ニコラシカ大通りから一つ、脇に逸れた通り道。古くからある商店街の裏に位置する場所からさらに奥。二つ曲がった路地裏にその店はある。
カラン、と涼やかな鐘の音が来訪者を告げた。
カウンターでは一人のバーテンダーがグラスを磨いている。店内に音楽はなく、何処からか水音だけが響いていた。テーブル席は円卓が二つ。他の客はいないようだ。
「いらっしゃいませ」
お世辞にも愛想が良いとは言えないが、一見して氷雪のような美貌に瞬間呆けた。僅かに傾いた首元で、白銀の髪がさらりと揺れる。
「お好きな席へどうぞ」
勧められるがまま、彼の正面から少しズレた奥へと腰掛けた。整った造詣は元より、その眼光の強さが正面から直視するには少々ツライものがあったのだ。
「ご注文は」
尋ねられて言葉に詰まる。眼が泳ぐのがわかるがどうにもならない。注文は決まっている。そのために来たのだ。ここを教えてくれた青年の忠告が耳に蘇る。
『“それ”を出せば、後戻りは出来ない』
わかっている。だがもうどうしようもないのだ。他に頼れる先もない。だが諦めることもできない。
もう一度、彼の顔を見た。静かな眼がじっとこちらを待っている。言えば、この美しい青年を巻き込むことになる。あちらにとっては仕事かもしれないが、だからといって見ず知らずの己より年若く見える彼を巻き込むことが本当に正しいのか?
気付けば視線は手元に落ちていた。
まだ、間に合う。まだ、口にしていない今ならまだ。早くここから立ち去らねばならない。きっとそれが正しい。正しいのだ。きっとー
「たった一つ」
「え?」
「後悔したくないのならば、たった一つの捨てられないものを選べば良い」
「捨てる?」
「そう。諦めるとは、捨てるということ。それが何であれ、捨てるのであればこの先の人生に抱えてはいけない」
捨てるあの怒りを?悲しみを、悔恨を?そうしてのうのうと生きていくのか。生きて、いけるのか。
「無理だ」
無理に決まっている。だからこそ探したのだ。諦めきれなくて、忘れられなくて、日に日に肥大化するこの感情の矛先が欲しくて。
だが本当に良いのか?最後の一歩が酷く遠い。この一歩を踏み出したとき、失いたくない最後の縁まで亡くしやしないだろうか。
「だが、きっとこれは正しくない」
人道に背くと解ってはいる。だが先に背いたのは誰だ。奪ったのは?
「正しさは必要か?」
「え?」
「正しさは救い足り得るか?」
嗚呼、そうだ。正しさも正義も救ってなんてくれなかった。救いがあったなら、私は今ここにいない。
「“ニコラシカを砂糖なしで”」
告げたとき、彼は初めて微笑んだ。見惚れる間もなく背を向けた彼が腕を振るう。差し出された琥珀色がゆらりと揺れた。見えないナニカに促されるように手を伸ばし、レモンを口に含む。
本来であれば砂糖の甘味があるが、それはない。
失われたものだ。
レモンを噛み締めてグラスを一気に呷った私に向かい、彼は嗤った。