届け、この声 月日が流れるのは早く、人の記憶が喪われるのも比例して早い。
どんなに正確に覚えていたつもりでも、ふとした瞬間に朧げとなってしまった部分が顔を出す。
それでも、『彼』に関してだけはその記憶は衰えるどころか、日々鮮明になるような気がして。今まで生きてきた中で、ほんの短い時間を共にしただけなのに。それまでの、またそれからの時間の方が圧倒的に長くなった現在でさえも、まるで頭に直接刻み込まれたかのように『彼』の事は思い出せる。
『それはかの人物を想う心が強いからだ』と教えてくれたのは、遠い地の下に棲む友人のひとりだったか。柔和な微笑と共に、自分に語ってくれた。
「想い続けることは悪いことじゃないよ。そうして、君の中で『彼』が生き続けることが苦にならない限り。本当に『彼』に眠りについて欲しいと思った時には、記憶は自然と失われていくものだから」
それだけ大きな意味を成す出逢いだったんだね、と訊ねられれば首を縦に振るしかない。
もし自分が『彼』に出逢っていなければ。きっと自分は今も何も知らぬまま、限られた籠の中の世界だけで生きていただろうし、逆を言えばきっと『彼』も未だ生きていた。
出逢うべきであったのか否か、考えるのは感情の中に大きな二律背反を生むだけだが、それでも実際に選ばれた運命の中では『彼』と自分は出逢い、そしてその生命は喪われた。
――…ちょうど、今年もその日がやって来た。
偶然にも通信機を握る日に重なった今日。語るべき内容は心に決まっていた。
「まだ遠くなったとは言えない過去の今日、私は大切な友人を喪った。…彼だけではない。多くの者が、私の知っている場所や知らない場所で生命を落としたと聞いている。――…だから、今日は。そんな彼らに届くようにひとつ、歌を唄いたいと思う」
電波に乗って、届く限り遠くまで届けば良いと願う。既に眠りについた者や、『彼』と同じように今も誰かの記憶の中で生き続けている者達全てへ。
ゆっくりとした速度で紡ぐ音階は、地下に棲う友人に教わった、それもまた喪われし国の古い言語の鎮魂歌。一語一句忘れることなく、使われなくなった言葉の歌詞を覚えていた彼にとっては、この歌もまた、彼の中で今も生き続けている記憶なのだろう。
――未だ、忘れること無く覚えているよ。共に生き、共に過ごした時間を。共に見聞きし、話した内容を。今はゆっくりと休めてはいるだろうか。もう、何も心配することは無いから。この世界で生き続ける限り、自分の生命が尽きて再び逢う日まで。貴方の心と身体が穏やかであることを、自分は此処でずっと祈り続けるよ――
現代の言葉に訳すならば、そんな意味になるのだろうか。自分が『彼』を想って唄うこの瞬間、耳にする者達それぞれが、それぞれの大切な者達を想えば良い。歌は誰かのものではなく、皆のものだから。祈りは何にも縛られず、自由なものだから。
「…誰よりも、心身の安寧を願う。未だ、私の記憶の中では暫く生きていくだろうから。――…付き合わせるが許して欲しい、リーベル」
唄い終えた通信機を握り締めたまま、その手を緩く組み額に押し当てる。目蓋を閉じれば、未だ思い出せるその姿。誰にも聞こえないように、アルムは『彼』へと小さくそう声を掛けた。