君と久遠の夢をみる〜プロローグ〜
夜霧が立ち込める、鬱蒼とした森の奥。
ひっそりとした佇まいの小屋から、竪琴が紡ぎだすやわらかな音色が流れて、夜闇に広がっていく。
薄い藤色の翅をもつ小さな生き物が、その優しい旋律に惹かれたかのように、ひらひらと飛んで小屋の窓へと降り立った。
演奏が途切れるのを待って、その生き物は奏者へと話しかけた。
「こんばんは、お兄さん」
「誰だ」
竪琴を抱いた男――――ラン・ワンジーが、短く誰何する。
「シェンシェンだよ!」
シェンシェンと名乗った夜の来訪者は、窓枠からぴょんと跳びあがって、竪琴の上に座った。
――――それは、小さな妖精だった。
大きさは、手のひらに載るくらい。ふんわりとひらめく桃色のケープをまとって、首元には赤いリボンを結んでいる。まるで少女のような風貌だが、悪戯めいた笑顔は少年のようにも見える。
その背で燐光をはなつ、薄藤色のふわふわとした翅に、ラン・ワンジーは見覚えがあった。
「朝、蜘蛛の巣にかかっていた俺を助けてくれただろ。あの時はありがとう!」
朝方に通りがかった木の洞に、この妙に目を引く薄藤の翅をした蛾が囚われていた。
最初は珍しい色彩に気を取られて視線をやっただけだったが、助けを求める声が聞こえたような気がして、網から放してやったのだ。
「いつもなら寝てる時間だったから、あんまり前が見えてなくてさ。蛾の姿のままうっかりあそこに突っ込んじゃったんだよ。日が沈み始める時間にならないと、人型は取れないし、巣の主に見つかる前にお兄さんに見つけてもらえて、本当に助かった。感謝してるよ! あ、お兄さん名前はなんていうんだ?」
「……ラン・ワンジー」
滔々と、流れるようにしゃべる妖精に呆れつつ、ラン・ワンジーは名乗った。
「ラン・ワンジーだな! さっきも名乗ったけど、俺はシェンシェンだ。このシェンシェン、恩には恩で報いる! 何か力になれることはないか?」
「ない」
にべもない返答に、シェンシェンは肩を落とした。
「即答かよ。そうだな…………例えば、森の奥にある貴重な薬草を取ってくるとかはどうだ?」
シェンシェンの提案に、ラン・ワンジーは視線を横にずらす。シェンシェンがその視線の先をたどると、そこには薬品棚があり、大量の薬草が干されていた。かなり希少な薬草も多く、それ以上に価値のある薬草を採取することは、この森ではできないことを、シェンシェンは悟った。
「えーと、じゃあ、失せもの探しは? 見つからなくて困っているものがあったら、大抵のものは探し出せるぞ。人探しも得意だ」
「……必要ない」
「ふーん。まあ確かに、あんたってきっちり物は整頓する性格に見えるし、うっかり物を無くしたりして困るなんてことなさそうだな」
シェンシェンは、無駄のない室内の調度をぐるりと見回して納得した。
「なあ、何かないか? このままじゃ俺もおさまりがつかないよ」
じっと、懇願するようにラン・ワンジーを見つめるシェンシェンだったが、対するラン・ワンジーはつれなかった。シェンシェンが乗ったままの竪琴を長椅子の横に置いて、そっと彼を掴んだ。
「もう就寝の時間だ。君も帰りなさい」
「ええー。まだ月が、森で一番高い樹にも隠れていない時間じゃないか……」
窓枠に返されて、シェンシェンは口をとがらせる。
しかし、ラン・ワンジーはシェンシェンの苦情を受け流し、そのままベッドに横になってしまった。
シェンシェンは、しばらくベッドの横でふわふわと飛び回って、本当にラン・ワンジーがこんなに早い時間に寝るのか様子をうかがっていたが、すぐに規則正しい寝息が聞こえだしたため、名残惜し気に鱗粉を窓辺に残し、ラン・ワンジーの家を去っていった。