最果てに至る旅路胸に腹に銃撃を喰らって膝をついて倒れる筈だった、あの時の何倍もの傷を負わされてこのまま死ねると思っていた。
それでいい、寧ろ遅いくらいの幕下りだ、漸くイザナの元に行けると。
それでもイザナに救われた命を無意味に終わらせたくないという、気力だけでもう身体が動いていた。
「あぁああぁ!!」
仕留めたと油断していた連中の顔面に拳を叩き込み、続け様に腹へ蹴りを、仕上げにアスファルトに叩きつければ頭から流れでる血が滲みを作る。
胸ぐらを掴んで何度も拳を振り上げて、それでも倒れないならばと首をへし折った。
今際の際に奴らが見ていたのは血に飢えた化物のようになった自分の姿だろう。
恐らく息のあるものが自分だけになった頃に懐から片方だけのイザナのピアスがこぼれ落ちた。
もう止めろといいたげに鶴蝶の意識をそちらへと移す。
血と涙が落ちたピアスを拾いあげる、拭っても拭っても流れ出る血がそれを許さない。
「…イザナっ、イザナっ…」
アスファルトに赤い轍を作りながら歩いている、こんな状態でどうしてまだ生きているのか。
あの日、こう出来ていたらお前はオレの代わりに生きていてくれていたのか、それだったらどんなに良かっただろう。
身を裂くような痛みが生き残った罰だというならこのままずっと止まないでくれ、口内に溜まる血を吐き出して手の中のピアスに口付けた。
後ろから微かな足音と声が近づいてくる。
「…ょ…う…かく……う……」
「鶴蝶。」
薄らぐ意識の中に余りに鮮明な声が聴こえる、名前の呼び方もその声も、忘れることなんて出来なかった。
振り返ればそこには黒川イザナが立っていた、もう何処にもいない、あの頃の姿のままで。
真っ直ぐに見つめる紫の瞳が今は哀しげに鶴蝶を見ていた。
「お前に見えるようになっちまったな。」
「イザナっ…!」
駆け出そうとして遂に膝から崩れ落ちた、自らの血の海に溺れてもう立ち上がることさえ出来ない。
這ってでも進もうともがく身体の感覚が無くなっていく、駆け寄るイザナが目を逸らさずに強い目で見ていた、大粒の涙を止めどなく流しながら。
「鶴蝶、お前はよくやったよ。」
「イザナっ…なんで…」
「ずっと、お前の側にいた。」
死んじまってからは何もしてやれなかったけどと続いた言葉は互いに突き刺さる。
死んだ奴のことなんて忘れろと言っただろという言葉に忘れてしまう方がずっと怖かったと返す。
何度も心を殺して善性を抱えたまま悪徳に手を伸ばす姿を、殺しは駄目だと言ったお前だけはこちら側には来るなと思っても、もう何もしてやれない。
笑うことも泣くことも忘れていく、そして戻ることの出来ない境界を越えた、鏡写しの王の元に消えない傷を胸に刻んだ、そうして生きて、死が訪れた。
イザナはずっと見ていてくれただろうと、それだけでいいと返した。
「イザナ…」
「鶴蝶…」
繋いだ手の感触が伝わる、握り返すことのなかったその手が強くこの身を引き上げた。
痛みが消えていく、軽くなる身体と、鮮明にイザナが目の前に存在している。
魂一つ抜け落ちた身体を見下ろせば血の海の中で古びたピアスを大事に握り締めて痛みも苦しみも何一つなかったように微笑んでいた。
「下僕だから王みたいに誰かを庇うことなんて出来なかったな。」
「そんなことをした馬鹿な王のせいで死ぬまで苦しんだ下僕がいるだろ。」
鶴蝶を庇ったことに後悔はない。
オマエが望むなら喜んで死んでやる。とまで言った下僕を庇うような王は間違いなく馬鹿だ、という本当のことを言ったら泣き出された。
「イザナっ…」
「もう泣くな。」
オレはオマエを失いたくなかった、オマエはオレを忘れたくなかった、どちらも自分の意思でしたこと、だから苦しまなくていい。
それでも泣きたいなら此処に全て置いていけと、抱き締めた胸の中に温かな涙が止めどなく染みていった。
「行くか、鶴蝶。地獄にだってついて来てくれるんだろ?」
「あぁ…」
「長旅になるだろうな。」
イザナが手を翳した一瞬の閃光の後、イザナの側に愛機であったCBRが現れた。
唐突な出来事に驚くが魂だけの存在になったんだから何でもありだろうと、オレとお前の地獄へのタンデムにはちょうどいいだろ?とイザナが笑うから鶴蝶も笑い返した。
二人が出会った施設、最期の場所、遠ざかる街の灯りを振り返り、道無き道へと踏み出した感覚に今世への別れを自覚した。
上手に生きられなかった世界を離れて行く。
「遠くで見ていれば綺麗な世界だったな。」
ぽつりと呟くイザナの言葉に返す言葉を見つけられず、ただイザナを掴む手に力を込めた。
それでも俺達は生きていた、悪の道に舵を切り、上手く生きられなくても、ずっと近くにあった幸福を大切にすることが出来なくても。
哀しみばかりの日々の中にイザナには鶴蝶がいて、鶴蝶にはイザナがいた、死を突き付けられるまで口に出来なくてもそこに確かに存在していた事実。
それだけで良かった。
「さよなら。」
唯一に出会わせてくれた世界に別れを。
ふたりはもう振り返らない、灯りひとつない闇夜に飛び込んでいく、道なき道を走るCBRは更に加速して排気音を響かせる。
行き着く先が地獄でも何も怖くはなかった、何も出来ない日々、色を亡くした世界で生き続けることに比べれば、何も恐れることはなかった。
イザナも気圧が上がっているのか、暴走すら超えたスピードで暗闇を走り続ける、何も見えない世界では上も下の感覚も曖昧で空を駆けているようにも思えた。
「ははっ…!楽しいなぁ鶴蝶!!」
「俺としてはもう少し安全を優先して欲しいがな!まぁいい、イザナ!そんなに楽しいのか?」
「はぁ〜?当たり前だろ!!」
イザナは笑う、鶴蝶も笑っていた、スピードも限界を超えていたけれど、少しでも減速させればこの暗い道に飲み込まれてしまいそうだとひたすらに走り続けていた。
二人を止めるものは誰もいない、そうして闇夜の中に鶴蝶が星を見つけた。
「イザナ、空に星が見えるようになった。」
「ふぅん、流れ星でも探すか?」
「いや、願いはもう叶ったから。」
イザナが愛機の速度を緩めた、さっきまでの爆走が嘘のように心地よい速さで星空の下を駆ける。
まだここは夜の世界、だが鶴蝶は空の光に気付きイザナにそれを伝える、見上げた星空に何かを思い、もう少し長くこの空の下にいたいと考えていたのだろうか。
「鶴蝶、あの一番光ってる星を取ってくれ。」
「王の命令は規模がでかいな。」
イザナと鶴蝶は一番星を見上げる、イザナの瞳に鶴蝶の瞳に瞬いた星の光。
「イザナが、オレにとってのあの星だ。」
「くせーこと言うなぁ。」
「本当のことだからな。」
「なら鶴蝶はその隣の星だ。」
赤いし強く光っているだろ?一際眩い星の隣に見える赤い星、違う輝きが確かに存在している、そんな星をイザナが見つけてくれたのが鶴蝶には嬉しくて仕方なかった。
夜明けの紫が滲み始めた空、二度とないと思っていた二人で迎える明日が見えた。