Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    okdeeer

    🦌

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 15

    okdeeer

    ☆quiet follow

    【田内】高体連地区大会

    #okdeeer_Tauchi

    努力の上に咲かなかった花によせて。 窓から入る日差しが春のやわらかさを放り捨てて、じり、と夏の刺々しさを増してきている。いつから五月って真夏になったんやっけ、と思いながら、それが現実逃避であることに気付いて小さく息を吐いた。
     木曜日の放課後十七時半、大半の部活は活動の真っ最中で、部活棟は意外なほどに騒がしくない。陸上部は木曜日を活休日としているから、余計に外から聞こえてくる他の部の喧騒も遠く感じた。
     部室の窓際の机はミーティングとか事務仕事用にと設置したものだったが、炊飯器とか電気ケトルが無造作に置かれ、当初の目的で使うのはほとんど俺一人だった。部員のジャージを発注するとか、体育祭や文化祭の提出書類を記入するとか、そういうことをやるには教室や寮の自室の机よりここが良かった。
     活休日であるにも関わらず俺が鍵を持っている特権で部室に篭っているのも、そろそろ発注しなければならないものがあるせいだった。高体連に向けて作成が決定した横断幕である。スローガン案を部員から募って、ざっくりとしたデザインも決まっている。
     一週間前、練習終わりにスローガンを決定する為の簡単な匿名投票を決行した。適当に作った投票用紙に丸書いて投票させてその場で開票して、文句無しに決まった附属桜花陸上競技部のスローガン。今俺の手元にあるのは、案を募った時に提出された手書きの用紙だった。少し右肩上がりに並ぶ文字は、数ヶ月前に受け取った入部届よりも幾分か大きく、筆圧が濃いような気がした。
     足元でとろとろと微風を送りながら、扇風機が首を振っている。まだ五月末だというのにほとんど夏のような熱気の中で、じんわりとシャツを湿らせる汗に風が直接当たると瞬時に冷たく冷えていくのが、それはそれで気持ち悪い。
    『努力の上に花が咲く』
     良いスローガンだと思う。シンプルで力強くて、前向きで綺麗だ。
     桜花の名を冠するうちの学校の陸上部は、このスローガンを掲げるに相応しいだけの頑張りがそれぞれにあることは知っている。一番近くで、全部見ている自負がある。だからスローガンに文句があるわけでも、それを掲げる後輩達の背中に不安があるわけでもない。何ひとつ不満はなかった。
     ただ横断幕のデザインに落とし込む時に、このスローガンを俺が書いていいのか考え込んでしまった。
    「田内先輩の筆文字がいいです」
     そう言われて、その場ではおー任せときーとか承諾して、そしていざデザインを確定させるという段階になってはたと手が止まる。ユニフォームのロゴとか部員募集のポスターとか、その辺のノリと勢いに任せた筆文字は、別に習字習った経験もない俺が何故かずっと書いていた。正直字の綺麗さには全く自信はないものの、雰囲気を合わせていくなら今回も俺が書くのがベストだろうということは自分でもわかっている。
     ただどうしても、この綺麗なスローガンを見た時に頭を過ぎることがある。
     ───それでも咲かなかった、花は、
    「……いやアホかて、」
     我ながら湿っぽい思考回路に呆れる。そんなことを気にするのはきっと俺くらいで、いやそもそも自分を咲く前の花だったと思うのも流石に似合わなくて、ちゃんちゃら可笑しくてもう笑えてくるくらいで、でも、ただ、ああ、二年前のあの日あの時、インハイの準決勝の、百メートル、どこまでも愚直に、一直線に伸びたトラックの白線の上に、やっぱりあれは咲かなかったのだ。
     一〇秒三八。記録だけ見れば決勝でだって一位だったのだ、とか、そんなダサめな仮定の話はしたくないのに、それはこの二年間、何度も何度も俺の頭の中を巡ったことだった。だけど結局のところ棄権した俺の数字なんて、公式記録には残っていない。物心ついた頃から走ってきて、競技を始めてからもずっと百メートルだけを走り続けてきて、そして一番高いところに手が届いたあの瞬間の記録が永遠に俺のものにはならないということは、もう十分すぎるくらいに分かっていた。
     だからこそ素直な気持ちで書けない。努力の上に咲く花を知っているから、このスローガンの美しさがわかるから、まだどこかくさくさした気持ちを捨てきれていない、そして多分これからもずっと捨てきれはしない俺に、こんな綺麗なことばを書かせてくれるなと思ってしまう。
     ただ横断幕を地区大会に間に合わせるには、今週中には印刷会社にデータを入稿する必要があった。もう背景のデザインは決まっていて、あとは俺が書いてスキャンして取り込んでデータを送ればいいだけの話だった。
     時間がない。時間がない。時間がない……溜息をついて椅子の後ろ足に体重をかけると、シャツの隙間から扇風機の送るぬるい風が入ってくる。
     高体連地区大会まで、あと一ヶ月を切っていた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works