巣籠もり1「魔法は心に思い浮かぶ情景や感情により発現する。同じ結果を生じさせようとも、構築しやすい過程は各々違うものだ」
「シノの魔力がひとつひとつを辿っていくように?」
「ヒースの魔力がゆっくりと浸透していくように?」
「そう。経験が身になっているな」
軽く誉める形となった。シノは得意気に、ヒースクリフははにかんで、本当に素直な子供達だなと和みかけて授業中だとファウストは気を引きしめた。
ネロに魔力を込めさせた殻付きの胡桃を、両手で持てる箱の中に入れて、ぱたんと蓋をしめる。呪文を唱えて魔力で包み、地面に置いたその箱に攻撃するようシノに促す。本気でふるった大鎌は跳ね返され、その手応えにシノが目を輝かせた。
「脆そうな木箱なのに、物凄く強固だ」
「素材が魔力を含有する木だからな。それを媒介を使えば強度が増す」
「さすがファウスト先生の魔法···」
はたと思い付いたような顔をしたヒースクリフは、疑問を飲み込むことはせずに尋ねてきた。
「今かけた魔法は、箱を媒介に結界を張ったんですよね?」
「そうだよ」
「以前オズ様から教わった守護の魔法とは違うんですか?」
「守護も結界も、外部からの干渉を防ぐという意味では殆んど差違はない」
その違いを実演しようとネロに目で合図する。あいよと頷いたネロは、呪文を唱えながら箱に向けて指を鳴らした。ぱんっという破裂音に、子ども達の肩がびくっと跳ねた。
「は?なんだ?」
「箱の中から···ですよね?」
警戒しているシノとヒースクリフが猫のようにも見えて、つい口元が緩むのを自覚しながら身を屈め箱を持ち上げた。結界を解いて蓋を開けて見せれば、子供達がおそるおそる覗き込む。
「うわ、殻が粉々だ」
「ネロが割ったのか?」
「そういうこと」
殻だけ綺麗に割れたなとファウストの横から顔を出したネロは、箱から胡桃の中身をつまみだし籠へ移した。そんなネロをシノは不思議そうに眺めている。
「下処理ってやつか?あんたが食い物に魔法を使うなんて珍しいな」
「まぁ、今回はね。授業と下処理と一石二鳥だって先生が言うからさ」
「···あ、なるほど」
突然ぱっと顔を上げたヒースクリフは、彼らしい控えめな、けれど意気込んでファウストに答えを伝えてきた。
「ファウスト先生、結界と守護魔法の違いですが」
「聞かせてもらおうか」
「どちらも外部から内部への干渉を防ぐのは同じで、それに加えて結界は内部から外部への影響を封じる事が出来る、ということですか?」
「理解が早いな」
さすがだと褒めれば、ヒースクリフははにかんで俯いた。どうだ俺の主人はといつもながら得意気な顔をしてから、そういうことかとシノは木箱をこんこんと指で叩く。
「見た目どおり脆い木箱に戻った。胡桃の破裂を抑えられるとは思えない」
「それが結界の効果だ」
「守護の魔法とどちらが難しいんだ?」
「先程きみたち自身が答えたように、魔力の構築過程はそれぞれの魔法使いによって異なるものだ。それによりどちらかの方が容易だと感じることがあるだろう」
「向き不向きってやつか」
「そう。近しい術式だ、どちらかに優劣があるわけではない。しかし内外二方向に意識を向けなければならない結界の方が、より器用さが必要になるだろうな」
「ふぅん。よし、ファウスト、実践だ」
今日は1日実践の授業だろうとシノは目を輝かせている。攻撃魔法とは真逆なため不満げな顔をすると思ったが、どうやら先程その手で鎌を振るわせた事が功を奏したようだ。自分でもそれぐらい強力な結界を張ってみたいとうずうずしているのだろう。
ヒースクリフも同じくやる気は十分で、まずは何かを媒介にする方法からだとそれぞれに箱を渡した。座学で教えた事を交えながら手本を見せれば、比較的すんなりと魔力を通せるようになった。
知識がどの程度身に付いているか、今日は実技のテストでもある。しっかりと理解しながらそれぞれやり易い方法で術式を編もうとする子ども達に安堵の息を吐く。そんなファウストに気付いたネロがからかい混じりにこっそりと声をかけてきた。
「見て習えなオズとはちげぇな、東の先生は」
「僕はあそこまで自分の魔力に自信がないからな。あの教え方では不安しかない」
「わかってるって。なんだかんだでさ、俺たちとしても先生の教え方がしっくりくるよ、やっぱ」
北らしいやり方になれているくせにどの口がと思いつつ、これはこれで本音だと伝わってくるから分が悪い。その代わり、念押しを込めて青と茶の瞳としっかり目を合わせた。
「今日はおまえも先生役だからな」
「えー···本当に俺が教えんの?」
「遠隔の魔法はきみの方が巧みだ」
先程ネロは、結界の中にある胡桃を砕いた。これは目的に適した魔力を込め、かつ結界越しに操作するという繊細さが必要な魔法だ。本来結界は他者の魔法を通さないことを目的とするが、事前に己の魔力を纏うものを忍び込ませることが出来ればこうした芸当も可能になる、それを見せることも今日の授業の一貫だ。
渋りながらでも承諾したのはネロ自身であり、何より他者に教えられるぐらいの技術がありながらもまだうだうだしている様子に、ファウストははっきりと呆れてしまった。
「煮え切らないにも程がある」
「元々こういう性格なんで?」
「開き直るんじゃない。そもそも今日の授業はきみの発言が発端だろう」
媒介を使った守護のやり方もあるよな、そういえば。実践から入った守護魔法について、ヒースクリフから請われてその理論の授業をしていた時のことだ。
ふと呟いたネロの言葉に、ヒースクリフもシノも食い付いた。それを使うとどんな効果があるの?強度が上がる?オズの攻撃を防げるかもしれない。ファウスト、早速実践だ。あの、俺も実際に試してみたいです。
意気込んだ子ども達に少々面食らいつつ、それはそれで悪くないとファウストは教義を組み立てることにした。媒介の使い方を教えつつ、守護とは似て非なる結界のことを取り上げ、その差違として内部からの衝撃を防ぐことを体験させるために遠隔魔法にも踏み込む。子ども達が取っ付き易そうな道筋をたて、まずは知識からだなとみっちり教え込んだ。
実践がいい!とシノはいつものように不満を言いつつ比較的やる気を見せていた。それだけ興味を惹かれる内容ということだろう。
とにかく、今この状況となっているのはネロが発端であることは間違いない。それが重々分かっているネロは、なんだかんだ本気で抵抗するつもりはないようだ。苦笑しつつ、俺なんかが教えていいのかねぇといつもの調子で言いながらも殻付きの胡桃が入った袋を手元に置いている。
なんとはなしに手に取った二つの胡桃を手遊びのようにざりざりと鳴らしながら、ネロはファウストの横にある木箱をちらりと見た。
「せんせ、あのさ」
「なに?」
「媒介の使い方、俺もちゃんと習いたいんだけど」
「へぇ?珍しく真面目だな」
「言い出しっぺってやつだし?」
ちゃんと習ったことはないからさと言いながらも木箱にさらりと結界を張るあたり器用な魔法使いだと思う。オズの授業の時もそうだ、見学していた側から見ても十分強力な魔法のように見えた。まぁつまり、相手が悪すぎたというやつだ。
今回もしっかりとした結界だと判じたのも確かだが、それでも甘い点は幾つか指摘できはする。それをファウストが見付けることを分かっているネロは、生徒の顔で教えを待っている。まぁ、今は授業中だからなとなんとなく愉快な気持ちになりつつ、先生役として改善点を言葉にすることにした。
ヒースクリフもシノも、そこそこな出来の結界を張るところまで到達した。子ども達も手応えを感じたらしく、次も同じ授業でとせがまれた。二人で復習をするつもりだろう、その積極的な姿勢は一応の先生役としての冥利につきるが、無茶をしては元も子もないので後で様子見にいこうとは思う。
そんなファウストに面倒見がいいなぁとからかい混じりに笑ったネロは、解散したあとにやはりこっそりとせがんできた。
「な、先生直々の補習はあり?」
「···本当にどうしたんだ、今日は」
「やる気だしてるんだから喜んでよ」
飄々としているが、裏があるとしか思えない。うろんげな顔をしていたのだろう、ネロが苦笑まじりに手に持った二つの袋のうち一つを示してきた。なに?と問えば、すぐに料理には使えない方の胡桃だという。
遠隔操作の魔法もすぐにコツを掴んだ優秀な子ども達であったが、やはり幾つかは加減が上手く行かず粉々になったりしてしまったものもあった。気まずそうな二人を宥めながら、ネロがその残骸を丁寧に回収していたのは見ていたが、何故今それを示してくるんだと首を傾げてしまう。
「勿体無いだろ?どうにか食えるようにするつもり」
「あぁ、さすが腕利きのシェフだな」
「茶化すなって」
「本音なのに」
「もー真顔で言うなって」
食材を丁寧に扱う姿勢はこの男の美点だと思っているので、それをそのまま伝えれば照れ臭そうに気まずそうに首の後ろに手をやった。
かわいいなとじっと見ていると、こほんと咳払いをしたあとにまたどこか飄々とした雰囲気に戻る。
「消費に付き合ってよ、補習ついでにさ」
「どっちが目的なんだか」
「どっちもです」
「ふふ、わかった」
どんな料理になるのか楽しみだと笑えば、期待しといてとネロも笑った。
夕飯後、ヒースクリフの部屋を覗いた。やはりシノもおり、二人で復習に勤しんでいたようだ。案の定夢中になっていたようで、血行が良い頬に目がらんらんと輝いていた。
魔力の使いすぎによる高揚状態になっており、やはり様子を見に来て正解だったと嘆息した。やけにおしゃべりな口にシュガーを突っ込んで、今日はもう寝なさいと諭しシノを隣の部屋まで送り届ける。
二人とも不服そうではあったが、明日見てやるといえば大人しく引き下がった。その足でネロの部屋に向かい子どもたちのことを報告すれば、あいつららしいとネロは笑う。
「明日は授業なしの日だったよな。臨時授業ってやつ?」
「実質そうなってしまった。予定にはなかったし、きみは参加しなくてもいいよ」
「ん、気が向いたらにする」
明日は時間がかかる料理を作りたかったんだよねと言いながら、ネロは片目を閉じて見せた。
「俺は今からファウスト先生の特別授業を受けるし?」
「酒を用意しておきながら?」
「賄賂だよ賄賂」
賄賂なんて言葉を堂々と言うなと小さく吹き出して、ファウストもまた持ち込んだボトルを卓に乗せた。予想はしていたのだろう、その銘柄をしげしげと眺め、会得したように頷いた。
「これもナッツに合うよな」
「きみが用意した酒もね」
「こんないいの持ってきてくれると思わなかった」
「まぁ、先生役の労いを込めて」
この調子で先生役を変わってくれと言えば俺には向かないよといつもの如くかわされる。子どもたちも分かりやすいと言っていたのにと最後にちくりとして、それでとテーブルから目を離し部屋を見渡した。
「補習と言いながらも、媒介となるものが見当たらないけれど」
「後で出すよ。先に飲もうぜ」
「やはりこちらがメインか」
「ローストした胡桃、今が一番香ばしいし?」
殻が取りきれていなかっただけで形が残っていた胡桃はローストし、粉々になっていたものは軽く煎ってクリームチーズと混ぜたディップにしたようだ。
ささやかな量はそれだけヒースクリフとシノのあからさまな失敗が少なかったと言う証左であり、軽い晩酌には丁度いいと席についた。
折角だからと両方のボトルをあけグラスに一杯ずつ、残った分はまた今度と保存の魔法をかけた。次はがっつりナッツのつまみを用意すんねと言ったネロに、期待しておくとファウストも応えた。
それぞれ二杯だけのささやかな晩酌も終わりとなる頃、ネロがおもむろに小箱を卓の上にことりと置いた。唐突ではあれどもう一つの目的を考えれば戸惑うことはなく、見せてみろと促す。開けられた蓋に中身を覗き込み、ファウストはぎょっと目を見張った。
「ハーヴグーヴァの鱗···?」
「さすが先生、一目でわかったか」
当たりと頷いたネロに、ファウストは咄嗟に言葉を失ってしまった。ここでしてやったりという顔をすれば反応も出来ると言うのに、最後の胡桃を口に放り込んだネロはいたっていつも通りだ。
特に驚かせようとした意図はないようだが、少なくとも酒の席に放られる代物ではないと思う。何とも言えないアンバランスさがなんだかおかしくなって、ふっと息を吐いてからファウストは漸く言葉を発した。
「よく入手できたものだ」
「偶々な。運が良かっただけ」
「希少性も高く効能も申し分ない。相当高価だったのでは?」
「んー?どうかね」
「···入手方法に問題はないだろうな?」
「そこ疑っちゃう?」
ひでぇなぁと苦笑いするネロは気分を害した様子はなく、ちょっとした伝手でねと箱をつついた。誤魔化されたのかどうなのか定かではないが、まぁ別にどうでもいいと興味は珍しい品へと移る。言うつもりがない事柄に踏み込まない、それが無理なくできるから共にいられるのだ。
これを媒介に使うのか、と少し勿体ない気がしている。呪物として使えば絶大な効果があるだろう。他者の所有物だ、それを口に出す気はないが、それでも何故こんな希少なものをという疑問はわいてくる。
「何に使うつもりで入手したんだ?食材になるのか?」
「ならないならない」
「まさか、媒介に使うためだけに用意したの?」
「そうだよ」
「···そんなに食いしん坊たちの襲撃が大変なのか···」
心底から同情の声が出たファウストにぽかんとして、ネロはあははと破顔した。その反応に、あれ?とファウストは首を傾げる。
シノやリケはまだしも、北の連中も気まぐれにネロの部屋まで飯や甘味をせびりに来ると項垂れていた場面は何度か見ている。ネロが頭を悩ませている何かしらとして浮かんだ事柄であり、媒介を使った強力な魔法を使ってまでどうにか対処したかったのかと思ったが、どうやら見当違いだったようだ。ネロは笑いながら手を横に振った。
「違う、違うよ先生」
「違うの」
「まぁ、部屋に結界を張りたいってのは合ってるけど」
「やっぱり。···ん?結界なのか?守護じゃなくて」
食いしん坊たちの襲来に備える、すなわち外部からの侵入を阻む目的ならば守護の方が用向きに合致している。それなのにネロは敢えて結界がいいのだという。長く生きている男だ、結界の方が向いていると自覚しているのかと思ったが、どうやら明確な目的があるらしい。
なぜかじっとファウストを観察しているようなネロに、むっとするよりもひたすら不思議に思いその目を見返した。ふっとネロが頬を緩めた。
「マジでわかんないんだ」
「なにが?」
「かわいーね、せんせ」
「···酔ってる?」
馬鹿にされているのかと不快になるにはネロがやけにご機嫌過ぎた。あの程度の酒で酔ったのかと半信半疑なファウストに、違うってばとネロはやっぱり笑う。そして頬杖をつきながら、蓋を開けたままの小箱を上から指で掴み、ぷらぷらと振って見せつけてきた。
希少なものをそんな雑に扱うなと言いたくなったが、その前にネロが口を開く。
「媒介は合格?」
「は?合格もなにも、滅多に手に入れられない強力な魔具だろう」
「じゃ、次は実際に結界を張ってみるからさ、合格か不合格か判断して」
「···本当にどうしたんだ、今日は」
「この部屋に泊まっていいかどうか、ファウストが決めてよ」
さらりと言われ、は?と音なく息が漏れた。何も言葉が出てこない。そのまま青と茶の瞳に晒されて、じわりじわりと理解する。
ネロがここまで希少で強力な媒介を手に入れた理由、それはファウストにあったようだ。
ファウストが毎晩部屋に結界を張っている事はネロも知っているし、その中で共に眠ったこともある。敢えて明確な言葉にしたこともされたこともないが、溢れた夢を実際に見たこともあるだろう。
そんなファウストの厄介な傷への気遣いとしてここまで希少な媒介を用意したというならば、感謝しつつ不要だとはっきり言うことは出来た。忌々しくとも自分が対処すべきものであり、おまえがそれを負う必要はないと。
優しい男だ、きっとそんな献身を向けてくれる部分はあった、けれど···ネロの雰囲気からは、それだけではないと伝わってくるのだ。
ネロはネロ自身の望みのために行動している。表情から雰囲気から、不思議なほどにそれが伝わってきて、だからファウストは何も言えなくて。
昼間、生徒たちに説明した。結界とは、内外からの干渉を阻むもの。転じて内側に囚われると同義であり、ネロが夢ごと閉じ込めようとしている対象はつまり。
動けないファウストをじっと見詰めていたネロは、ふっと口角を上げて目を細める。ファウストに拒否感はない、むしろ···追い詰められる甘さを享受している心を、ファウスト自身よりも見抜いているのだろう。
今夜はちゃんと、結界を解くからさ?宥めるようにからかうように甘やかすようにネロは言う。閉じ込められるのは今夜ではないのかと、小さく落胆した自分に気付く。気付かされたと気付く。それを振り切って、ファウストは無理矢理笑った。
「泊まるとか泊まらないとか、そんな話は僕が認める結界を編めてからだ」
「もちろん。この試験はさ、めちゃくちゃ厳しくしてね」
「いつもそのぐらい真面目だったらいいのに」
小言を言うファウストに調子出てきたじゃんと笑ったネロは、浮かせたカトラリーで媒介を囲んだ。
すでに聞きなれた呪文とともにネロの部屋に張り巡られたネロの魔力。この中で眠る日は遠くないのだろうと、甘く軋む心から目を背けながら、ファウストは先生役に徹することにした。
生徒の顔で、けれど恋人の瞳も隠さずにファウストへ向けるネロが、ちょっとだけ憎らしかった。