『団地』凛子と喧嘩してアジトを飛び出した私は、団地近くの公園で子供を見かけた。ブランコに座ったまま俯いて動かないその子を私は黙ってを見つめていた。揉み上げだけが長い髪型をしている。親らしき人は居らず、どうしてるのだろうと思い、私は声をかけていた。
「どうしたの?お母さんは?」
子供は顔を上げ私を見たがすぐにまた俯いてしまった。そして、小さな声で答えた。
「いない」
「えっ?」
その言葉の意味が理解できなかった。ただ、母親がいないと言うことだけは分かった。
「じゃあ、お父さんは?」
私がそう聞くと子供は首を横に振った。父親はいないらしい。
「なんで、お母さんがいないの?」
「・・・しらない」
「そっか、知らない・・・」
母親について質問しても何も答えてはくれなかった。
「おねーちゃんだれ?」
少しして子供が聞いてきた。
「私の名前は絵梨佳。あなたのお名前はなんて言うのかな?」
「・・・」
「教えてくれないかぁ~」
名前を聞けば何か分かると思ったけど、ダメだったみたいだ。それにしても、この子はどこから来たんだろう。こんな小さい子を一人で置いて行くなんて信じられない。でも、そんな事よりもまずはこの子を助けないと!
「ねえ、一緒に遊ぼうか!」
「あそぶ?」
「うん!何して遊びたい?」
「わかんない・・・」
「うーん、じゃあブランコ押してあげるね」
背中を押してあげると勢いよく漕いだ。最初は怖がっていたけど段々楽しくなってきたのか笑顔になった。それから滑り台も登りたがったから登らせてあげた。降りる時はやっぱりちょっと怖かったみたいだけど、それでも楽しかったようで、ずっと笑っている。よかった。
****
「絵梨佳!」
「どこにいるの!?」
私はKKと共に絵梨佳を探していた。皆のために戦いたい気持ちは分かるが、十代の少女を前線に立たせるわけにはいかない。その事で言い合いになってしまい、絵梨佳がアジトを飛び出してしまった。
「絵梨佳!いるなら返事して!」
しかし、いくら探しても見つからない。一体どこに行ったというのだろうか。まさか、もう既に・・・嫌な予感がする。早く見つけなければ大変なことになるかもしれない。そう思っていた途端、遠くの方で笑い声が聞こえてきた。
「あっちだ」
私たちは急いでその場所に向かった。着いたのは団地近くの公園で、絵梨佳が一人の子供とおいかけっこをして遊んでいた。
「絵梨佳!」
「凛子、私・・・」
私に気づくと絵梨佳は申し訳なさそうな顔をしていた。怪我もなく無事だった事に安心したが、一つ気になることがあった。それは彼女の足下にいる一人の男の子の事だ。人見知りなのか、絵梨佳の後ろで様子を伺っている。
「絵梨佳、この子は?」
「わからない、ここで会ったの。一人でブランコに座ったままだったから、つい話しかけちゃって、そのまま遊んで」
「へぇー」
「あっ!でも変なことは何もしていないよ!ただ話して遊んだだけだから!」
絵梨佳の話を聞く限りだと本当に何もなかったようだ。それならば問題はないのだが・・・
「それにこの子、お父さんとお母さんがいないって言ってたの」
やはりか。どうやら複雑な事情がありそうだ。とりあえず、詳しい話はこの子に聞いてみるしかないだろう。
「ねえ、あなた名前を教えてくれる?」
私が優しく語りかけると、少年は恐る恐る口を開いた。
「・・・あさと。あさってしょくぶつのかんじに、ひとってかくの」
植物の麻に、人。麻人という名前らしい。漢字の説明までしてくれるとはしっかりしている。
「麻人くんっていうんだね。いい名前だね」
「うん」
「それで、どうして一人でここに居るのかな?」
「・・・わからない、きづいたらひとりぼっち」
両親がいないだけでなく、自分が何故一人になってしまったかも分からないらしい。
「そっかぁー、寂しいね」
私はしゃがみこみ、目線を合わせて話すことにした。すると、私の目をじっと見つめてきた。
「・・・おばさんだれ?」
「おばっ」
そこまで行ってはいないが、確かに私は年上に見える。きっと小学生くらいの子供から見たら大人なんだろう。ショックを受けている私を見て、隣にいたKKがクスッっと笑った。
「確かにガキから見れば年増だよなぁ」
「うるさい」
まったく、余計なことを言わないでほしい。しかし、このままでは話が進まない。私はKKを無視して再び子供と向き合った。
「私の名前は凛子。よろしくね、麻人君」
手を差し出した瞬間、彼はビクっとして一歩下がった。まだ警戒されているらしい。
「そういえばあなた、元警察官だったわね」
「・・・なんだよ」
「迷子の子供を見つけた時みたいに接してくれれば?」
「はぁ?なんで俺がそんなことしないといけないんだ」
「だって、ほら」
私は立ち上がり、麻人の方を見た。
「おじちゃんとおばちゃん、怖い顔してるけど大丈夫だから。悪い人じゃないよ」
絵梨佳がなだめるように言った。それでも麻人は絵梨佳から離れようとしない。
「麻人って言ってたな、俺はKKだ。よろしく」
続いて自己紹介をした。すると、KKの前に出ると
「っ!?」
拳をKKの股間にめり込ませていた。突然の出来事に、私たち二人は呆然としていた。KKは股間を押さえて、膝から崩れ落ちていた。
「・・・こいつ」
「あははは!」
さっきまでの表情と違い、無邪気に笑っている。どうやら懐いてくれたみたいだ。それにしても、これはどういう事だろうか。KKに苦手意識が芽生えたのか、それとも面白がっているか。どっちにしても仲良くなれそうでよかった。
「で・・・こいつどうするんだ?」
股間を押さえて踞った状態のKKが指差した先には、絵梨佳に抱きついて離れない麻人が居た。
「どうするって言われても・・・こんな小さな子を放り出すわけにもいかないでしょ。それに絵梨佳に懐いちゃってるし」
「なら、親元が見つかるまでお前らの所で保護するってのは」
「確かにその方がいいかもしれないけど・・・」
絵梨佳は楽しそうに笑っているが、この子の本当の気持ちは分からない。でも、一緒に暮らすとなれば色々と大変だと思う。
「・・・?」
麻人が首を傾げてこちらを見ている。
「まあ、しばらく様子を見ようか」
「・・・だな」
****
麻人のため服を数枚買って、団地に戻る。絵梨佳と二人で過ごしていたため、この子の着替えを持っていないのだ。
「着いたよ」
ドアを開けるなり麻人が靴を脱ぐ。赤いスニーカーを律儀に揃えて、部屋に上がった。キョロキョロと辺りを見回して不思議そうな顔をしている。
「何か食べたいものってある?」
麻人に問いかけた。
「・・・しょくぱん」
「え?」
「しょくぱんたべたい」
子供ならハンバーグとかオムライスと答えると思っていたのだけど、意外だった。パンが好きなんて可愛いところもあるんだな。
「じゃあ、今日は食パンにしましょうか」
冷蔵庫からバターを取り出し、トースターに入れた。
「怖くないから」
絵梨佳の声が聞こえて視線をやると、猫に怯えて絵梨佳にくっついている麻人の姿があった。動物慣れしていなそうだし、仕方ないか。しばらくして、チンと音が鳴って焼きあがった。
「はい」
皿に乗せたパンを渡すと、麻人はじっと見つめている。
「・・・」
「遠慮しなくていいのよ」
「うん」
麻人は小さく返事をすると両手で掴み、一口食べた。
「・・・おいしい」
そのまま夢中で食べ始めた。気に入ってくれたみたいで良かった。サクッと香ばしい音を立てながら食べる姿はとても可愛らしい。絵梨佳も嬉しそうにその様子を眺めていた。
「・・・ありがとうございます」
「どういたしまして」
お礼を言うところを見るとしっかりしているようだ。少し安心した。食器を片付けている時、ふと思ったことがあった。もし、このまま両親が現れなかったらどうなるのだろう。親戚に預けられるか、それともこの子が施設に入ることになるのか。いずれにしてもあまり良い環境とは言えないだろう。食器を洗い終え、リビングに戻ると麻人がいない。どこに行ったのかと思いきや、絵梨佳と一緒にソファーに座ってテレビを観ているではないか。すっかり仲良しになったみたいだ。
「絵梨佳、ちょっと」
手招きをして呼ぶと、絵梨佳は駆け寄ってきた。
「なに?」
「あの子、これからどうする?」
「うーん・・・どうだろう」
やっぱり悩んでいるみたいだ。無理もない、あんな小さい子にどう接すればいいのか分からないはずだ。私だってどうしたらいいのか困っている。でも、きっと何とかしてあげないと。