「ヤバイ。やっぱり熱がある…」
良守は体温計を見つめながらため息をついた。朝起きた時なんとなくだるさはあったものの今日は久しぶりに正守とでかけられる日ということもあり気づかないフリをしていた。だが、準備をしているうちにそのだるさは増してきていて念のためと思って熱を計ったのがいけなかった。
気づかないフリをしていればなんとなく誤魔化せたような気もするが、体温計に示された温度を見てしまったとたん急に体が不調を主張し始めた。体温計の示す温度は37.5℃。動けなくはないが体が重く感じるし、少し関節が痛いような気がしてきた。
だが、良守は今日はどうしても出かけたかった。ずっと忙しく電話でしか話す時間が取れなかった正守がやっとのことで一緒にでかける時間が取れたということで決めた日が今日なのだ。そんな日に限ってなんで熱なんか出るのか。
落胆しつつも体温計を見なかったことにして準備を済ませると、正守との待ち合わせ場所に向かった。
向う最中もどんどん体調は悪化していくのがわかった。頭はガンガンするし、視界も若干狭くなっていくような気がする。体もなんとなくふわふわしてきた。それでも、もうずっと会えていない正守に会いたい、その一心で待ち合わせ場所になんとかたどり着いた。
時間より先に着いたのもあり正守はまだ来ていなかった。壁に体を預けてなんとか立っていたがそれでもつらくなってきてその場に座り込む。
(こんなのバレたら絶対怒られるよな・・・)
そんなことを思いながらどうしようかと考え込んでいると、頭の上から声が降ってきた。
「待たせたな」
顔を上げると、いつもと変わらない正守がいた。慌てて立ち上がろうとするが体に力が入らずよろけてしまう。
「大丈夫か?」
体を支えられたが、触れられると熱があるのが分かってしまって怒られると思いさっと離れた。何気なさを装ったつもりだったが、正守には不審に思われたようだ。
「どうした?」
「なんでもない。早く行こう」
そう言って歩き出す良守の腕をつかんで正守は引き止めた。
「お前、もしかして具合悪い?」
「そ、そんなことないよ。なんで?」
悟られないように顔を背けながら答えるが、そんなことを正守が見逃すはずもない。相手は異能者を束ねる頭領だ。相手の機微な変化に気づかないわけがない。正面を向かせられると顔を覗き込まれる。久しぶりのアップの顔に、かっこいいなぁなんてのんきなことを考えていたのも熱のせいだったのかもしれない。とっさの正守の動きに反応が遅れ、おでこに手を当てられてしまう。
「すごい熱じゃないか!具合悪いなら無理しないで連絡してくれればよかったのに!」
案の定な展開。
「このくらい大丈夫だよ。行こうって」
せっかくのデートを中止にされてしまってはたまったものではない。やっと時間がとれたというのに。大丈夫だと見せるようなるべく平静を装って答えた。
「それにしたってすごい熱だろ。顔だって赤いし目も少し潤んでる。家に帰ろう」
「大丈夫だって。せっかく一緒にでかけられるのに」
手を掴んで帰ろうとする正守の手を振り払う。
「でかけるったってそんなんじゃ無理に決まってるだろ。さ、帰るぞ」
「大丈夫だから。次いつまた出かけられるかわからないだろ」
「なんでそう聞き分けがないんだ」
多少声を荒げて言い争ってしまったおかげで、周りから注目を浴びてしまっていたのに気づく。その視線から良守を隠すように正守は体を動かす。
「悪かった、声を荒げて。でもお前が心配なんだよ。そんなに無理することない」
「兄貴だって無理して時間作ってくれたのに。なのに、俺の熱のせいでなくなるのヤダ。だから大丈夫だから行こうって」
潤む目で見上げられてお願いされてしまい、正守はきゅんとしてしまった。なんて可愛いんだ、このまま襲いたい。そんな欲望をなんとか押し込める。
「そんな熱じゃ無理だ。今日は中止にしよう。時間なんてまた作ればいいじゃないか」
「またって言ったっていつになるかわかんないじゃないか!俺だって今日楽しみにしていたのに…もういい!」
熱でグチャグチャになった感情をぶつけると、正守の横をすり抜けて走り去る。一瞬虚を突かれた正守は出遅れたが、慌てて良守を追いかけて、良守が逃げ込んだであろう向かいの公園へ入っていった。
なんとか正守を振り切って逃げたものの、全力疾走したことでさらに体調が悪化し今にも座り込みたいほどになってきた。なんとか空いているベンチを見つけると倒れ込むように座り空を見上げる。
熱でぼーっとする頭で先ほどのやり取りを思い出す。正守が言いたいこともわかる。それでも久しぶりに正守と出かけられるのを楽しみにしていたのも分かってほしい。楽しみにしてたのは自分だけで正守はなんとも思っていないのかと熱のせいでどんどん悪い方に考えが行ってしまう。
(ダメだ…熱があがってきた気がする。どうせ正守も追ってこないし、しばらくこのまま眠ってしまいたい…)
良守はそのまま目を瞑るとすっと意識を失った。
正守は良守が逃げるであろう方向はなんとなく検討がついていた。先ほど周囲に注目されてしまったこともあっておそらく人気がないほうに行ったに違いない。公園内の森につながる遊歩道を注意深く見ながら探す。すると、ベンチに座っている良守を見つけた。
「良守~」
少し離れたところから呼びかけるが返事がない。へそを曲げて無視をしているのか。少し大人げなかったかなと思わなくもないが、本人が気づいてないだけでかなりの熱があった。それを心配しただけなのに。
近づいて呼びかけても一向に返事がない。さすがにおかしいと思って駆け寄ると目を瞑って寝ているようだった。
「良守、おい良守」
頬をぺちぺちと叩いてみても、少しうなるだけで起きる気配がない。それ以上に触れた頬が先ほどより熱かった。これは寝ているだけではないと気づき焦った正守は、良守を抱え上げるとさらに人目のつかない場所まで行き、昼間はなるべく控えている空までの結界を作りながら急いで家まで向かった。
「あれ?」
良守は目を覚ますと自分の部屋のベッドで寝ていた。正守に会いに行ったのは夢だったんだろうか。まだぼーっとする頭を無理やりに覚まして起き上がろうとすると、おでこから濡れたタオルが落ちる。
「なんでここに寝ているんだ?」
そんなに広くないワンルームの部屋を見回しても自分の部屋であるのに間違いはないし他に誰もいない。ただ、なんとなく正守の香りが残っているような気がするがそれも気のせいかもしれない。なんとか起き上がり、ベッドに腰掛けて思い出そうとするが、ふと自分の格好を見て夢ではなかったことを確信する。下はジャージに着替えていたが、上は出かける時に着ていたTシャツのままだった。でも、どうしてここに寝ているんだろうか。色々考えていると、玄関の扉がガチャッとなってしばらくすると部屋と廊下を分ける扉が開いて袋を下げた正守が入って来た。
「あれ?起きた?具合はどう?」
ぶら下げていた袋をテーブルの上におろすと良守のおでこに手を当てる。
「なんで?」
「なにが?う~んまだちょっと熱があるかな。とりあえずもう一回熱計って」
体温計を渡された良守は素直にわきの下に挟むと、再度正守に問いかける。
「なんで俺ここで寝てるの?」
「覚えてないのか?お前待ち合せたのはいいけど熱あるのに出かけるって言い張って。それで俺から逃げたのに公園で意識失ってたからあわてて連れ帰って来たんだよ」
「まじか…兄貴、ごめん…」
「そうやって、さっきも素直に言うこと聞いてくれればよかったのにな。お前が出かけるって聞かないから」
「だって!」
全て自分が悪いみたいな言い方をされてカチンと来た。
「だって、めちゃくちゃ久しぶりに会えたし出かけられるって思ってたんだよ!すげぇ楽しみにしてたのに。これを逃したらまたいつ出かけるかわかんなくなると思ったら」
泣きそうになるのは熱のせいなのかもしれない。
「そっか。ゴメンな。俺が忙しいせいでお前に無理させてたんだな」
「無理なんて…」
なんて言い返そうか言い淀んだタイミングで体温計がちょうど鳴った。
「どれ、見せてみろ」
良守は素直に正守に体温計を渡した。
「まだ38℃あるな。とりあえず今日はまだ寝てろ。ほら、布団に入って。あ、その前に薬飲んだ方がいいか。薬どこにしまってあったっけ?あとゼリーとか買ってきたけど食べられる?」
そう言いながら薬を探そうとする正守に場所を伝えると、良守は素直に布団の中に入り動く正守を目だけで追う。そんな視線に気づいた正守は薬を持って戻ってくるとそっと頭をなでた。
「今日はずっとそばにいてやるから安心して寝ろ」
「うん…」
「あ、その前に薬飲むのにゼリーだけでもいいから食べられる?」
「うん」
うなづきながらも布団に潜ったまま正守を見上げる。
「兄貴が食べさせて」
急に甘えたことを言いだした良守に正守は驚いていたが、寂しい思いをさせていたというのも分かっているのか素直に言うことを聞く。
「どれ。じゃあお兄ちゃんが食べさせてやろう」
袋からゼリーを取り出すとスプーンですくって口元まで運んでくれる。それをひと口ずつゆっくりと飲み込む。
「なんか懐かしいな~昔もこうやって面倒みてやったよなぁ。お兄ちゃんに風邪移しちゃえとか言ってちゅーとかしたり…で、ほんとにうつっちゃったりしてな」
思い出話を語りながらも、良守の食べるペースを見ながら何度も運んでくれる。
「よし、じゃああとは薬飲んで少し寝ろ。なんかあればここにいるから」
薬を飲んで再び横になった良守に布団をかけてくれる。
「にいちゃん、ありがと」
甘えついでに恥ずかしくて聞こえるか聞こえないかぐらいの声で言ったつもりだったが、正守の耳にはちゃんと届いていたようだった。
「ん、どういたしまして。今度からはお前が心配しなくなる程度には会う時間作らないとだよな。まあ、久しぶりににいちゃんって聞けたのはちょっと得したけど」
「バカ」
茶化した正守にムカついて布団から手を出して殴ろうとするが、熱があって力のない腕など簡単に止められる。そのまま顔が近づいてくると軽く頬にキスをされる。
「ほんとはキスしたいけどな。たまにはこんなのもいいだろ。ほら、早く寝ろ」
良守の腕を布団の中に戻すと肩までかけ直し、胸の当たりをトントンと優しく叩いてくれる。ますます小さい頃を思い出して懐かしい気持ちのまま眠りについた。
翌朝目を覚ますとすっかり熱も下がり体はスッキリとしていたが、正守の姿はなかった。
「なんだよ、ずっといてくれるって言ったのに」
寂しさを紛らわす為につい不満が溢れてしまう。ベッドから抜け出してテーブルの上を見ると、正守の字で書置きがあった。
「急用ができてしまったので少し出てくる。すぐ戻ってくる」
忙しいのはわかっているから、急な呼び出しがくることもわかっているつもりではある。これまでもデート中に何度もそんな状況になったことはある。それでもいてくれるって言った言葉が反故にされたようでつまらない。
「なんだよ、もう」
せっかく幸せな気分で眠りについて、おかげで元気になったというのに。ちゃんとお礼も言えてないし、昨日のことも謝れてない。でも、そんなふうにさせた正守だって悪いのだ。忙しさを理由になかなか時間を作ってくれないから。戻ってきたら、それを理由に思いっきりわがまま言って困らせてやろうと心に誓う。それは、逆に正守のことを喜ばせることだとは良守は気づかずに…