呂岳はビーナスたちをどう呼ぶか、状況と趙公明との関係性による差による可能性について/CP有無双方含む・CPじゃない場合
本人達の前:自称+様付け。
心の中:いずれも同様にありそう。自称+様付け、本名+様付け、あるいは自称にしろ本名にしろ呼び捨て、もしくは心の中では脳筋どもとかチビとか呼んでるパターンもありそう。
本人達の前ではない、他者の前(趙公明不在時):相手によらず、自称+様付け。(チクられるのを警戒)
本人達の前ではない、他者の前(趙公明存在時):本名+様付けの可能性のほうが高い解釈。(趙公明の前だからそうしていると明確に分かるのでチクられるのを警戒する必要がない。)でも自称+様付けもありそう。(趙公明の機嫌を損ねないか内心おどおどしているパターンと、強者にへりくだっているのが師には分かると承知だから別段と気にする必要がないパターンとある。)
趙公明と二人きりの状況:いずれも同様にありそう。本名+様付け、自称+様付け、あるいは双方併用。
以下、CP有の場合のCPごと。
・趙呂の場合
本人達の前:いずれも同様にありそう。自称+様付け、本名+様付け、あるいはどちらかを意図的にしているがうっかりぽろっと他方に言い間違えることが稀にある。
心の中:いずれも同様にありそう。自称+様付け、本名+様付け、自称呼び捨て。
本人達の前ではない、他者の前(趙公明不在時):相手によらず、自称+様付け。(一応強者への敬意を示しておく)
本人達の前ではない、他者の前(趙公明存在時):自称+様付けの可能性のほうが高いかな?(強者にへりくだり敬意を示しているのが師には分かると承知だから別段と怯えはしない。)本名+様付けもありそうだけど可能性としては低めの解釈。(趙公明の前であろうと、他者の前で彼女たちを本名呼びはしなそうな解釈。)
趙公明と二人きりの状況:いずれも同様にありそう。本名+様付け、自称+様付け、あるいは双方併用。(本名か自称いずれかで固定で本人前と異なる場合、たまに師がいじわるとか戯れ(もしくは完全に素の天然)で「そういえば、きみは他人の前では妹達をそうは呼ばないけれど――どうしてだい?」と師自身への呂岳の感情や状況を言語化させたがったらいいな~。そのマーキング的いじわるをさせたくてあえて、のパターンもありそう。)
・呂趙の場合
本人達の前:いずれも同様にありそう。自称+様付け、本名+様付け。
心の中:本名+様付けの可能性やや高めで、自称+様付け、本名呼び捨て、の順に可能性が高く、あるいは心の中では脳筋どもとかチビとか呼んでるパターンもありそう。
本人達の前ではない、他者の前(趙公明不在時):あまり相手によらない。本名+様付けの可能性高めかな? 自称+様付けもありそう。(強者への敬意アピールは様付け部分で済ませて、本名呼びチクられようがすっとぼけるつもりでいるかどうでもいいか)
本人達の前ではない、他者の前(趙公明存在時):自称+様付けの可能性がかえって高いかな。(へりくだり敬意を示している対象が師趙公明であり、師の妹だから体裁を気に掛けてそうしている、というパフォーマンスをしておく。)本名+様付けもありそうだけど可能性としては少し低めの解釈。(師の前だからそうしてまーす的パフォーマンス。この場合本人達には自称+様呼び。)
趙公明と二人きりの状況:本名+様付けの可能性高めかな? 自称+様付け、あるいは双方併用もありそう。(本名か自称いずれかで固定で本人前と異なる場合、たまに師がいじわるとか戯れ(もしくは完全に素の天然)で「そういえば、きみは他人の前では妹達をそうは呼ばないけれど――どうしてだい?」と師自身への呂岳の感情や状況を言語化させたがったらいいな~。そのマーキング的いじわるをさせたくてあえて、のパターンは趙呂よりだいぶ少ない。)
・呂趙呂の場合
本人達の前:本名+様付けの可能性やや高めで、自称+様付けの可能性は少しだけ低めの解釈。(理由の可能性としては、趙公明に意図的に合わせているか、まるっきりナチュラルに師に刷り込まれている徹頭徹尾の支配下が師と同様にさせているか、あるいはそれゆえにかえって師の妹達には本人前では希望の呼称をしているかのいずれかかな)
心の中:本名+様付け、自称呼び捨て(これは本人前でどちらなのかの可能性は同程度。場合により、+"ども"や"のやつ"が付くときもある)、本名+"のやつ(場合により+め)"付きがほぼ同程度の可能性で、心の中でのdis呼び(脳筋ども系)は他のCP傾向のときと異なり使うとしてもたま~~~に胸中で愚痴るときのみの解釈。
本人達の前ではない、他者の前(趙公明不在時):相手によらない。本名+様付けの可能性がかなり高め。自称+様付けもありそう。(とにかく師趙公明への敬意アピールor上下関係刷り込みによるナチュラルな言動が優先される印象だが、それゆえに師の妹達の体裁をまもってやる可能性もある解釈)
本人達の前ではない、他者の前(趙公明存在時):本名+様付けの可能性が高め。(敬意や上下関係刷り込みの対象があくまで師趙公明であり、師の妹であろうと師のしている呼称が正しい、というのをパフォーマンスなりナチュラルさなりでする場合。)ただし、同理由で逆にそれゆえに師の妹達の体裁をまもろうとする可能性もあるので、自称+様付けをする可能性もじゅうぶんある。(この場合、本人前でも同じ呼び方で、師の前でだけ本名+様付け。)
趙公明と二人きりの状況:本名+様付けの可能性やや高め、自称+様付けの可能性も少しだけ低めだがじゅうぶんある(後者の場合、ワザとの可能性と、素での可能性とある)。双方併用の可能性は呂趙呂の場合かなり下がるが、基本本名の場合にたま~に意図的に自称をワザとっぽく入れる戯れはありそう。(本名固定で本人前が自称の場合、たまに師がいじわるとか戯れ(もしくは完全に素の天然の可能性も少しあるがやや低め)で「そういえば、きみは他人の前では妹達をそうは呼ばないけれど――どうしてだい?」と師自身への呂岳の感情や状況を言語化させたがったらいいな~。そのマーキング的いじわるをさせたくてあえて、のパターンもありそう、それが師にとってのよろこびにつながるから知っててあえてのプレイパターンと、逆に呂岳からのマーキングである場合と、そうされたいからの場合とある。)