう言ってやると、
     ――確かに、
     と、ヒュンケルは急にしんみりと遠くを見た。
     ――俺はきっと、運がいいんだ、本当は。
     お前と出会えたから、もうしばらく生きられそうだしな。
     そう言って、また笑った。

    ◆◆◆
     
     どうにか立ち上がって、室内を確認する。
     気高き半魔の戦士、陸戦騎ラーハルトのために王宮があてがってくれた一室で、広さだけならばヒュンケルの居室よりも広い。繊細なつる草の紋様で覆われたその床一面に、食べ残しやら割れたグラスやらが飛び散り、旅の荷物も散乱したままだ。
     手近な瓶を持ち上げてみる。ひどく強い酒が空っぽだ。一体どれだけ飲んだのだろう。
     恐怖に駆られて。
     ――最初からこんな状態だったわけではない。十日前、相棒を担ぎこんだ時には、まだ冷静で楽観的だった。
     ヒュンケルが倒れたのはこれが初めてではない。きっとなんとかなる。
     だが、城の僧侶や医師の表情は、予想以上にこわばっていた。
    「ここ数日が勝負でしょう」
     と、治療団の一人が率直に宣告してくれた。
    「……そんなに悪いのか」
     動揺は微塵も示さず、淡々と問い返す。
    「あの発作は初めてではないですね?」
    「旅の途中、何度か動けなくなったがすぐに回復していた。今回はさすがにおかしかった……食事を受け付けないので、本人をなだめすかして帰還したのだが」
    「賢明な判断です」
     若い僧侶は眉ひとつ動かさずに言った。
    「あと少し遅ければ、手遅れでした。暗黒闘気の後遺症は複雑です。女王の指示のもと、このような事態を想定して研究を進めておりました。今は手を尽くし、可能性に賭けましょう」
     一国をひねり潰せる力を持つ魔族の戦士を前にしても、怯む様子はない。事実を伝えきると一礼し、音も無く去って行った。
    「数日?」
     呟いた己の唇が、他人の物のように重く感じられた。
    「数日だと?」

    ◇◇◇
     
     ――不思議なものだな。一度死ぬ前のお前と過ごした時間は、数日もない、数十分ほどだったのに。
     焚火のリズムに耳を傾けながら、ヒュンケルが呟いた。
     ――どうした、藪から棒に。
     干し肉を焙りながら、ラーハルトが返す。
     ――数十分も無かったのに。なのに、今まで出会った誰よりも長く、一緒にいるような気がする。
     肩に飛び乗ってきたドラキーに野イチゴの粒をわけてやりながら、ヒュンケルが続けた。
     ――面白いな、時間というものは。皆おなじ時を生きているはずなのに、こんなにも『違う』。
     ――下らんことを言っていないでさっさと食え。お前の分が無くなるぞ。
     温まりに来た、と言うよりはヒュンケルに撫でられに来たスライムたちが、彼にくっついて食事の分け前を待っている。
     ――ラーハルトが作った時だけ、料理を嗅ぎつけて、モンスターたちが寄ってくるんだ。
     と、ヒュンケルが唇を尖らせる。
     ――明日は俺が作る。俺だって、師から料理の基礎は学んでいる。
     ラーハルトは一瞬目を上げ、すぐに逸らした。
     ――……却下だ。嫌な予感しかしない。
     ――何故。
     ――何となくだ。

    ◆◆◆
     
     その翌日、ヒュンケルが料理と称して作り上げたのは、消し炭と化した肉の塊だった。
     初めてと言っていい位の大喧嘩、二日間たがいに口を利かなかった。思い出して、思わずニヤリとなる。
     じわじわと立ち上がり、散らばった何かに躓きそうになりながらも、乱れたベッドに腰を落ち着けた。頭痛が収まるのを、じっと下を向いて待つ。
     時刻は、おそらく日の出の一、二時間前。夜は深いが、窓から見える空は、漆黒と言うにはどうも落ち着かない色をしている。
     ふと、片手に握りしめていた何かに気が付いた。ゆっくりと手を開き、中身を凝視する。
     小さな黄金のコインが下がった、質素な耳飾り。
    「全身を清める必要がありましたので、衣服は預かっております。こちらは貴重なものとお見受けします、ご査収願えますか」
     と、兵士が届けに来た。
     相棒の片耳を飾っていたものだ。二人で分け合った、思い出の品。
     もう片方がラーハルトの片耳に揺れていることに、あの兵士は気付いただろうか。
     どうか、そのまま着けておいてやってくれ。
     これをあいつから奪わないでやってくれ。頼む。
     そう言いたかったのに、とっさに言えなかった。
     何気なく受け取ることしか。
     
    ◇◇◇
     
     ――悪くないものだな。
     と、ヒュンケルが鏡を覗き込む。
     ――何がだ。
     ――装飾品だ。俺はお前のように、身に着けるものを選んだことが、ほとんどなかった。与えられるまま、言われるがままで。
     この、穴を開けるところが特に気に入った、と、耳飾りが貫いている耳朶を引っ張った。
     ――穴を開けるのが主目的ではない。
     あきれてそう言うと、
     ――分かっている。だが、どうにも高揚してしまうんだ。……闇の師だったミストは、こんな事、絶対に許さなかったからな。
     大事な大事な体にしるしを残すなど、と、珍しくおどけた調子でヒュンケルが言う。
     ――どんなに沢山風穴を開けられても、必ず治療が待っていて跡形もなく綺麗になった。そんなとき俺は、もしかすると、あいつは俺を大切にしてくれているのではないかと、錯覚しそうになった。
     ラーハルトが黙っていると、ヒュンケルは鏡から目を離さずに言った。
     ――俺は、愛されているのではないかと。そう思ったんだ。

    ◆◆◆
     
     耳鳴りが治まったタイミングで再度立ち上がり、ふらつきながら洗面を目指す。
     幸いなことに、この国では上下水道が整っている。流れ出る冷たい水を桶に貯めて、頭から一気にかぶった。
     ぶり返した頭痛を、両手で頭蓋を掴んでやり過ごす。
     緩慢な動作で汚れた服を取り去り、また水を流す。転がっていた古い石鹸を擦り付けて、たまりきった体の汚れを落としていく。
     ようやく立ち始めた白い泡が、幾重にも肌を覆った垢や異物を優しく溶かし、虚無へと流れ去っていく。ぼんやりとその行方を追いながら機械的に体を擦っていると、ざわめく神経が落ち着いてくる気がした。
     眉間をつねって視力を改善させ、開けっ放しの浴室の戸口からあらためて室内を見回してみる。
     立てかけたままだった鎧の魔槍が、こちらを見ていた。
     
    ◇◇◇
     
     ――もともと俺のものではない、ラーハルトが使え。
     ヒュンケルは魔槍を押し返した。
     ――だが、今さっきまで槍で戦っていたのだろう。魔剣はもういない。お前の身体を護るのは、もはやこれしか無いも同然ではないか。
     一緒に旅をするのならば、二人の共通の武器をどう扱うか決めておいた方が良いだろう。
     自分が装備するものと決め込んでいたラーハルトだったが、よくよく考えればヒュンケルと鎧の魔槍との縁も一筋縄ではいかない。脆弱化した人間の身体を守護する為にも、彼が持つ方がバランスが良いのではないか。
     ――それは違うぞ、ラーハルト。
     と、ヒュンケルは可笑しそうに言った。
     ――俺を舐めるなよ。魔槍との約束は果たした、今は、極めた剣を更に極めるのみだ。
     ――魔槍との? 聞き捨てならんな。約束だろう。
     ――無論だ。しかし、見てみろ。こいつには、意思がある。

    ◆◆◆
     
     どうにか許せる程度の清潔さを取り戻し、淡い石鹸の香りを漂わせながら、すさんだ寝室に戻る。
     濡れた髪を整えることもせず、ぽたぽたとしずくを垂らしながら、重い足取りで魔槍の方へと向かった。
     垂直に立てたはずだが、少し斜めになっている。疲労と衰弱の漂うその切っ先を見て、思わず目を伏せた。
     ひどい汚れ方だ。
     槍の柄を掴むと、裸のままどさりと寝台に腰を落とし、膝の上に載せてしげしげと観察する。
     あからさまな変色、微細にこぼれた刃。手入れを怠ったのは初めてだったが、数日でこんなに変わるものだろうか。
     できるだけ汚れていない端切れを探し、名工から餞別に貰った砥石と油を荷物の奥から取り出した。
     埃がまとわりつき、赤茶色の何かがこびりついている。金属のはざまをざっと拭いてみるが、入り込んだ泥と血を取り去るには仕立ての良いブラシが要りそうだ。
     諦めて、刀身の錆を慎重に削り始める。さりさりと砥石を滑らせ続けてしばらくすると、どうにか顔が映るくらい滑らかな面が戻ってきた。
     ほっとして、作業を進めようと明かりを探す。蝋が残った燭台を見つけて火を灯し、テーブルに置くと再度、刃先をじっと見つめた。
     そして、宝玉の左側、静脈のようにうねった小さな線に、黙って指を這わせる。

    ◇◇◇
     
     ――名工の傑作だ、魂が宿ることもあろう。
     ラーハルトがなげやりに言い返すと、
     ――いや、抽象的な意味ではない。だ。魔剣は生真面目で寡黙だったが、こいつは結構厄介な性格だぞ。見ろ。
     ヒュンケルが指し示す。
     ――この傷、お前、気づいてなかっただろう。
     よく見れば、折り重なった芸術的な金属片の一部に、微細なヒビのようなものが走っている。
     ――……なんだ、これは。小さな損傷ならば自己修復するはずなのに、なぜまだ残っている。
     ――バーンパレスでヒムに壊された左肩だ。俺が、最後に魔槍を纏った時の。
     何だと、どういうことだ。とラーハルトが傷を睨んでも、一向に修復される気配がない。
     ――魔槍は、この傷を残しておきたいのだと思う。ひねくれているだろう?
     と、ヒュンケルが小首を傾げる。
     ――おい、俺と過ごした十数年はなんだったんだ。ヒュンケルなんぞに絆されおって。いくら使命を託したとは言え、真の主人は俺だろう。そんなヒビ、今すぐ治せ!
     𠮟りつけても返事はない。あまりの剣幕に、ヒュンケルが耐えきれずに吹き出した。
     魔槍はすました顔で、思い出の傷を見せびらかしている。
     “大事なひとを、二度と危険に晒すな”と、主人を諭しているかのように。

    ◆◆◆
     
     拭っても拭っても、槍の胴体から赤茶けた錆が浮き出てくる。致命傷を負って死にゆく獣の、断末魔のあがきのように。
     ラーハルトは呆然と、ひたすら魔槍を磨き続けた。強い酒に手を伸ばすのも忘れて、一心不乱に。
     取れない血糊が現実なのか幻なのか、もはやよく分からない。揺れる蝋燭の炎が、酔いで霞んだ視野を不気味に揺さぶる。
    「安心しろ。すぐに綺麗にしてやるから。心配ない。任せておけ」
     根拠のない言葉を祈りのように、口の中で唱えながら。

    ◇◇◇

     ――覚えているか。お前が助けに来てくれた時の事。
     夜明け前。
     突如街を襲った邪竜の掃討が、その時の依頼だった。難なく敵を殲滅した二人は、塔の屋根に悠々と腰かけて街を見渡していた。
     ヒュンケルが懐から小さな酒瓶を取り出し、一口呷ってラーハルトに手渡す。勝利の美酒と言うには安っぽい味だが、戦闘の興奮をおだやかに鎮めてくれた。
     ――お前ひとりの為に駆けつけたわけではない。
     そう言うと、ヒュンケルはクスクス笑った。
     ――分かっている。
     ラーハルトから瓶を奪い取るとほんの少し啜り、また相棒の手に戻す。
     ――あの時、今度こそ俺は死ぬのだろうと思った。戦いきれぬまま、新たな友の命を守り切れぬまま。だが、愛を知って死んでいくのならば、ようやく、この壊れた魂も救われるのだ、とも思った。
     古い城塞都市。連なった灰色の屋根が、淡く色づき始めている。
     ――だが、ひとつだけ。あの瞬間に……何か、心残りのようなものに気づいた。一度気づいてしまったが最後、臓腑がねじれて魂が砕けてしまいそうなくらい、とても、とても耐えがたい、無念な事実だった。
     ラーハルトは酒瓶を傾けるふりをして、ヒュンケルの横顔を盗み見た。
     東の方角から、得も言われぬ菫青石アイオライトの光が空を満たし始めていた。
     ――何だったんだ。
     わざと素っ気なく問う。
     しばし沈黙したのち、ヒュンケルは真っ直ぐに前を見たまま、
     ――誰かを、愛することだ。
     と、はっきり述べた。
     ――生涯をかけてただ一人を追い求め、心から愛し、その人の為に死んでいく。そんな人生を生きることが出来るはずなのに。ついに理解し、片鱗を掴んだばかりなのに、俺の命は終わるのだと。……そう考えると、ひたすらに哀しく、悔しかった。
     朝日に染まった白い頬は、新雪のように柔らかく、侵しがたく見えた。ラーハルトが見つめても、ヒュンケルの視線は動かないまま、目覚め始めた街並みを凝視していた。
     ――……ならば、ぐずぐずしている暇は無かろう。また死にかける前に、心残りを潰しておけ。
     そう言ってしまってから、ラーハルトは小さく後悔した。胸の奥を刺す冷たい氷片をかき消すように、再度酒を飲み下す。
     ――ああ、
     ヒュンケルはやはり表情を崩さぬまま、
     ――……そうしよう。
     と真剣な声音で言った。
     そして、ふわあ、とあくびをすると、大の字に寝転がった。
     
    ◆◆◆
     
     吹き込んできた早朝の風の冷たさに、はっとして研ぐ手を止めた。
     体を冷やすな、病は戦士の宿敵だ、と口酸っぱく咎められた記憶が蘇り、あわててガウンを羽織る。
     そして、窓を閉めようと部屋の奥に向かい――思わず、目を奪われた。
     この部屋が真東を向いていたことに、初めて気づいた。
     王都を洗う暁の、しんと静まった紫の帯。
     極光オーロラの如き、堂々たる色彩が、空を支配していく。
     ぼろぼろになった部屋の奥深くまで恵みの光線が入り込み、すえた空気を浄化していくようにすら感じられた。
     圧倒され、カーテンに掛けた手をそっと放した次の瞬間。鈴虫のような、不思議な呼び声がかすかに響くのを感じて振り返った。
     ベッドの上に放置された魔槍が、朝日を受けて輝いていた。先程まで絶望的な赤褐色だったのに、今は神々しい程のプラチナ色に彩られ、主人を呼んでいる。
     息を呑んで近づくと、緑色の宝玉が悪戯っぽく煌めいた。
     消えない錆も、落ちない泥も消え去っている。“あの”傷跡以外は、全てが完璧だ。湖面の如きその刀身に、目を丸くしたラーハルトの顔が正確に映し出されている。
     うっとりとその先端に指を伸ばした、その時。
     焦ったような足音が響き、ばん、と自室の扉が開いた。
     現れたのは、先日の若い僧侶だった。
     見開いた瞳を微量の涙で光らせ、頬を紅潮させている。彼が頷くのを見るや否や、ラーハルトはガウン一枚のまま廊下へと飛び出した。
     
     ヒュンケルの部屋から、治療に当たっていた数名がひとり、またひとりと出てくるところだった。
     ラーハルトの姿を認めると誰もが一礼し、道を開けてくれた。
     挨拶もそこそこに質素な室内へと乱入し、真っ直ぐに寝台へと向かった。

     ひとまわり痩せてしまった相棒は穏やかに目を閉じていたが、ラーハルトの気配を感じとると、緩慢に首を回し、うっすらと瞼を持ち上げた。
     そして、ひらひらと片手を振って見せる。かさついた唇を、笑みの形に持ち上げた。

     ――生きている。

     全身の力が抜けてしまい、ラーハルトはベッドの脇で膝を付いた。
     治療団の一人が優しくその肩に手を置き、無言で部屋を去っていく。彼らへの感謝の言葉を、譫言のように繰り返し呟きながら、震える手でヒュンケルの銀髪に触れた。
    「……どうしたんだ、嵐の中を散歩してきたのか」
     ヒュンケルが、濡れたのままのラーハルトの髪を見て片眉を上げた。乾き切ってはいるが、いつも通りの、彼の声。
    「うるさい」
     ぶっきらぼうに返そうとしても、冷たい声が出せなかった。目を上げることも出来なかった。
     ヒュンケルは言葉を切り、視線を泳がせる。
    「心配をかけたようだな。もう大丈夫だ」
    「心配などしてはおらん。反省しろ、お前のせいだぞ。早く治療を受けろと言ったではないか」
    「すまない。……だが、見ろ。また生き延びた。意外にしぶといだろう?」
     持ち上げた手の動きは、まだぎこちない。その指を捉えて、額に押し当てた。ヒュンケルは黙って、ラーハルトのしたいようにさせている。
    「……まったくだ。この死にぞこないが」
     嗚咽を抑えて、喉の奥から言葉を絞り出す。
    「お互い様だろう」
    「お前のような半死人と一緒にするな」
     ヒュンケルは、古い本のページを繰るくらいの、密かな声で笑った。
    「我ながら、生きるのも死ぬのも下手くそでな。――しかし、まだ心残りがあったと見える」
     ラーハルトの額に押し付けられた指先を、優しくその肌に沿わせた。
    「何度助けに行けば気が済むんだ。俺を巻き込むのもたいがいにしろ」
     低い声で罵るラーハルトの額を、ヒュンケルの手の甲がそっと撫でる。
    「ここまで続くと、そういう運命なのだろうな、お前も」
     悪びれた様子もなく、ヒュンケルがのたまう。
    「世界一厄介な男だ、お前は」
    「光栄だな。世界一の記録更新に挑みたい」
    「心残りがあるなら、死んでも死ぬな。こっちの後味の悪さも考えろ」
    「ああ……そうだな」
    「まだやるべきことがあるだろう。まだ……まだ、早すぎるだろう。人生を取り戻せ。愛する者の為に、少しでも長く駆け抜けろ」
    「……ああ」
     ヒュンケルは優しくラーハルトの指から手を逃すと、濡れた小麦色の髪をゆっくりと撫でた。そして、顔を上げた相棒の目を、正面から覗き込んだ。
    「そうする」
     滲み始めた瞳をきつく閉じると、ラーハルトは唇を噛み、額を寝台の縁に付けた。
     大きく息を吸う。あやすように、痩せたヒュンケルの掌がその上に置かれた。
     子供の頃以来だった。
     何の不安もなく、誰の目も気にせず……全力で、大声で、泣き崩れたのは。
     
     窓から差し込む朝日は、夢のようなあいまいさを脱ぎ去り、真っ白に輝いていた。
     愛を知り始めたばかりの、孤独な魂の再会を、また始まる新たな旅路を、祝福する様に。



     
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