角うさぎにまつわるエトセトラ①青い空、白い雲、そんな良い天気のなか、若い色をした芝生たちを踏みしめて、青年はテントの列を通り過ぎていく。ひゅうと気まぐれにふいた風が、青年の赤く長い髪を撫でる。
「(こんなに美しい景色が、魔法でできた偽物なんて、言われなければわからなかったな……)」
そんなことをぼんやり考えながら歩いていると、前の方から一人の女性が、桃色のおさげを揺らしながらやってくる。おさげの女性もこちらに気づいたようで、仰々しくお辞儀をして挨拶をしてきた。
「こんにちは、素敵な『アリス』」
「……その呼び方はやめてくれ、ミミィ」
「ふふっ、ごめんなさいスピネルさん」
スピネルと呼ばれた青年は、むず痒そうに頭を掻く。ミミィはそんな様子を気に掛けることなく、話を続けた。
「今日はクイーンにご用事かしら?」
「……あぁ、全く、いつも急に呼び出すなって言ってくれないかい?」
「う〜〜ん、進言したところで我らの女王陛下が聞いてくれるわけじゃないからなぁ」
ごめんなさいね?って小首をかしげて困った顔をして謝るミミィ。愛らしい仕草ではあるが、今のスピネルはそれどころではない。件の女王陛下との謁見の時間が間もなく迫っているからだ。そんな様子を感じ取ったミミィは、すっと身を引いて道を譲った
「なんだか、今日はあなたが白うさぎみたい。クイーンはいつものテントにいるわ。気をつけてね?」
「……あぁ、ありがとう。肝に銘じておくよ」
スピネルはそう言ってミミィの横を通り過ぎ、テントの列の一番奥。一番大きく、それでいてワインレッドの布地に金の糸で刺繍があしらわれているテントの入り口の裾を上に乱暴に上げる。
「お、来たか、俺の『アリス』」
「君のになった記憶はないし、その呼び方はやめてくれ」
広いテントの中には、アンティーク系の茶色いテーブルがあり、その向こう側に皆からクイーンと呼ばれている男が、黒い革張りの椅子に座っている。今日はいつもの衣装ではなく、黒いロングTシャツに、ピッタリとしたジーンズを履いて、いかにも休みという服装をしていて、スピネルは少しだけ面食らう。
クイーンはちらりと時計を見て、あぁ。と気の抜けた声を出したかと思えば
「そういえば、この時間に来いって言ったんだったな。すっかり忘れてたよ」
その言葉にスピネルは湧き上がった苛立ちをグッと抑える。最近できた顧客ではあるが、表も裏も様々な客が集まるこのサーカス団では情報が集まりやすい、そこを信頼を失うのはは惜しい上に、団長であるクイーンはなぜかスピネルを気に入っているようで、あまりお金を出し惜しみする様子がないらしい、こんなにいい条件の相手のわがままくらいは気にしている場合ではなかった。
「それで、今日はどんな御用で?女王陛下」
「そんなに怒るなよ。美しい顔が台無しだ」
一つ深呼吸をして、怒りを抑えながら問えば、クイーンはいかにも楽しげな顔で、そんな歯の浮くセリフを返してくる。スピネルが帰ってやろうかと思案してると、クイーンはゆっくりと立ち上がり、「とりあえずついてきて」といいテントの外へと案内された。
「ついこないだなんだけどね、オル……オランジェットが、桃源浄土の方まで散歩に行ったんだ。『アリス』に教えてもらったお店の肉まんを食べたいって言ってね」
歩きながらクイーンは口を開く。そういえばそんなことも教えたなとスピネルは先日のオランジェットとの会話を思い出す。散歩が趣味のオルは、次は桃源浄土にまで足を伸ばして見ると言っていたため、おすすめのお店を教えてほしいと依頼されたのだ。あとでどうだったか感想を聞いてみようと、スピネルが思考をめぐらしていると目的のテントについたようで、クイーンがそっとテントの裾を持ち上げ、中を見るように促した。
「その日帰ってくると『女の子がうさぎになった!』って言って、腕の中にアレを抱えてきたってわけだ」
スピネルたちの視線の先には、机に突っ伏して寝ているオル、その前にフカフカのタオルの入った籠があり、その中心には小さいボロ雑巾のようなものが上下に動いていた。
「うさぎ……?いや、その額のは……まさかアルミラージか?」
スピネルがそうつぶやくと、クイーンは小さく肩をすくめた。
「そういえば紫煙もそう言っていた」
「そんな軽い反応をする生き物じゃないぞ」
アルミラージとは、角の生えたうさぎの姿をした精霊だ。その角はアルミラージたちの生命力で満ちた宝石でできていて、あるものは魔法の材料に、あるものは薬として、あるものは財を誇示するものとして使われると言う。しかし、人里離れた森の奥地での生活を好むこと、強いものだとヒグマを倒すほどの強さと獰猛さを持っていることから、その姿を見せることは滅多にない。
「角が随分小さいが、この子は幼体か?」
スピネルが尋ねるとクイーンは小さく首を横に振った。
「紫煙の見立てだと100歳は超えている成体だそうだ。角が小さいのは折られたせいだと。それも無理に角を成長させて何度も何度も。生命力が少なくなりすぎて、体の大きさを維持できないらしい」
アルミラージの角の断面を見ると、木の年輪のようになっている。外側は自然に伸びた角に見られるような幅に差のある年輪だが、中心地点に行けば行くほど年輪の幅が途中から均等に細かく刻まれている。
「それで?俺に依頼したいこととは?アルミラージの生体か?」
「そんなのは紫煙に聞く。紫煙はこの仔うさぎのご飯を作れるくらいには知識がある」
じゃあなんだという顔をクイーンに向ければ、彼は楽しげな笑顔で言葉を告げた
「このうさぎがどこから逃げてきたかを調べてほしい」
「は?」
思わず素っ頓狂な声をあげるスピネル。なんでそんなこと…と口を開こうとする前にクイーンの人差し指が、スピネルの発言を止める
「まぁ、別にどこから逃げようと勝手なんだけどね。でもこちらも商売。このうさぎの体調が回復、安定したら速攻でオークションにだす」
クイーンがカツカツと足音を鳴らして、オルとアルミラージがいるテーブルに近づく。そしてそっとオルの頭を優しくなでながら、続ける
「でももし、こいつが逃げてきた組織が未だに探していたとしたら、それを売ったとしたら、少々めんどくさいことになりそうだ。それこそ、我らのヒューマンオークションの信用問題に関わる」
「………随分と責任者らしいことをいうじゃないか」
茶化すようにスピネルが告げると、クイーンは大袈裟に肩をすくめた。
「これでもサーカス団の団長兼オークションのオーナーだからね。引き受けてくれるね?」
クイーンはこちらを笑顔で見てそう告げる。疑問形にはなっているが、これは実質やれと言っていることと同義だということをスピネルは短い関わりで理解していた。
「俺の情報は高いぞ?」
皮肉った笑顔を見せれば、クイーンは満足げに笑う。
「それこそいつも言っているだろ。それに価値があるなら出し惜しみはしないさ」