幼児退行 小学校で体育の時間に怪我をする児童が頻発している、というので調査に行く事になった。場所は住宅街にある小学校で、面した道路からフェンス越しに校庭が見渡せる。そこから様子を見る事にしたが、この御時世、中年男が一人で小学校の近くを彷徨くのは間違いなく通報案件だ。カモフラージュに誰かを連れて行く事にした。本当は女子の方がいいのだろうが、都合がつかないようなので暁人に頼むと、引き受けてくれた。
「KKが不審者扱いで逮捕されたら困るからね」
爽やかな笑顔で言い放つ。自分で分かってはいても、改めて言われるとムカつくものだ。
「おまえだって条件はそんなに変わらないだろうが」
同じ成人男性なのだから、差違はそんなに無いはずだ。
「暁人さんはKKとは違うよ!」
絵梨佳が思いっきり否定してきた。麻里も隣で頷いている。
「は?何が違うんだよ!」
納得がいかねぇ。同じ男じゃねぇか、違うのは年齢くらいだろ。
「若い奴にも不審者はいるだろうが」
「そういうことじゃなくて、なんていうか…雰囲気というか?」
絵梨佳は俺と暁人の顔を何度も見比べながら言う。
「KK、怖い顔してるから」
暁人がさらっと言い、俺の腕を引いて玄関へと向かう。文句を言おうとする俺を制して妹たちに手を振る。
「時間無いから早く行こ」
扉を閉めると、腕を掴んだそのまま階段を降りていく。歩きづらいのと気恥ずかしいのとが相まって、立ち止まり、
「いい加減、手、離せ」
「あ、ごめん」
暁人は熱いものにでも触れたかのようにぱっと手を離した。
「懐かしいなぁ、小学校」
暁人は楽しそうに、校庭で駆け回る子どもたちを見ている。
「俺から見りゃ、おまえもあいつらとそんなに変わらねぇよ」
「まぁ、おっさんのKKからすればそうだよね」
こちらを見ることもなく、暁人が言う。
「こうやって見てると、麻里の運動会を見に行ったの思い出すなぁ。あいつ、結構足早くて、リレーの選手やったことあるんだよ」
妹のことなのにちょっと得意気だ。
「へぇ、運動神経良いのは血筋なんだな」
「KKも息子さんの運動会とか見に行ったの?」
「……あんま、ねぇな」
1年生の時、一回きりだ。…そりゃあ、愛想も尽かされるよな。
子どもらを眺める暁人を見ているうちにこいつがこれ位の頃はどんな感じだったんだろうか、と思った。この面だ。さぞや可愛いらしい子ども時代だったのだろう。俺に対しては生意気だが、基本は素直な性格だしな。ちょっと見てみたかった。
「おまえにも、あれぐらいの可愛いげがあったら、俺ももうちょい可愛がってやるんだがなぁ」
校庭を眺めながら言うと、暁人はこちらを凝視する。軽口のつもりだったのに、思った以上に深刻に受けとめられてしまったらしい。何とか取り繕おうとして口を開く前に
「……何それ、気持ち悪い」
「おま…冗談も通じないのかよ、暁人くんは」
視線を逸らされ、沈黙だけが残る。非常に気まずい。無意識に煙草を取りだそうとして、ちらりと目を向けた暁人に止められる。
「こんな所で吸っちゃダメだよ」
「あ、そうだな、悪い」
その後は無言で校庭を見ていた。
その次の授業時間中に、犯人は現れた。想定通り、鎌鼬の仕業だった。ワイヤーでひっ捕まえてやろうとしたが、かわされて逃げられる。そこからは恒例の鬼ごっこだ。相変わらず、逃げ足が速い。街中を全力疾走する大人はさぞや悪目立ちしてるだろうが、仕方ない。日頃の不摂生が祟って、早くも息が切れてきた。そんな俺の横をすり抜けて、暁人が奴を追いかけて行く。追い越しざまに振り返って、
「KKより僕の方が速いよ!」
と、生意気な捨て台詞を残していった。
「くそっ!」
事実だが、まだ甘んじて受け入れるわけにはいかない。一瞬の休息の後、笑いだした膝に叱咤しながら追走する。だが、鎌鼬の姿はもう何処にもなかった。暁人のやつが上手くやってくれていればいいが。なんだか、胸騒ぎがした。これは悪い予感なのだろうか。
暁人が鎌鼬を追って路地裏の角を曲がると、突然目の前に現れたのは、黄色いレインコートに傘を差した幼い子どもの姿のマレビト───雨童だ。こんな真っ昼間に、と暁人は瞬間的に思う。ちらっと上空を見ると、鎌鼬はもう姿が見えなかった。見失ったか。仕方ない、まずは目の前のことからだ。頭を切り替え、視線を前に戻す。本来ならば、このマレビトはこちらの姿を視認すると、笛を吹いて他のマレビトを呼び出し、自身は姿を消す。ところが、その時は違っていた。その虚ろな目に暁人の姿を認めながらも、笛を吹くことも、姿をくらますこともしない。敵のあまりにイレギュラーな反応に、様子を窺っている暁人を傘越しに見詰め、小さく首を傾げる。次の瞬間、一気に暁人に向かって駆け寄り、咄嗟に反応出来なかった暁人の体をすり抜けた瞬間、黒い靄となり霧消した。暁人は呆然と立ち尽くし、キョロキョロと辺りを見渡した後、地面にしゃがみこんだ。
暁人を探して歩くうちに、目を回して休憩する鎌鼬を見つけ、さっさと札に封じる。棚ぼただが、これで暁人にでかい顔ができる。肝心のあいつは何処にいるんだ?霊視するが、何かに妨害されているのか、うまく引っ掛からない。そう遠くへは行ってないはずなんだが。電話をかけてもでない。どうなってるんだ?
呼び出し音を鳴らし続けながら探していると、路地裏からあいつのスマホの着信音が聞こえてきた。急いで音の方向に走ると、片隅に踞ったあいつを見つけた。まさか、怪我でもしたのか!?
「暁人!」
名前を呼ぶと暁人が顔を上げた。次の瞬間、今まで見たことも無い笑顔で俺の名前を呼んだ。
「けぇけぇ!」
その言い方に違和感を覚えたが、一先ず無事なようで安心する。
「大丈夫か?何かあったのか、電話にもでねぇし」
手を取って立ち上がらせると、暁人は俺に抱きついてきた。ほとんど背丈の変わらない男が、何の躊躇もなく全力で抱きついてくる。咄嗟のことにもなんとか倒れずに踏み留まれた。腰をやらなくて良かった。
「ねぇ、けぇけぇ、はやくかえろー?あきと、つかれちゃったー」
は?今、なんつった?
もはや違和感しか感じないその口調。あきと、って今、おまえ、自分のこと名前で呼んだか?何がどうなってる?これじゃあ、まるで。幼い頃の息子の姿が脳裏に浮かぶ。たどたどしい口調で自分自身の事を名前で呼んでいた。まさか。
「暁人」
おそるおそる相棒の名を呼ぶ。
「なぁに?けぇけぇ?」
俺の首にしがみついたまま、暁人が答える。
「とりあえず、離れてくれねぇか?」
このままでは歩けないし、いくら路地裏とはいえ、いつ人が来るかも分からない。一旦、落ち着きたい。だが、その願いは敢えなく却下された。
「やだ!ねぇ、けぇけぇ、だっこして?」
キラキラする瞳でそんなおねだりをされても、物理的にキツすぎる。せめて、もうちょい図体が小さければ。
「抱っこは無理だな」
暁人は不満げに頬を膨らます。
「ほら、さっさと帰るぞ」
抱きついてる体を無理やり剥がして歩き出すと、大人しく後からついてきた暁人は、右手で俺の左手を握った。
「て、つないで?」
俺は思わずため息ついた。
「二人はそういう関係だったのか?」
暁人と手を繋いで帰還した俺を見て凛子が言う。
「んなわけねーだろ」
暁人はただいまぁーと元気よく室内に入っていく。
「ちゃんと手洗えよ」
「はーい」
いい返事だ。凛子からの珍獣を見るような視線を浴びながら、俺も暁人に続いて中に入る。
「ねぇ、もうおかしたべてもいい?」
「あぁ、いいぞ。帰るまで我慢できて偉かったな」
俺が言うと暁人はご機嫌で、途中で寄ったコンビニの袋から三色団子と苺大福と金平糖を取り出した。
「食う量は変わんねぇんだな…」
「ねぇ、本当にあんたたち、どうしたの?」
凛子の疑問ももっともだ。俺は暁人にペットボトルの茶を渡しながら、自分自身にもよく分からんこれまでの経緯を話した。暁人に起こった事は、道々あいつから聞き取ったので今一つ要領を得ず、正直不明な点ばかりだが、マレビトによる何らかの攻撃によって暁人がこうなった、という事は間違いなさそうだ。
暁人は菓子を食い終わると、ソファに座る俺に近付き、膝の上に座ってきた。見た目細身な方とはいえ、立派な成人男性になんの忖度もなく思いっきり座られるのは当然経験が無く、何の心構えも無い状態では大腿骨が折れるかと思う程の衝撃だった。
「痛ってぇぇ!」
耳元での大声に暁人はきょとんとした後、
「だいじょぶ?けぇけぇ?どこいたいの?」
振り返って心配そうに俺の頭を撫でる。
おまえのせいだよ、とは言いたかったが、それは我慢した。
「大丈夫だが、次からは膝に座る時はもっと、そーっと座ってくれ」
「うん、わかった」
素直に頷く暁人を見ながら、次なんてあるのか?と自問した。
「あんた、意外とまともな父親だったみたいね」
凛子が不思議そうに言う。
「…そんなことはねーだろ」
それはあり得ない。自分が一番良く分かってる。
夕方になり、暁人の妖怪カッコいいランキングの話を聞いてるところに麻里と絵梨佳が帰って来た。
「まり、おかえりー!」
こんな状態でも兄は兄なのか、暁人は嬉しそうに妹を出迎える。兄に抱き締められるという、常に無い熱烈歓迎に麻里は戸惑いを隠せないようだ。
「どうしたの?お兄ちゃん、なんか良いことでもあった?」
「うーん?まりがかえってきて、うれしかったからー」
無邪気な笑顔を浮かべる暁人に麻里の困惑は深まる。
「ね、けぇけぇ、かっぱ、かいてぇ?」
「…お兄ちゃん…?」
俺の横に座って、ノートに妖怪の絵を描く暁人を見る麻里の表情は、何とも微妙なもので俺は居たたまれなくなった。
麻里と絵梨佳にも経緯を説明する。絵梨佳は驚きで目を丸くし、麻里の表情は複雑だった。暁人の目の前に座り、そっとその頭を撫でる。暁人は気持ち良さそうに笑う。
「どうしたら、元に戻るの?」
不安そうな麻里とは対照的にご機嫌な暁人は、絵梨佳に書いてもらった猫又の絵を眺めている。
「それが全く分からねぇ。なんせ初めての現象だからな…」
不安に追い討ちをかけることになるが、それが事実だから仕方ない。
麻里は暫くはこの幼い兄との生活になるのを覚悟したようだ。暁人の肩に手を置き、優しく声をかける。
「お兄ちゃん、一緒に帰ろ?」
暁人は激しく頭を振り、抵抗するようにこちらの肩にしがみつき、
「…あきと、おうちかえりたくない…けぇけぇと、ずっといっしょにいるぅ…」
上目遣いで俺の顔を見上げながら駄々をこねる。
もうこうなったら駄目だ。俺の乏しい子育て経験でもそれは分かる。
「お兄ちゃん、KKさん、困っちゃうよ?」
だから、何とか説得しようとする麻里に言った。
「麻里、暁人は置いてっていいぞ」
「え、いいの?今のお兄ちゃん、こんなだから、絶対KKさんに迷惑かけちゃうよ?」
「別にかまわねぇよ」
不安そうに会話を聞いていた暁人の顔が笑顔に変わり、
「やったー!けぇけぇだいすき!」
再び、今度は向かい合わせで俺の膝に乗り、首に腕を回してべったりと抱きつき、甘えてくる。
「けぇけぇ、よる、いっしょにねようねー」
耳元で囁く甘ったれた声に、何故だか胸の奥がざわついた。
兄を預かってもらうのに申し訳ないからと、麻里が夕飯の支度をしてくれた。こんな時でもしっかりした妹だ。
「お兄ちゃん、KKさんにわがまま言っちゃダメだよ?」
暁人の手を握りしめて麻里が言う。
「わかった」
暁人はこくんと頷き、不安げに何度も振り返りながら絵梨佳たちと帰っていく麻里に手を振る。
二人だけになり急に静かになった空間で、改めて暁人を見る。
ぱっと見はいつもの生意気な相棒だ。だが、今も目が合った瞬間に無邪気な笑顔を浮かべ、背中に飛び付いてくるのは普段のこいつからは考えられない。大体、暁人は俺のことをあまり良く思ってないんじゃないのか?最近の様子からはそんな気さえしていた。それなのに、今のこいつは俺から片時も離れようとしない。背中にのし掛かる暁人は小首を傾げ、横から俺の顔を覗き込んできて、いつものクソ生意気な口調とは違う、舌っ足らずな甘えた声で名前を呼んでくる。
「けぇけぇ」
「おう、どうした?」
「おなか、すいた」
「じゃあ飯にするか」
「うん!」
一晩預かったからには、とりあえずは父親代わりとして世話をすることにしよう。
飯を食わせて風呂にいれ、歯を磨かせて布団にいれる。そこまではわりとスムーズにいけた。だが、一人で寝かせようとすると、
「やだぁ!けぇけぇといっしょにねるのー!」
と言ってきかない。さすがに勘弁してくれ。寝かしつけは育児の中でもかなりの難所だと聞く。やはり、そう易々とはいかないか。仕方ない。
俺は暁人の隣に横になり、その肩を軽くとんとんと叩く。暁人はもぞもぞと距離を詰め、俺の胸元に頭を突っ込んできた。背中に腕を回し、ぎゅうっと抱きついてくる。暑いし、首にあたる髪が擽ったい。だが、不快ではなかった。眠る時に感じる人肌が久しぶりだったせいか。
「けぇけぇといっしょ、うれしいな」
下から聞こえるくぐもった声は、聞き慣れているはずの声なのに、とろけるような甘さを含んでいた。
「あきとねぇ、けぇけぇのことだいすき」
そっと背中を撫でると、気持ち良さそうに頭を擦り寄せてくる。
「俺なんかの、何処がそんなに好きなんだ?」
どうにも気になって聞いてみる。こんな草臥れたおっさんに、どんな需要があるというのか。
「けぇけぇは、つよくてやさしくてかっこいいもん。それに、いつも、みんなのためにがんばってるから」
そんな風に思ってくれてたのか。これは俺の都合のいい幻聴じゃないよな?
「おとーさんみたいだけど、でも、けぇけぇはけぇけぇだから、すきなんだよ」
拙い言葉でそれでも一生懸命に好意を伝えてくる。多分、それは俺が欲しかったものなんだろう。ふわりとした幸福感に包まれる。
「おまえは可愛いなぁ、暁人」
思わず口をついて出た。それを聞いた瞬間、暁人は目を輝かせた。
「かわいい?あきと、かわいい?」
頭を撫でながら言う。
「あぁ、可愛いよ、おまえは」
「じゃあ、あきとのこと、かわいがってくれる?」
昼間に俺が言った言葉を思い出す。可愛げがあれば、とは言ったが、これはさすがに可愛い過ぎるだろう。
「どうやって、可愛がって欲しいんだ?」
若干の下心を持って聞いてみる。
「ぎゅってして、あたまなでなでして」
天使のような笑顔で暁人は答えた。残念だが、今回は暁人のリクエスト通りに可愛がってやることにしよう。
力いっぱい抱きしめて、頭を優しく撫でる。暁人は満足気な顔で、やがて静かに寝息をたて始めた。そっと腕をほどいて、寝顔を眺める。庇護欲をかきたてる、その幼げな顔は、朝にはどんな表情をするんだろうか。
先に目覚めて、余韻に浸りながら隣の寝顔を見つめていると、瞼が震え、ぱちりと目が開いた。
「よう、おはようさん」
声をかけると、飛び起きて俺から距離を取り、暫しの沈黙の後に俯き、震える声で
「…昨日は大変なご迷惑をお掛け致しまして…面目次第もございません…」
思いっきり他人行儀な挨拶。
「この御詫びは後日改めてということで、今日のところはこれにて失礼させて頂きます…!」
言うなり逃げ出そうとする暁人を捕まえる。
「なんだ、もう元に戻ったのか。2,3日は付き合うつもりだったのに」
「冗談じゃない!こんな恥ずかしいの…!」
耳まで真っ赤だ。そんなに恥ずかしがることはないのに。
「その、なんだ、昨日の記憶があるということは、あれはおまえの本心ってことでいいんだな?」
「いや、違っ…わないけど…」
暁人は大きくため息を吐いて頭を抱える。
「なんだってこんな…はぁ…KK、呆れてるでしょ?」
覚悟を決めたのか、顔を上げた。
「本当にごめん、昨日のあれは忘れてくれていいから、っていうか、忘れて。迷惑だよね、僕がKKの事、好きなんて」
「迷惑とか勝手に決めてんじゃねぇよ」
暁人の顎をつかんで唇を食む。柔らかい感触は、昨夜抱きしめた体の弾力を思いださせる。
「さっさと元に戻ってくれて良かったぜ、あのままだと手を出そうにも出せないからな」
驚きで固まっている暁人の体を抱え上げる。
「ほら、お望み通り抱っこしてやるよ、ベッドまでな」
心の準備がどうとか騒いでいるが、こちらは一晩お預けを食らったんだ。もういいだろ?