「あ……ビンゴ」
もはや感動も何もない、みたいな色褪せた声が部屋に響いて、モクマはギョッと目を見開いた。
「また!? これで三ビンゴ!? しかもストレートで!? お前さん強すぎない!? まさかとは思うが、出る目操作してない!?」
「こんな単純なゲームのどこにイカサマの余地があると? 何か賭けている訳でもないのに……」
「そりゃそうだが、お前さん意外と負けず嫌いなところあるし……」
「……」
「嘘です……スイマセン……」
ため息と共に冷ややかな視線が突き刺さって、肩を落として、しくしく。
いや、わかっている。療養がてら飛んだ南国で、早二週間。実に何十年ぶりという緊張の実家訪問も終え、チェズレイの傷もだいぶ良くなり、観光でもしようか――とか話していたちょうどその時、タブレットがけたたましく大雨の警報を伝えて。もともと雨季の時期ではあったけれど、スコールが小一時間ほど降ったら終わりなことが多いのに、今回の雨雲は大きくて、明日までは止まないとか。お陰でロクにヴィラからも出られなくて、ベッドから見える透き通った空も海も(厳密には珊瑚で区切られているから違うらしいが)もどんより濁って、それで暇つぶしにとモクマが取り出したのが、実家にあったビンゴカードだったのだから。ゲームの内容を紹介したのもさっきだし、数字はアプリがランダムに吐き出したものだし……。
「……それにしても」
シーツと掛け布団の間に長い脚を収めて上半身だけ起こして座る身体が、すぐ側に椅子を置いて座るモクマの持った飾り気のない白いカードを覗き込んで、おかしそうに言う。
「あなたの方と言ったら……本当に、ここまで穴ぼこだらけのくせして、ビンゴにだけはならないなんて……逆に才能がおありなのでは?」
「いやホント……こういう運はからきしで……」
昔気に入られた社長に連れて行かれたカジノで散々な結果だった時から、何の進歩もないなんて。それに比べてチェズレイときたら、出る数字出る数字、まるで誘導されたかのように一直線に穴が空いていくというのだから……、
腰を浮かせて覗き返しつつ、ここまで見事だと感嘆の声しか上がらない。
「……にしてもさ、この空き方、なんともお前さんらしいよね。一番上の横のライン、一番右の縦のライン、それに斜め上に向かって一本……で、ほら、まるで上がり調子の矢印みたい。
詐欺師のくせして、策は弄せど、ズルはしない。賢い頭で最善手を選んで、前だけ見据えて、傷も厭わず直進していく……」
「……」
紙片を眺めながらしみじみ言うと、チェズレイは少し目を丸めて、それから手の中の大きな矢印を見て、「こんな偶然のゲームに何を言っているんだか」と、眉を下げて肩をすくめた。
大粒の雨がヴィラの窓にぶつかって音を立てて、空気はぬるく重たく、外は相変わらず、どんよりと暗い。
それでもチェズレイだけは、どこまでも軽やかに、美しいままだった。まるで肌から、髪から、光を放っているよう。すみれの目を細めながら、指先がモクマがつまむカードの上をなぞる。
「ですが……、そう言われてみれば、ボコボコ穴だらけで隙は見せるくせして、最後の一手が中々決まらない……というのは、いかにも誰かさんのようですねェ? 持ち主に似るのでしょうか?」
「あ~……ははは、こりゃまた上手いなあ……」
それで、そりゃもう小気味良く意趣返しされてしまった。湿気も飛ぶような乾いた笑い声が出て、きれいな形の爪先が戯れに空洞に出たり入ったりするさまに、ありし日の記憶が鮮やかに重なる。
空虚な心を見透かされ、あらゆる手管でもって抉られて。だけど誤魔化して、逃げようとして。
これまではそれでなんとかなっていたけれど、この綺麗なひとは誰よりも、恐ろしいほど諦めが悪くって、お陰様で……、
「……でも、もう、お前さんのおかげで俺自身はすっかり……」
と、弁解しかけたところで、「あっ」と、声があふれた。
時間で新しい数字が表示されるようにしていた、タブレットの画面。話している内にいつのまにか切り替わっていたそこに、映っていたのは……、
にっ、唇がいたずらっぽく弧を描く。
「ねーえ、チェズレイ。こんな戦略もなにもない遊びだけどさ、とはいえ、運や偶然も、馬鹿にはできんよな。そういういろんな縁の掛け合わせで、俺たち、出会えたんだから……」
言いながら、そっといたずらな手首を取って、それから一点に狙いを定めて、プツリ、カードの雪原を穿ちつつ、飛び出る声は晴れ空のように、
「――ビンゴ!」
ついに並んだ一直線。タブレットに映し出され、ふたりの手でもってひらかれたのは、あの忘れもしない運命の日、空の上から飛び降りたフロアと、奇しくも同じ数字だった。
「――、」
それに気づかぬ相棒ではない。ぱちぱち目が開閉されるのを、さりげなく手のひらを合わせて指を絡めながら、見つめてモクマは笑う。
「いっぱい回り道して、穴ぼこもたんまりあけて、ヤキモキさせちまったけど……、でも、お前に恋して、ニンジャさんの道はめでたく定まりました……っと。いやはや、お後がよろしいようで♪」
「…………」
「……あ、外した……?」
「……フ、フフ……」
結構うまくオチがつけられた……と思ったのだけれど。チェズレイは顔を伏せて、肩を震わせて、次いで緩やかに手が解かれた。逆らわずに離すと、そっと、自由になった指が膝の上の白いカードに伸びて……、
また、ぷつり。ちいさな音がして、すう、はあ、と呼吸が響いたあとで、ずいっと、眼前すれすれに差し出されたのは。
「……五十一番。見てください、私の完璧な矢印の斜め下に、ビンゴにもリーチにもならない濁りがひとつ……」
「ありゃ。本当だ」
ピントを合わせて、苦笑する。翼を広げて羽ばたく直線の鳥の隣に、ぽつりとちいさな穴。
余計だと言ったら、確かにそうだろう。
……だけど、これは、なんだか……、
「この点、まるでモクマさんのようだ。あなたは出会った時から、本当に予想外のことばかりする。私の計画も全部ひっくり返して、向かう道からも方向転換させて……」
言葉だけ見たのなら、呆れられたり、批判されたりしているようだろう。
だけど、ひらいた穴の向こうから覗く、生涯の相棒の声は、瞳は、微笑みは……、
「責任取って、このビンゴよろしく、ずっと隣に居てくださらないとねェ……?」
まるで、この南国に咲く、甘い香りのする花のよう。やわく、愛しげの、懇願するような響きに、ああ、手を伸ばさずにはいられない。
二人を隔てる白を取って、手を繋いで、引き寄せて抱き締める。とくとく、聴こえる鼓動は早く、先ほどの言葉が与えるだけの自己完結ではなく、交換条件の約束でもなく、モクマの感情を、同じものを、求めているのだと、わかるから。
たまらない。首筋に擦り寄って、あまったるく低い声で答える。気持ちは、言葉に。取り違えぬよう、真っ直ぐに、心を込めて。
「うん、任せてよ。でもね、それだけじゃない。俺はお前と共に歩いていきたいんだから、どうしたって隣からは離れらんないよ」
「……。……っ」
「えっ、あれ、チェズレイさん……? おわっ、んんっ!?」
抱き締める力が強くなったと思ったら、どさっ。気づけばベッドに引き倒されていた。すごい力だった。あれ、と思う間もなく唇を奪われて、舌が入って絡まって、あれよあれよと言う間に頭の中はすっかり熱に浮かされて……、
「っ、は、モクマ、さん……」
……どうやら、モクマのさっきの言葉が、相棒の心をひらくさいごの一押しになったようだった。花の色した瞳が、身体の下でとろけて潤んでいる。甘い香りを放って、全力で誘っている。
「チェ、ズレイ……」
ごくりと唾を飲んでから、喉からあふれた声が、あつい。
相棒の身体はもう、よくなっている。心だって通じあって、残りは彼の気持ちが追いつくだけと思っていて、だから、もう、つまり、二人を阻むものは何にもなくて……、
肩をつかんで、今度はこちらからキスをする。すかさず応じてくるのが嬉しくて、溺れるのはヘッドボードの珊瑚にはさまれた、波打つシーツの礁湖。唇を貪り合う水音のあいまに、ぽいぽい服がはがされて、床に転がった穴の空いたカードの上に、一枚二枚と重なっていく。
あとは手を繋いで、潜って、泳いでゆくだけ。
……おかげでふたりは、それから予報を外れて三日ほど長続きした大雨がまったく気にならなくなるのであった。
おしまい!