生きもののにおい『まあおまえの匂いは日向のキラーパンサーってとこだな』
『―――は―――のにおいがするよ』
『なんだそれ。全然説明になってねえじゃねえかよ』
ぼくが「こわい」って言ったら、〈とうさん〉がぼくをこわがらせるものをみんななくしてくれたので、それで、ぼくはうれしくなりました。
ここに来てからは、こわいことの連続でした。
知らないおねえちゃんや、おにいちゃんが、ぼくにこわいことをさせようとします。あぶないものを持たされたり、つきとばされたりして、ぼくはすごく心細いおもいをしました。ぼくは何回も、いやだっていったのに。
それで、ぼくは頭の中で、「こわい人たちがぼくをいじめるから、だれか助けて」ってたくさんお願いしました。そうしたら〈とうさん〉が来てくれて、こわい人たちをみんないなくしてくれました。〈とうさん〉はすごく強くて、かっこよくて、〈とうさん〉ががおおってすると、風がたくさんふいて、地面がぐらぐらゆれます。気がついたときには、こわいおねえちゃんも、よろいを着たひとも、大きいきばのいっぱいついたモンスターも、誰もぼくをいじめなくなりました。
ぼくが〈とうさん〉に「ありがとう」って言うと、〈とうさん〉はぼくのあたまをいっぱいなでてくれて、あったかい気もちになりました。
ぼくの足元で、こわいおにいちゃんがねむっていたので、足でつっついてみました。本当はねたふりをしていて、またぼくをいじめにくるんじゃないかと思うと、心臓がどきどきしたから。まずはじめに、くつで頭のところをつついてみました。おにいちゃんはまだねむっていたので、今度は、すこしいやな気もちがしたけど、手でもさわってみました。でもおにいちゃんはぼくのことを怒らなかったので、ほっとしました。
おにいちゃんはちょっとだけ目をあけてねむっていました。ぼくはかがみこんで、おにいちゃんの背中に耳をあててみました。そしたら、おにいちゃんの背中から、へんなにおいがしたので、ぼくはびっくりしました。〈とうさん〉は、それは血のにおいだとぼくにおしえてくれました。ぼくは血のにおいのことについて、ひとつくわしくなりました。
とうさんがまたがおおってすると、おそらからおおきなドラゴンがとんできました。とうさんは、「行こうディーノ」と、ぼくに声をかけました。ディーノというのは、ぼくの名前のことです。
「どうした?」と、とうさんはぼくにききました。「こっちに来ないか」
ぼくはすこしもじもじしました。とうさんにお願いがしたかったけど、おこられたらいやだなと思ったからです。
「このおにいちゃんと一緒でもいい?」
とうさんはちょっとむずかしい顔をして、それから、「かまわない」と言いました。
「それだけでいいのか」
ぼくはうん、とこたえました。ぼくたちはいっしょにドラゴンに乗って、空のうえをあちこちとんでまわりました。ぼくは、こんなに楽しい気もちになったのははじめてで、うんとはしゃぎました。はしゃぎすぎて、一どだけ、ドラゴンのせなかからおにいちゃんを落っことしてしまいました。
おにいちゃんはぐっすりねむっていたので、せなかから落っことされても怒りませんでした。とうさんはおにいちゃんをおいていこうとしたけど、ぼくはちゃんとドラゴンをとめて、おにいちゃんをまたせなかに乗せてあげました。
「そんなにそれが気に入ったのか」
「とうさん、このおにいちゃん、へんなにおいするよ」
「それは生きものの朽ちていく匂いだ」
「朽ちていくにおいって、血のにおいのこと?」
「いいや。それとは似ているが、別のものだ。饐え、ほどけ、限りなく遠ざかっていく、そういうものの匂いだ」
とうさんの言っていることは、むずかしくてよくわからなかったけど、ぼくは「うん」とこたえました。ぼくは、おにいちゃんのあごのところに鼻をつけて、しばらくにおいをかいでいました。おにいちゃんの体からは、やっぱり、へんなにおいがしました。でも、いやじゃないにおいです。それは生きものの朽ちていくにおいだと、とうさんは言っていました。
ぼくたちはドラゴンをおりて、そうして、ふたりで暮らしはじめました。でも、ぼくがずっとおにいちゃんのにおいをかいでいるので、とうさんは自分の血を一滴たらして、おにいちゃんのにおいがこのさきもずっと変わらないようにしてくれました。とうさんは何度もやめなさいって言ったけど、ぼくはいやなことがあったり、こわいことがあったときには、きまってこのにおいをかぎにきます。このにおいをかぐと、すごくほっとするから。だからぼくは、誰かに好きなにおいをおしえてって言われたら、こう答えるつもりです。ぼくの好きなにおいは、生きもののくちていくにおいです。