記憶の行方はもう知らないけれど(仮)人の心も身の置き方も、時と共に移ろい行くものである。
それは眼前の彼女だって、例外ではない。
分かっていた、はずなのに。
その告白を聞いたのは、彼女がリグバースへ来てから一年くらいした後。
ルーン消失事件という大事件も解決し、少しずつ日常にアリスがいることに違和感がなくなった頃。
大樹の広場の中心の樹が、夕焼け空を背景に、黒く大きくそびえ立った。
黄昏時は、まだ太陽が出ているのにも関わらず近くにいる者の顔が分かりづらい。
だから、この話をしたアリスの顔は、分からない。
「私、もう過去のことを探すのは止めようかな、と思うんです」
一年経っても、アリスの記憶は何も思い出せずにいた。
あの腕利きのテリーですら一欠片の痕跡も見つけられない、というところに、恐ろしさすら感じる。
「諦めた・・・のか?」
「そう、ですね。
昔の私なんてものは、実はいないんじゃないか。そうとしか、もう思えないなぁって」
相変わらず、彼女は掴まえていないと消えてしまいそうな、そんな空気を混ぜているように見えた。
でも、昔感じていた、壊れてしまいそうな気配は消えていた。
「でも、今の私のままでもいいのかもしれない。そう思えたのは、リグバースの皆のおかげなんです。」
アリスの声は明るい笑い声だが。『皆』の部分に妙な含みを感じた。
それがなんとなく気になったから、探りも兼ねて軽口の体裁で尋ねてみたのだ。
「なんだ。もしかして、好きな奴でも出来たのか?」
「・・・は、はい」
まさか、まさか。
予想外の返答に、リュカは蹈鞴を踏む。
少し恥ずかしそうな声色のアリス。いつの間にか彼女の影が少し濃くなって、しっかりと地に足が着いたように思う。
それは、きっと。大事な『何か』が楔になっているから。
「あの、リュカさん。
何も分からない、迷惑をかけてしまうかもしれない。こんな私でも、受け入れて貰えるって、思えますか?」
『あの』アリスをここまで変えるなんて。
いったい、誰のことが好きなんだ。
「オ、オレは、大丈夫だと思うが。正直相手次第だと思うぜ?
・・・一体誰なんだよ、相手は」
つい、語気が荒くなってしまった。
いつも隣で見ている限りでは、そんな気配は無かったはずなのに。なんて。
理不尽な嫉妬は隠そうと思っていたのに、つい表に出てしまった。
アリスはそれを察知したのかどうか、よく分からないが。一瞬考える仕草をすると、リュカに告げた。
「その人は、夢に真っ直ぐで、とても優しい人なんです。時々伝わりにくいように言う時もあるけど・・・。
街の人を、私を。いつも助けてくれるんです。」
どこまでも真摯で純粋な、決意で真っ直ぐになった視線に、何故か心を射抜かれたと思った。
内容から、自分のことではないだろうに。
「・・・そ、そいつに届くといいな。オマエの想い」
「・・・えぇ。そうですね。」
回答に、寂寞の感情が一瞬映り込んだように思ったが、それは何故かは分からない。
「こんな私でも恋人にしてもらえるよう、頑張ります!」
黄昏時の宣言は、空と同じ紅に染まり。二人の姿は闇に溶けて、お互いの顔を見せることなく終わった。
***
そんなやりとりから一週間後。そしてアリスがこの街に来てから一年と少しした時。
そんな時に、あの事件は起きた。
「大変大変!大変だよ!!」
セシルが血相を変えてレストラン「気の向くままに」に転がり込んできた。
昼時で多くの客が賑わう中、セシルがとんでもない爆弾を投下する。
「昔のアリスさんの恋人を名乗る人が、来たんだ!」
ざわっ、と、食堂に衝撃が走った。
「は・・・?」
リュカが、からんとスプーンを皿に落とす。
まず真っ先に思ったのは、「今更?」だった。
あの時のあの宣言は、あっという間に噂として広まって、今は誰が彼女の恋人になれるか、と日々好敵手と争ってる。そんなリュカにとって、俄には信じがたい内容だった。
アリスがやっとの思いで過去を整理して、未来へ目を向け始めた、と聞いた後だからだろう。余計に、得体の知れない怒りが身を焦がす。
「なんで、こんなタイミングで・・・」
もっと前なら、アイツだって悩みがなくなっただろうに。
あるいは、もっと後で、それこそ結婚した後だったら、きっと相手は諦めるしか無かっただろうに。
なんで、よりによって、今なのか。
「で、そいつは今どこにいるんだよ」
「リグバース署だよ、ほらリュカさん!早く行かないと!」
セシルがリュカのマントを引っ張って誘導する。
なんでリュカを名指しで呼ぶのか、という違和感に気付く余裕は、リュカに無かった。
***
「うあー、おそかったな。ついさっき、その男とアリスは出ていったぞ。」
リヴィアがリュカの姿を見ると、そのように告げた。きっと、用件がすぐさまに想像ついたからだろう。
話を聞くと、アリスは、その男に引っ張られるように隣町へ連れて行かれたという。
何でも、顛末はこのような形だったという。
●●●
【もうちょっと練る。会話はこんな感じ。】
「あぁ、アリス!!ここにいたんだね!行き先も告げずにいなくなってしまったから、ずっと探してたんだよ」
アリスは震える声でなんとか言葉を形にした。
「私の、過去を知っているのですか・・・?」
「そうだよ、アリス。僕の事を忘れてしまったのかい?」
「ご、ごめんなさい」
「あぁ、いや、責めている訳ではないのだよ。記憶喪失になったんだって?」
「なんでそんなこと、オマエはしっているのだ?」
「街の人が言ってたのですよ。『記憶喪失のSeedがいる』って」
「僕と一緒に、町へ帰ろう。皆、君を待ってるよ」
「あ、待ってください、私――」
「という訳で、お邪魔したね。この度は私の恋人を保護してくれていて、感謝するよ」
そして、『アリスの恋人』はアリスを連れて行ってしまったという。
●●●
なんとなくキナ臭い。なんで急ぐ必要があるんだ?
「相手の男が、早く一緒に戻りたいと言いまして・・・。
一瞬でした。待ってください、と言っていたのに、アリスさんを半ば無理矢理引っ張るように出ていったのです」
しかし、犯罪者ではないから、捕縛も出来ない。
さぞかし歯痒い思いをしたのだろう。スカーレットが忌々しげに思い出しているようだった。
「そういえば、最近、周辺の町で詐欺師が横行していると聞く。
まさかとは思うが・・・」
テリーが手帳を見て、思い出したように呟いたのを、リュカは拾い上げた。
『まさか』が的中してしまうと、アリスは詐欺師に攫われたことになる。
しかし、あのアリスをよりによって、そんな嘘で騙したのであれば、絶対に・・・絶対に、許さない。
「しかし、今から足取りを掴むのは時間がかかりますね。どうしたものでしょうか」
スカーレットが悩む声が遠くに響く。
「諦めるしか、ないでしょうか・・・」
諦める?
いや、それだけはしたくない。
リュカは立ち上がると、皆に声を掛ける。
「オレも探すよ。皆で探せば、きっと見つかるだろ」
決意を込めた言葉に、その場にいる他の人が思わず息を飲んだ。
『あのリュカが』と空気が語っている。
【もう少し文章を足す】
リュカは大昔に作った、自称『秘密道具』達を鞄に詰め込むと、街を駆けていった。
狙った獲物は、絶対に・・・逃さない。
それが、リュカの信条だから。
***
【男に連れられて屋敷に閉じ込められるアリスの葛藤をいいかんじに書くこと。】
手を伸ばせば触れられる程の距離を詰められ、後ずさる。
なんとなく、彼に触れられたくない、という本能が先に機能してしまう。
本当に、彼は自分の恋人なのか?
疑問が思わず口を衝いて出る。
「本当に、あなたは私の恋人ですか?」
だって、どきどき、しない。
『彼』と同じ空間にいた時は、あんなにも心臓が煩かったのに。
でも、いきなり疑うなんて失礼だ。慌てて謝ろうと言葉を続ける。
「あ・・・すみません、私」
「あぁ、あれね。嘘だよ、嘘」
「は・・・?」
あっけらかんと告げられた言葉に、視界が暗くなる。
(嘘?なんで・・・?)
アリスの様子を知ってか知らずか、男は揚々と言葉を続ける。
「だって、貴方が『恋愛する』って言うから。
貴方は、僕の憧れでいてくれれば、それで良かったのに。」
自分の悩みや将来なんて、この男にとってはどうでもいいものらしい。
理不尽な言い分に、カッと視界が赤くなった。
「誰かのものになるのであれば、君をどうしても手に入れたくなったのさ。
でもこれで、君は、俺の――」
「誰の、ものだって?」
男の言葉は最後まで続かなかった。何故なら、扉を蹴破って、一人の男が乱入してきたから。
見覚えのあるフード付きコート。銀の髪。グレーの瞳。
リュカだ。アリスは嬉しさで涙を浮かべた。
「ば、ばかな、扉には頑丈に鍵を」
「あんな子供騙しな鍵、あっという間に開けられたけど」
べ、と舌を出してからかうように告げると、恋人を騙った男は激昂した。
「貴様・・・!」
いきり立って殴りかかるのをひらりと避け、足を引っ掛ける。
怒りで注意を疎かにした男には効果が抜群だったようで、見事に引っ掛かり、地面に転がる。
こけて藻掻いている間がチャンス、とリュカは手にしたロープでさっさと男を縛る。これならしばらくは見動きが取れないことだろう。
安全を確保したらアリスの元に軽々と向かい、手を差し伸べる。
「お待たせ、アリス。オマエを攫いにきたぜ」
身のこなしと同じくらいの軽口を叩くリュカに、歓喜の感情が全身を駆け巡る。
「ありがとうございます、リュカさん。
どうか、私をここから攫ってください」
アリスは嬉しそうに、泣きながら微笑んで手を掴んだ。
一緒に来てくれる、と言ってくれたことに歓びを覚えつつ、リュカは鞄から何かを取り出す。
「よしきた。しっかり捕まってろよ?」
アリスは頷くとリュカの肩に手を回し、ひしりとしがみつく。念の為、事前にベルトに結んでいた紐を使って、お互いのベルトを固定させておく。
天窓に鎖を引っ掛けると、リュカが何かを引っ張る動作をする。すると、急に鎖が巻き取られていき、勢い良く身体が浮かぶ。何か、鎖に仕掛けがあるのだろう。
身体が宙に放り投げられ、そのまま天窓を破ることになった。
思いっ切りの荒業。破天荒な逃走ルート。
でも、心はこれ以上ないほど踊っているし、心臓がさっきから騒がしくて、リュカにも聞こえてしまうのではないかと心配になる。
このままでは地面に激突する。そうなる前に、また鎖を別の建物に引っ掛けて。
(リュカさんだと、どきどき、する)
しがみついている場所から、熱が伝播する。
嘘付きな男が階下で騒いでいるようだが、もう聞こえない。
「荒っぽくて悪いな」
「いえ・・・、私のために、ありがとうございます」
【この辺りもうちょっと追加しつつ綺麗に整える】
「不謹慎かもしれませんが、今、とてもわくわくしてます」
「ははっ!オレもだ!」
リュカはこれ以上ないほど目をキラキラさせて、夜の空中散歩を楽しんでいた。
そっと、胸に顔を埋める。
心臓がこれ以上ない程にばくばくと脈打っている。
(あぁ・・・。やっぱり、私は)
彼が、好きなんだ。
すとん、と心の奥に言葉が落ちる。
そしてしっくりと馴染んでいく。元々あった気持ちが、やっと一つの形になった。そんな心地がする。
――ここからが、私の出発点。
「リュカさん」
「おぅ、なんだ?」
「覚悟、しててくださいね」
「な、何をだ?」
突然の宣言に「?」マークを浮かべる想い人に、アリスは初めて心の奥底から、笑った。