12話「あ!待ってたよ!」
昨日ヘルラが落ちた穴の所に行けば、既に到着していたらしいミュゲがこちらに気づき大きく手を振っている。
「おまたせ!こちら僕の家族のシラーさん」
「昨日はヘルラを助けてくださってありがとうございます。シラー・ハーシェルです」
「どういたしまして、私は椎葉ミュゲだよ、さぁ!時間もないし早く行こう!」
ふわりと軽い足取りで座っていた岩から飛び降りたミュゲは森の奥へと進んでいく。歩き慣れているらしい彼女の軽やかな足取りに、関心をしているうちに当たりが暗くなってきた。
もう夜になったのか、と思えばそうでも無さそうだ。まだぼんやりと見える足元を気をつけながら前を見れば、彼女の周りがほわほわと綿毛のような光に囲われている。
魔法、とはまた違った魔素の流れを不思議に思っているとふとミュゲの目の前には断崖絶壁があることに気がついた。
迂回しなければと横に目を向けるシラーを横に、ミュゲは壁の割れ目にするりと入っていった。
「え?」
人1人少し狭いが入れる隙間をミュゲは慣れたように進んでいく。目を見合せたヘルラとシラーは意を決したようにその後を追った。
中はミュゲの明かり以外に特に光るものがなく、ただただ暗い道を進む。どこに向かっているのだろうとシラーが質問しかけたその時、遠くで何か光っているものが見えた。明かりか、と思えばあれはどうやら外の光らしい。
もつれそうな足を何とか進め、数分ぶりの光に目をくらませつつ外へと体を引っ張り出した。
「大丈夫?怪我してない?」
そう心配の言葉をかけるミュゲの言葉に未だ眩む目を開ければ、そこは外界からの接触を阻む岩の絶壁に囲まれた小さな土地だった。
遠くには滝がザァザァと水を落とし、近くには集落が見える。
「わぁ〜!!こんな所があるんだ!!」
始めてみる場所に目をきらきらとさせるヘルラは上を、下を、横を、忙しそうに視線を走らせている。
「いい所でしょ?普段は絶対人間を入れちゃダメなんだけど⋯貴方たちはいい人そうだからとくべつ」
いつの間にか現れた彼女の羽がふわりと羽ばたく。
風に吹かれる綿毛のように軽やかに飛び上がったミュゲは集落の方へと二人を道案内をした。
「おや、ミュゲじゃないか。⋯そちらは?」
色とりどり花咲き乱れる花畑を通れば、養蜂箱からはちみつを取っていたらしい男性がミュげに話しかける。ミュゲに対する優しげな態度とは一変し、背後にいるシラー達に視線を見けると途端にその表情は冷たさを帯びた。
「人間の人よ、ウェルーシャの花を探しているんだって。ねぇ、おじい様いる?」
「あのなぁ、お前だって知ってるだろう、ここは人間の立ち入りは禁止だ。翠君の他に例外を増やすのはあまり好ましくないぞ」
「知ってるよ〜人間の妖精狩り以来ずっと険悪だってのも知ってるよ、ずっとそうしてるのも違うでしょ〜?」
妖精とは今は絶滅したと言われる種族である。
妖精はその生態自体にも価値があるが、中でも彼らの持つ"金の粉"はどれほどの大金を積んでも滅多にお目にかかることの無い希少なもので、一振で永遠の美貌を、命を得られるのだと噂されている。それを求め数年前に人間によって盛った妖精狩りによってその数が激減してしまった。
「はぁ⋯俺は言ったからな、他の奴らは俺のようには甘くない。早めに終わらせて早めに出ることを進めるぜ」
ひらひらと手を振った男は、ミュゲの尋ねた人物の場所を告げると仕事へと戻ってしまった。
「人間を好きな人が少ないのは事実だから早めに行こうね〜」
再び羽ばたいたミュゲを追いかけていると、村外れにあった小屋が視界に入ってくる。小さいながらに作りがしっかりしている綺麗な小屋で、周りには色とりどりの様々な花が生えている。
「おじい様〜」
そう呼びかけながら小屋の中に入っていくミュゲの後ろ姿を見ながら、扉の前で足踏みしているとそれを察したらしいミュゲが顔を出し手招きをした。
中に入れば、至る所に花瓶に刺さった花が置いており、机上の調合器具が湯気をふかしている。
花のいい匂いが充満する室内の奥にはミュゲに話しかけられている丸まった背中があった。
何なら2人でしばらく話した後、丸まっていた背中がゆっくりと振り向くと、木の根のような白い髭を生やした顔がこちらを見る。
「ほぉ、人間がここに立ち入るとは随分な命知らずと見受ける」
モノクル越しの鋭い眼光に一瞬怯みそうにはなったがここで帰る訳には行かない。
「あ、あの⋯あなたがウェルーシャの花のある場所を知ってると聞いたのですが」
「⋯ウェルーシャか、絶滅したのは聞いてるだろう?」
「えぇ聞きました」
「⋯生えているかはわからん。だが、我々の先祖が残したウェルーシャの花を咲かせる魔法なら残っている」
そう話す老人が指を振れば、シラーの目の前にふよふよと巻かれた古い紙が飛んでくる。
受け取れということらしい。その意図を汲み、大人しく受け取り紙を広げてみれば文字は所々劣化によってかすれている。
「見ての通り古い魔法だ、文字を読むのも難しい。これを直すことができたら花を探すことも出来るだろう」
「修復⋯分かりました、やります」
流石に諦めると思っていたらしい老人は、信じられないとでも言いたげに目を見開かせる。
それを他所にシラーは魔導書を取り出しペラペラとめくっていく。
「お、おい⋯お前さんほんとにやるつもりか?悪いことは言わんやめておけ。そんな劣化の進んだ物⋯普通の紙ならまだしも魔導紙だ、魔法でも直せるかわからん」
「いいえ諦めません、せっかく手掛かりを掴みかけているんですから」
しばらく捲った辺りでシラーはあるページで手を止める。
「あった⋯!」
どうやら魔導紙を修復できる魔法のページらしい。
まさか本当にあるのか、と老人は椅子から立ち上がり、気づけばシラーの元へと寄っている。
嬉しそうに魔導書を読みふけり、方法や魔法陣をなぞっていくシラーの人差し指がふと止まった。
「ペリマーヌの茎とアレーネの花弁、菁星石、人魚の涙⋯」
材料と思われる名称を並べていくシラーは先程とはうってかわり表情を曇らせる。
「ペリマーヌの茎とアレーネの花弁は昨日採ってたよね!」
「うん⋯問題は他のふたつなんだよね⋯。菁星石と人魚の涙どっちも滅多に手に入るものじゃないし、出回っていたとしてもすごく高価なの⋯」
「そんな⋯!漸く可能性が出てきたのに⋯代わりになりそうな魔法とかはないの⋯?」
「うん⋯この魔法自体すごく古いものだからこれ以上のものは⋯」
「お爺様持ってるんじゃない?」
先程までことの成り行きを見守っていたミュゲが口を開くと、ヘルラとシラーのふたりは思わず老人の方へと勢いよく振り返った。
「ほ、ほんとですか!?」
「ま、待て、本当にこの魔法使えるのか?軽く見る限りでもだいぶ高度な魔法だろう⋯それを、お前さんが?」
信じられない、とでもいいたげにシラーの元へ歩み寄る老人にシラーは変わらない態度で向き合う。
「できます」
「ならばいくらでも使うといい、わしもウェルーシャの花で香水を作るのは長年の夢じゃったからな」
どこか嬉しそうな老人は部屋の奥から取り出した材料を机の上に早々と並べ始めた。
材料は揃っている、後は術者の腕だけだ。
シラーは上着を脱ぎ、腕まくりをすると材料とともに用意されていた紙に模様を描いていく。一通り描き終わったその紙の上へ魔導紙、そして先程の材料を置く。
準備は滞りなく終わり、魔法陣の手前に手を置いたシラーは魔力を込めた。
風などなかった部屋の中、シラーの髪の毛がふわりと浮いたかと思えば胸の魔導具がほのかな光を帯びる。
気づけば魔導紙は本来の姿を取り戻していた。霞んでいた文字は色を取り戻し、破れていた紙も修復されている。
「まさか⋯信じられない⋯本当にやってのけるとは」
静かにことのあらましを見届けていた老人は、修復された紙の前で手を取り踊っているヘルラとシラーを見つめた後、手元の紙へと再び視線を落とした。
「これならばきっと咲かせることができる。⋯そうとなれば早めにやろう、そろそろアベーレ彗星の流星期間ももうまじかだ」
「そ、それもそうですね!」
嬉しさで浮かれていた心を引き戻し、シラーは再び魔導紙に向き合った。
「どこか花を咲かせていい場所はありますか?」
「うちの裏手にある水場を使うといい、わしとミュゲしか知らん場所だ」
着いてきなさいとミュゲとともに歩いていく老人の後を慌てて追いかけ、家の奥に進んだ。
少し古ついた扉を開ければ、その先は小さな空間が広がっている。周りは背高い岩に囲まれており、小さな滝に、小さな小川のせせらぎが耳心地が良かった。
ふいに上を見上げれば星のちりばめられた宙にきらりと何かが光った。そのすぐ後、幾つもの光の線が頭上を流れていく。
「あっ!流れ星だ!」
隣にいたヘルラもキラキラとした目でそれを見つめていた。
「ちょうど今宵の分が流れ始めておるな、あれがアベーレ彗星だ。⋯今日が最終日だからかカズが少ないな、あれもずっと流れている訳では無い流れ切る前に済ませてしまおう」
「はい」
3人より前に一歩でたシラーは静かに目を瞑ると手をゆっくりと地面へと向けた。すると、地面からはほのかな光を纏った新芽達が顔をのぞかせている。そのまま踊るように成長を続けていく小さな命はいくつかの蕾を抱えた。
だが、成長はそこで止まってしまった。暫くしてもその蕾は開かれることがない。
「⋯足りなかったか」
「た、足りなかったって?」
「ウェルーシャの花はアベーレ彗星の光に含まれる魔素で成長するのは知っているだろう、それは魔法であろうとも変わらない。流れる彗星の数が少ない今日では魔素が足りないのだ」
残念だが、と呟きかけた老人の横を新芽のようにほのかな光を纏ったミュゲが通り抜けた。
ふわりと羽のような軽やかさでシラーの前まで飛んでいくミュゲは、あと少しという所で花をつけられない植物たちを見た後、魔力の消耗から冷や汗をかくシラーを見る。
「今度は私が手伝ってあげるね〜」
そういって軽く飛び上がった彼女からはきらきらと光る金粉が散りばめられる。
「あ!」
小さく叫んだヘルラが指さす先の蕾が金粉に触れ、ゆっくりと蕾をつぼみを破っている。
噴水のように花弁を広げる青紫色の美しい花が、アベーレ彗星の流れる空に向かって真っ直ぐに咲き誇った。
「さ、咲いた!咲いたよシラーさん!」
ちょうど魔力の消耗で座り込んだシラーの元にヘルラが駆け寄り、その嬉しさでも表すように力強く抱きしめた。
「⋯ウェルーシャの花、数十年生きてきたがこれほど美しい花は見たことがない。⋯まさか、本当にやってのけるとは」
天の川のような花畑の中、ウェルーシャの花で花冠を作るシラー達を見つめ、隣にいたミュゲの頭を撫でた老人は暫くその景色に浸っていることにした。