「うぇぇぇぇぇぇぇん!!えぇぇぇぇぇぇん!」
敷布団の上でへたりこんで泣きわめく青年。足元にはぬいぐるみや玩具が散乱していた。
「ほーらねこさんだぞー」
俺は落ちていた赤い首輪の黒猫のぬいぐるみを掴んで、泣きわめく青年の前に出す。
「ねこしゃぁぁぁぁん!!」
青年は黒猫のぬいぐるみを鷲掴みにすると、それを自身の胸の中に抱え込み大声で泣く。俺は彼の側に寄り添い頭を撫でるが、青年が泣きやむ様子は全くない。
「今度は何で泣いてんだよ」
理由を聞くが、頭を横に振って、泣き声で喋る気配がない。
「泣いてばっかじゃわかんねーよ」
俺は布団の上で泣きわめく青年の体を抱き起こす。彼は泣きながらも、黒猫のぬいぐるみを片手で握り絞めていた。
「えぇぇん!!えぇぇん!!」
俺は青年の背中を優しく擦る。しかし泣き止む様子はない。
「ひぐっ・・・ひぐっ・・・」
青年は苦しそうな表情で黒猫のぬいぐるみに顔を埋め泣き続ける。
「ひぐっ・・・えぐっ・・・うぇぇん」
布団の上で、青年の泣き声だけが響いていた。俺はただ、泣き止むまで側に寄り添い、背中を摩り続けた。
「うっ・・・ぐぅっ・・・」
そしてしばらく経つと、嗚咽が小さくなる。俺の耳元で小さな寝息が聞こえ、青年は泣き止んでいた。
****
「どう?」
「泣き疲れて寝た」
凛子に報告する。あの夜に俺は消えたはずなのだが何故か元に戻っていた。おまけに凛子も絵梨佳。そして
「そうですか」
暁人の妹の麻里もだ。
「一体彼の身に何が起きたのか・・・」
「お前は知らねぇのかよ」
「私が見つけた時点でもうあの状態だったが」
そう言うのは絵梨佳の父親だ。あいつも俺達と同じように戻っていた。そして幼児退行を引き起こした暁人を見つけて、しばらく面倒を見ていた。暁人は妹のために一生懸命になっていたあの夜とは違い、今では子供のように感情に正直だ。
「お前が拾ったときもあんな感じだったのか?」
「もっと酷かったぞ、今は落ち着いているが癇癪をおこしたりして手がつけられなかった」
「そうか・・・」
俺は布団の上に横になっている暁人の寝顔を見る。黒猫のぬいぐるみを抱えてスヤスヤと寝息をたてている。顔をよく見て見ると泣きすぎていたのか目の回りが赤く腫れていた。
「むぅ・・・」
「夜泣きは止めてくれよ」
「・・・けぇけぇ」
暁人が寝言で俺の名前を呟いた。夢の中に俺でもいるのか。
「いっちゃ、だめ・・・だめ、だめ、だめ」
暁人が身体をくねらせながら呟く。俺はそんな暁人の寝言を聞いて、胸が締め付けられた。
「ひとりに、しないで・・・ひとりに、しないで」
「暁人・・・」
俺はそっと暁人の頭を優しく撫でる。すると安心したのか、強ばっていた表情がほぐれ、再び寝息をたててスヤスヤと寝始めた。
「寝ているだけまだいい」
「お前なんかされたんか?」
「色々あるんだ察してくれ」
あいつの顔から疲労の色が見えかくれしていたので聞かないでおこう。
****
「美味しいか?」
「おいひーよ」
「口に物いれたまま喋んな」
「ふぁーい」
暁人がチャーハンを口に頬張り、モゴモゴと喋る。俺はその様子を楽しそうに見ている。チャーハンは俺が作ったものだ。当の本人がこの状態じゃ、とてもじゃないが食事の支度はできそうにない。
「けぇけぇ」
暁人が俺の名前を呼ぶ。しかし手に持つスプーンからはポタポタとチャーハンがこぼれ落ちている。
「なんだ?」
「よんだだけ」
ニマッと笑いながらスプーンに再び手をつける。
「そうか」
俺は暁人の頭を優しく撫でる。しかしスプーンからはまたポロポロとチャーハンがこぼれ落ちていた。
「ごちそうさまー!」
「よく食べました、じゃあ片付けてくるから少し待ってろな」
俺は空いた皿を持って台所に向かう。背後からは、けぇけぇと俺を呼ぶ暁人の声が聞こえていた。
****
「気持ちいいか?」
「おふろきもちーよ」
一緒に湯船に浸かっている。暁人の身体は俺が支えていた。
「けぇけぇ」
「なんだよ」
「あたまあらって?」
「・・・仕方ねえな、そこに座れ」
俺は椅子を指してそう言うと、暁人は嬉しそうに椅子に座った。俺はシャンプーを手に取り泡立てると、暁人の頭を洗い始めた。
「かゆいところあるかー?」
「ないよ!きもちいーよ!」
「そうか」
頭皮をマッサージするように洗う。暁人は目をつぶって気持ちよさそうにしている。
「流すぞー」
「うん!」
シャワーヘッドを手に取り、お湯を出して泡を流していく。
「はふー」
暁人が力を抜く。頭を洗い終えたので、次は体だ。俺はスポンジにボディーソープをつけて泡立てると暁人の体を洗い始めた。
「くすぐったいよー」
「我慢しろー」
「やめてよけぇけぇ」
「やめないぞー」
暁人の笑い声が風呂場に響き渡る。その声を聞くと、自然と笑みがこぼれる。背中を洗った後、俺は暁人の体を前から洗おうとした。
「じぶんでやる」
「じぶんでやる」
だが暁人がそれを断った。流石に自分のは恥ずかしいのだろう。スポンジを渡し、俺は湯船に浸かる。しばらくして洗い終えた暁人も俺の隣に浸かった。
「そろそろ上がるぞ」
「えぇーまだはいるぅー」
仕方ないので少しだけ湯船に浸かったあと、風呂から上がった。俺はバスタオルで暁人の身体を拭いてやる。濡れた髪から水滴が垂れてくる。
「けぇけぇ」
「ん?どうした?」
暁人が頭をこちらに向けて、俺の手の上に自分の手を乗せる。
「えへへー」
「何だよ気持ち悪いなぁ」
俺は暁人の髪を拭き終わると、着替えのパジャマを着せてやった。そして歯ブラシに歯磨き粉をつけてやり、それを暁人にくわえさせる。
「ほれ、シャコシャコしな」
「んー」
大人しく歯を磨く。だがしばらくすると、歯ブラシから口が離れていった。
「どうしたんだ?」
「けぇけぇ」
「何だよ」
暁人は俺の首に手を回して抱きついてきた。そして俺の頬に自分の頬を擦りつける。
「・・・やめろよくすぐったいだろ」
髭が生えている俺の肌に気にもせずスリスリと頬ずりをしている。
「けぇけぇ」
しばらく頬を擦りつけていると満足したのか、暁人は俺から離れた。俺は歯磨きを続ける。しかしすぐにまたすり寄ってきた。そして今度は俺の胸板に顔を押し当ててきた。
「おい、やめろって」
俺は無理矢理引き剥がす。暁人は頬を膨らませ、不満そうな顔をしていた。
「ほら歯磨いたら寝ような」
俺がそう言うと素直に歯を磨き始めた。それから俺は鏡に映る自分の顔を見ながら髪を整えた。
「おわったー」
歯磨きを終えた暁人がパジャマを着ながらぴょんぴょんと跳ねる。そのまま一緒に洗面所を出る。俺は小さくため息をつくと、暁人の頭を優しく撫でてやる。
「ふへへっ」
にんまりと笑う暁人に自然と笑みがこぼれる。
「いっしょにねよ」
「そうだな」
お互いに同じ布団に入ると、暁人の背中を優しく叩く。すると眠気がやって来たのかうとうとしてくる。
「けぇけぇ・・・」
「大丈夫だ、俺はここにいる」
「・・・いなく、ならないで」
その言葉と共に眠りにつく。それに続いて俺も目蓋を閉じた。