バレンタイン 雨が降ろうが雪が降ろうが、暑かろうが寒かろうが、巡回を止める事はできない。できるとしたら、天から星でも落ちてきて、地球が割れるときくらいか? いや、それなら余計に強化しないといけないだろう。何でもいい、今この見回りがなくなってくれるのなら、大歓迎な気持ちだ。
(なんでこんな日に……)
土方はタバコを口に咥え、うんざりしながら江戸の街を歩いていた。今日はバレンタインデー。制服姿だというのに、あちこちから向けられる突き刺さるような視線に、土方はいい加減にしろと自然に顔が顰めっ面になる。
巡回の当番表で、ちょうどこの日に当たる事は分かっていた。こっそり別の隊士と入れ替えようとしたが、後ろから覗き込んできた沖田に「ズルはなしですぜ」と釘を刺されてしまったのだ。恐らく、土方がこうなる事を承知での嫌がらせだろう。
(毎年のこととはいえ、面倒くせえ……)
正直、譲位浪士の殺気の方がまだマシだ。何ならどこかに攘夷浪士がいないかと視線を散らす。そうしたらボコボコに殴って、発散できるのに。
警察機関は一般市民から物をもらうなど、賄賂ととられかねない行為は禁止している。そのことは周知させているはずなのに。バレンタインデーという少し浮かれた空気が女性らの判断力を鈍らせるのか、ここに来るまでの間、土方はいくつものアプローチを断ってきた。土方が女らを諭している間、一緒にいたはずの沖田はいつの間にか姿を消していた。
突然、ドンッと足元に衝撃があり思わず身構える。下へ視線をやると、赤い着物を着た歳は4つほどの女児が、土方の足に抱きつきズボンを握りしめていた。
「おいっ」
思わず大きい声を出してしまい、しまったと後悔する。女児が顔を上げた瞬間、丸い目をさらに大きくして、表情を強張らせた。土方は慌てて、口元を引き攣らせながら笑顔をつくった。
「ど…どうした、大丈夫か?」
刀の柄に伸ばしていた手を緩めると、胸ポケットから携帯灰皿を取り出しタバコをしまう。その場に屈み、顔を真っ赤にして固まっている女児へ視線を合わせた。
「おい、大丈夫か…どっか痛いか? 迷子にでもなったか?」
極力圧をかけないようにと、やさしい声色で話しかけているつもりだが……正直、自信はない。
ふいに、女の子が肩から斜めにかけていた小さなカバンの中をゴソゴソと探ると何か取り出した。土方の目の前に差し出した。
「これっ…、あげゆ」
小さな両手には赤いハート柄の箱。かけられたリボンの隙間には、ピンク色の折り紙で折られた、少し不格好なハートが挟んである。きっと彼女が自分で作ったのだろう。
驚いて目を見開いている土方に、女の子が目をキラキラと輝かせ、ぐいぐいと胸元に押し付けてくる。
「い…いや、悪いが、お巡りさんは貰えねえ決まりなんだ」
土方はそう言って箱をそっと押し返すと、ハートの折り紙だけを抜き取った。
「せっかくだから、これは貰っとくよ。けど、頼むから、内緒でな」
囁くようにそう言うと、土方は人差し指をそっと口元に近づけ、小声でそっと囁いた。女児は顔を真っ赤にして不明瞭な声をあげると、手で口を隠してコクコクと何度も頷く。
迎えにきた母親と一緒に帰ってゆく女の子に手を振りながら、土方はため息を吐いた。
――山崎に言ってもっと周知を広めねえと、キリがねえ。
「貰ってやればよかったのに。」
「ッ……て、めえ、見てやがったのか!?」
建物の影で、坂田銀時がつまらなそうな顔でこちらを眺めている。
「別に子供から貰うくらい、いいんじゃねえの?」
「そう簡単でもねえ。時々いんだよ。ガキ利用して、毒入りを食わせようとする輩が」
「あらら、嫌われ者も大変だねぇ」
銀時が耳を指で掻きながら、苦笑いする。
「はあ、ったく、んなV字前髪のどこがいいんだか。ちょっと髪がストレートなだけで、あ、子供にはそれぐらい分かりやすいのがいいのかもな」
「なにをごちゃごちゃ言ってやがる。あんなの、ガキの戯言だろが」
「いや〜、意外にガキと思っていると痛い目見るよ」
それ、何情報だよと訊きたいが、銀時の目は意外に鋭く、土方は興を削がれる。
銀時とは一度酔った勢いで身体を重ね、その後も何度か寝ている。銀時はお互い後腐れがなく、適度に性処理ができるからと言っているから、その言葉通りなのかもしれないが、土方は十分に絆されている。
――うるせえ、俺が受け取るのは、本命からだけなんだよ!など本人に言えるはずもない。土方が代わりに出来ることといったら、タバコを咥えるついでに「てめえこそ、一個ぐらいは貰えたのかよ」と、興味もなさそうに、気になる事を訊くぐらいだ。
「ああ、今年はまあまあだな」
チャイナに忍びの女に、吉原の自警団の女にお妙に…と銀時を取り巻くメンバーの名が並ぶ。そうなのだ、こいつは自分で言うほどモテないわけではない。
「そうか、そりゃ良かったな」
銀時が本気で求めれば、一生の伴侶などすぐ見つかるのに。もともと男が好きなわけでもねえくせに、俺なんかに抱かれなくても…。
「おーい、デコ方くん、なに落ち込んでんの?」
「落ち込んでなんかねえ」
「もしかして、銀さんの方がモテてるから焦ってる」
「誰かだ。別に競い合うもんでもねえだろ」
「うわあ…」
銀時が嫌そうに顰めっ面をする。「何だ?」と問えば、銀八は何でもねえとだけ返事をして、はいっと何かを押し付けてきた。
「あ? なんだ……」
「落とし物」
手に押し付けられたのは、銀時が時々に口にしている、アポロチョコの箱だ。
「は?」
開封済みのそれは軽くて、あきらかに銀時がさっきまで食べていたものだろう。
「取得物なら持って帰れんだろ」
「は? だから何だ?」
「そんで、仕事終わったら、それ落とし主に持って来いよ。多分、お礼用意してっから」
家には一人しかいないらしいよ――銀時が少し顔を赤らめてそう告げると、踵を返してヒラヒラと手を振って去っていった。
土方は白い背中が消えたあとも人通りを見つめていたが、ふと我に帰り手中の箱に視線を戻す。箱の中身は半分ほどしか入っておらず、振るとカラカラと音を立てた。少し考えつように眺めていたが、上着の内ポケットへとそっとしまう。まるで大事なものを扱うように。
どうやら万事屋はバレンタインデーというこの甘ったるい空気に、だいぶ頭をやられているらしい。まあ、それは俺もか変わらねえが。
「落とし物なら…しょうがねェな」
持ち主に返しに行かねェと。それも土産をつけて。確か、いつものたばこ屋にラッピングしたチョコレートが売っていたはずだ。あとついでに酒もいるなと考えながら、土方は歩を進めた。