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    Jeff

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    お題:「化粧」
    #LH1dr1wr
    ワンドロワンライ参加作品
    2023/01/29

    Noir 研ぎ澄ました刃先が、音もなく紙面に踊る。
     見本と寸分たがわぬ、むしろ更に流麗な線が、無垢なページを埋めていく。
     ――書道カリグラフィはいかがでしょう。
     恩師の提案が間違っていたことはほとんどない。
     ――集中力と空間認識能力。しかも、何かを生み出すことができる。
    「俺にそんな器用な真似ができるでしょうか、先生」
    「やってみたらどうです。向いていると思いますよ」
     師はからりと笑いながら、
    「何より、悩みの時間が潰れる」
     と言った。
     藍色のインク壺にきらめくペン先を差し込んで、慎重に水滴を落とし、深呼吸。
     当初だいぶ大味だったヒュンケルの筆跡は、今は魔界の飾り文字で数ページを埋めつくすまでに上達している。
     時折恩師の部屋に招かれ、留守番がてらインクとデスクを借りて練習を続けた。
     悪くなかった。書は剣技の鍛錬にも似ている。
     書いている間は、無心になれる。

     ――バラン様のおかげで今の俺がある。
     ――これが運命なのです。俺が授かった命はすべて、ダイ様に仕えるために。

     主君の前でだけ見せる陸戦騎の笑顔が脳裏をよぎる。
     着飾った令嬢と談笑する姿も。
     ……だから、なんだ。
     死に目をみとった仲だと? 笑わせる。
     勝手に特別な関係だと思い込んでいたのは、自分のほうだ。
     あいつには、守るべきものがある。
     翻って、自分はどうだ。
     戦えない。ヒトにも怪物にもなれない。
     壊れた戦士の儚い夢は、脆くも崩れ去った。
     ――自分だけを見ていてくれるはずだ、などと。
     どんなおめでたい頭が、安易な幸せを期待していたのだろう。
     
     かたり、とペンを置いた。
     だらしなく口を半開きにして、ノートを見下ろす。
     魔界の詩集を写していたはずの飾り文字は、途中から、ただ一つの単語ばかりを繰り返していた。
     
     動揺のあまり口を押え、呼吸を整えた。
     絶望も憎悪も悔恨も希望も知っている。
     この感情も、名前だけは知っている。何度も本で読んだことがある。
     だが、ヒュンケルにとって完全に未知の領域だった。
     肌を焼く灼熱の炎のような。しつこく弱弱しい熾火のような。

     視線を上げると、カウチの端に虹孔雀の羽が刺繍されたガウンが放置されているのが見えた。きっと、王妃が師の私室を訪れた際に残していったものだ。
     立ち上がり、インクの瓶を掴む。そして妃の忘れ物に指を伸ばした。
     部屋に唯一の古い鏡の前に立ち、人間に似た白い影に向き合う。
     危険なことをしでかしているのは分かっているのに、痺れるような衝動が抑えられない。
     ガウンをまとってみて、軽く首を傾げる。
     瘦せてしまった肩に、豪奢な花の模様が思った以上に似合った。
     ほとんど無意識のままインクに指先を浸し、青い液体を帯びた爪先で鏡に触れる。
     そして、唇に。
     宮殿の女性たちを思い出しながら、見よう見まねで色を置いてみる。
     質の良い色素はかさついた皮膚にも馴染み、薄桃色を艶めく闇色に染めていく。
     一瞬で様相を変えた己の顔に、心拍が上がった。
     まぶたの縁にも黒を引いてみる。陰鬱で平坦な白が、たちまち優美な悪魔の気配を帯びた。
     胸の奥が熱くなる。
     夢中になってまた指先を浸すと、右目の下に押し当てる。
     息を止めて、ゆっくりと引き下ろした。
     青白い頬に、黒々とした曲線が残る。
     涙の跡のように。
     ヒュンケルは口角を引き攣らせながら微笑んだ。
     自分でも何をしているのかわからないままに。

     部屋に近づく足音に気づいた時には、もう遅かった。
     
    「ヒュンケル。ここにいると聞いた。話があるのだが――」

     鍵のかかっていないドアをラーハルトが押し開けるのとほぼ同時に、滑り落ちたインク壺が大理石に砕け散った。

     
     
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