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    Jeff

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    お題:「噂」
    #LH1dr1wr
    ワンドロワンライ参加作品
    2023/02/12

    New Kid in Town ――いつからだろう。
     飴色のカウンターに頬杖をつき、ラーハルトは半分になったビールを見つめた。
     いつから、こんなに静かに飲むようになったのだろう。
     気の利いたマスターは、三杯目をせっつくこともなく、ただ放置してくれている。
     古いピンボール台とジュークボックスがまじめに置いてあるような、時代遅れの店だ。書評からもSNSからも原稿からもエゴサーチの誘惑からも逃れて、気持ちよく人間観察のできる、お気に入りの場所だった。
     だが今は、この静けさが、憎い。
    「あんたのこと知ってる」
     突然声をかけられて、びくりと隣に目をやった。
     久しぶりだ。
     青年はブナハーブン・ウイスキーをダブルで、と注文すると、遠慮もなく腰かけた。
    「驚いた、まさかこんなとこで作者に会えるなんて。『竜の迷宮』は傑作だ、『アナトミカ』も良かった」
     良かった、だと?
     ネットフリックスがドラマ化して、ちょっとした社会現象になった作品だぞ。
     ……まあ、それも今期で打ち切りだが。
    「ずっとファンなんだ」
     と、彼は目をキラキラさせてラーハルトを覗き込んできた。
    「バンドデシネなんて興味がなかったけれど、あんたの作品は別だ。何度読んでもめまいがする。地底に続く巨大な穴みたいで」
     よく見れば、ロックスターみたいな銀色の髪をした、恐ろしく整った顔の男だ。
    「なぁ、何か描いてくれないか」
    「気持ちは嬉しいが、お断りだ。転売は困る」
    「転売?」
     すでに相当酔っているのか、銀髪の青年はからからと笑って、琥珀色の酒を舐めた。
     その唇の赤さに、一瞬思考を奪われる。
     危険な匂いのする美人だ。
     本当に自分のファンなら、勉強もかねて、一度くらい抱いてやっても良いかもしれない。このふてぶてしい態度が気になるが。
    ?」
     と、彼は飄々と続けた。
     殴られたような衝撃に、ラーハルトは黙りこんだ。
     いや、違う。そういう意味じゃないだろう。
     この自称ファンは、ただ無邪気なだけだ。
    「ところで、新作の予定は? 『スピア』の主人公はどうなったんだ? まさかあれで終わりなんて言わないよな」と、男が畳みかける。
     売れていたころは、こういう馴れ馴れしい輩は周囲が追っ払ってくれていた。
     苛立ちを覚えながらも、弱った脳が反撃の言葉を紡いでくれない。
    「……悪いが、今日は一人で飲みたいんだ。今度サインを送るから、メアドか何か置いていってくれ」
     ……誰もが噂している。
     あいつは終わった。
     もう描けやしないんだ。
     お気の毒に。
    「つれないこと言うなよ」と、銀髪はあくまで手を緩めない。
    「頼むから、放っておいてくれ」
    「映画化の話は? もしかして立ち消えか? まあ、あれはちょっとな……初期の輝きはどこへいったやら、何かのコピペみたいな物語だった」
    「……黙れ」
     以前の自分だったら、一笑に付していたかもしれない。
     だが今は、この失礼千万な初対面の男に何も言い返せない。
     彼はおどけたように眉を上げ、「でも、本当だろ」と唇を釣り上げた。
     舌先にピアスが見えた。
    「ほら、なんかいい曲かけてくるから、機嫌直してくれよ」
     と軽くいなして、ジュークボックスの方に去っていった。
     やっといなくなった。
     ほっとしてビールの残りを飲み干したところで、温かいギターのイントロが店内を満たした。
     最初の音が響くや否や、ラーハルトは硬直し、口を開けて、ジョッキを凝視した。
     わなわなと震える両手を、きつく握りしめる。
     がたんと席を立ち、ジュークボックスの前で揺れている銀髪の肩を掴んで振り向かせた。
     頭の芯が痺れ、怒りが全身の血管を満たした。
    「貴様。わざとか」
     青年は驚いたように目を丸くして、振り上げたラーハルトの拳と、胸倉をつかむ手を交互に見た。
     そして、ニヤリと笑った。
    「いい曲だと思って」 
     ――悪魔のように。
     緊迫した店内の空気を縫って、イーグルスがゆったりと流れゆく。
     
     奴はこの町の新顔ニュー・キッド・イン・タウン
     みんなの噂の的さ
     誰もがあいつを愛してる
     ……
     
     ラーハルトは時間をかけて手を下ろし、銀髪のシャツを手放した。
     固まった酔客たちの視線を無視してカウンターに会計を置き、足早に夜の街道へ飛び出した。

     

    「おい」
     追いかけてきた声に、どんよりと振り返る。
    「……まだ足りないのか。終わった作家を侮辱して、何が楽しい」
     銀髪はポケットに手を突っ込んだまま、ラーハルトの目の前まで近寄ってくる。
     安っぽい街灯に照らされて、恐ろしいほど秀麗な造形がやたらと際立っている。
     そして、にやにや笑いを突然消し去り、唇を引き結んだ。
    「俺を描けよ」
     真剣な、囁くような誘い。
     意味を図りかねて、ラーハルトは目を泳がせる。
    「どうせ描けないんなら、俺について描いてみろ」
     支離滅裂だ。
     落ち目とはいえ名の知れた自分に対して、なんという傲慢。
     一般人のくせに。
     理性はそう叫んでいたが、ラーハルトはもう理解していた。
     このおかしな状況は、周到に用意されたトラップだ。
     そして、逃れる選択肢はないのだ。
     肯定したつもりはなかったが、青年は満足げに目を細めた。
     そして心臓が飛び上がるほど近くまで唇を寄せて、すぐに離れていった。
    「とりあえずあんたの家に泊めてくれ。ベッドある? タクシー拾っていいか?」
    「な……おい、待て、一体なんなんだ、お前は!」
    「なんだと思う?」
     
     それが、彼との出会いだった。
     この時はただ、作家としての好奇心が勝った。
     謎の生意気な美青年が転がり込んでくる……悪くないかもしれない。
     あわよくばネタになる、と、その程度の覚悟だった。
     ――運命など、想像する余地もなかったのだ。
     
     

     
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