それは、時間でしか解決できないその日、俺はリカオとカラオケに来ていた。
リカオの隣に腰掛けたら、こいつは俺を遠ざけるみたいに、俺から離れるみたいに、10cmくらい遠くに座り直した。別にショックだったわけじゃねえけど、あぁまたか…とは思った。
リカオが好きだ。でもリカオが俺をどう思ってるかは、正直全然分かんねえ。
俺の気持ちはもう何十回と伝えてきたけど、でもその度にこいつは困った様に『そうか』とだけ言って話を切り上げるから。付き合うとか付き合わないとかの話、めちゃくちゃ避けられてる気がする。
リカオからしたら俺はまだ子供だし、第一こいつは弁護士だから、そういうの、余計に難しいのかも知んねえけど。
…それでもたまに、忙しいだろう仕事の合間を縫って弁当買いに来るし、こうやって誘えばカラオケなんかにもついてきてくれるから、俺は今日もこいつを諦められないままでいる。
「俺の気持ち、知ってるくせになぁ…」
曲と曲との狭間。馬鹿でかいハニートーストと戦ってるリカオを見てたら、考えてたことがそのまま口から出た。しまった、って思ったけどもう遅くて、リカオは少し驚いたような顔して俺を見てた。でもこのまま黙ってるのは変だろうから、折角だし聞きたかったこと聞いてやろうと思ったんだ。
「…どうして、一緒にカラオケ来たりはすんのに、俺があんたの近くに寄るのは許してくんねえの?」
俺の問いかけにリカオは目を伏せる。そして少しの間考えてから、身体ごと俺のほうを向いた。同時に流れ出したのはリカオが入れてた曲のイントロだったけど、それもまるで聴こえてないみたいな、いつもよりもっと真面目な顔で俺に言う。
「例えば…例えば俺が……お前を誘惑したり脅迫したり、好意的に見られるよう誘導したりして関係を持っているのではないかと疑われた時に、それを証明できる手立てを持っていないからだ。」
「ゆう、どう…、誘惑…?」
「大人が児童を…、18歳に満たない子供を誘導、誘惑及び脅迫して関係を迫ることは禁止されている…です。真剣交際は例外とされているが、傍からは判別が難しいし、恋愛関係と性的な関係をイコールで結べてしまうミューモンは少なからず居る。」
「…法律の話は難しくて分かんねえ。分かんねえけど、どうしてそうなるんだ? 本気ならいいんだろ? 俺は、毎回ちゃんと俺自身の意思であんたの事好きだって言ってるぜ。なのに、それじゃ駄目なのか?」
「…それでもだ。」
くっきりと、はっきりと。
「それでも俺は、俺が大人である以上、お前に手を出せない。………周囲に誤解されるかもしれないから、今はお前とそういう関係を、築くことができない…です。」
聞き間違えようもないくらい鮮明に、初めてちゃんとフラれた。…だけどリカオ自身が俺をどう思ってるのかは未だに分からねえままだ。俺がいちばん聞きたい事だっていうのに。
「……は?…意味わかんねえよ、んなの。」
他の話題なら難なく答えるくせにな。なんでそこだけ避けんだろ。全然分かんねえ。
「…無理なら、無理だって、誤魔化さねえで最初から言ってくれりゃ良かったのに。で、やっと答えたと思ったら『今は』?…んだよそれ。そうやって期待ばっかさせんじゃねえよ! 俺がっ、俺の好きがどういう意味か、そこまで分かってて毎度俺に着いてきてるくせに…!…俺が本当に聞きてえところはずっと保留のままなのに。…分かんねえよ。大人とか、子供とか、法律がどうとか! 埋めらんねえ差ばっか指さして逃げやがって…おまえは…ッ! 俺のこと馬鹿にしてんのかよ!?」
「違う。」
「ぁ??」
「馬鹿になどしていない…です。俺の保身のためにお前に不誠実だったことは謝らせて欲しい。すまなかった」
「なんで」
「……俺は俺の信念のもと、どうしても守りたいものがあって、俺が俺であるために守らなくてはいけないものがある。……だからすまない。」
信念、守りたいもの。こいつのこの言葉がどれほど重いのかを、俺は知ってる。こいつが好きで、見てきたから分かる。こいつが、食って寝ることより、自分自身よりも、何よりも優先してるものの事だ。リカオを、リカオたらしめるもの。ずっと大事にして生きてきて、多分死ぬまでずっとずっと大切に抱えて生きていくものの話だ。
ずりいよなぁ。んなもん黙るしかねえ。
「…………信念、信条…」
コップを傾けて、氷だらけの中身を噛み砕く。飲み込んだとき腹ん中と一緒に、頭が冷えるように。
その間もリカオは手を止めたまま、俺をじっと見ていた。
「…さっきからそうやって、法律の話すれば俺が黙るとでも思ってんのか?」
「…黙らなくて良い。失望しても、もっと怒ってくれても良い。俺は、それでもいいと思っている…です。」
「はぁ?んだよそれ。意味分かんなくてうぜえ…。もういい…。告白保留にされてたのは、法律のせいってことにして置いといてやる。フラれたのももう別に良い。…けど。あんたさっき『今は』って言ったよな。それがどういう意味かは、ちゃんと聞いときてえ。あんまり煮え切らねえと、もしかしたらあんたも俺のこと好きなのかって勘違いしそうになる」
「……それ、は…。」
「何十回も俺の好きを聞いて、お前が、『今』、俺のことをどう思ってんのか。ちゃんと聞く権利くらいは俺にもあんだろ?」
真っ直ぐにリカオの目を見て言ってやる。こいつは嘘がつけないからどっちにしろ困るだろうけどさ。
…案の定リカオはたっぷり5秒間、言い淀んで目を泳がせたあとに口を開いた。
「……大切だと、思っている。法律が悪いわけではないが…お前が大切だから、俺だけが大人のうちは尚のこと手は出せない。…それだけの話だ…です。」
「そんだけの話って何だよ? じゃあ俺も大人になったらどうすんだよ」
「…お前がその時、まだ俺を好いてくれているかは分からないぞ。……ほら、もう良いだろう、これ以上は…。」
「……良くねえ。良くねえんだよ。『それ以上』が、あんならな。俺は…あんたに俺が『 恋愛対象』に見えてんのかどうかを、あんたの口からハッキリ聞きてえんだ。弁護士だから、まだ高校生だから、社会が世間体が〜ってのは無しでさ」
周りくどい言い方しやがったから、追撃してやる。でも何十回も告白されといてハッキリ答えなかったこいつも悪いだろ。俺はちょっとしか悪くねえ。
さっきよりも長い、ひたすらに長い沈黙。その後に。
「う……嘘に、なるから、言いたくない……です。」
リカオは蚊の鳴くような声でそう言った。多分、この言葉はこいつの最大限の譲歩だ。そう直感した。なら、俯いたままのこいつの耳が赤く見えるのは。赤くなっていくのは、きっと俺の気のせいじゃない。
「………そうか」
「……おまえの想いに対して、俺の態度がどれだけ不誠実なのかは、本当に重々承知している…です。……これは法の問題ではなく、俺の、俺個人の問題だ。だから……頼むから…俺を、間違った大人にさせないでくれ…。」
やっぱり俺が全面的に悪かったなって素直に思い直す。俺の想いも行動も、多分無駄じゃなかったんだろうけど。そのせいでこいつは色んなものに板挟みになってんだろうなって、しおしおと震えて萎んでいく語気と、縋るようなこいつの目を見て、そう感じた。
「……分かった。悪かった、困らせちまって。今はそれで、騙されといてやるから」
俺の好きは、今日も保留にされたままだけど。これ以上困らせんのも、本意じゃねえし。もう少しこのまま待ってやっても良いかって思えたからそれで良しって事にしよう。
「あんたにも立場があんのに、しつこくしてごめんな。…多分、アレだろ。食中毒出したんじゃねえかって一回疑われたら、そのまま弁当屋が潰れるの、と…同じ、…かもって…やべえ……今、気づいた……。いや本当に、ごめんじゃ済まねえけど…マジでごめん……」
言いながら自分でどんどん血の気が引いてくのが分かる。俺、最悪じゃねえか…。
「俺はなんてことを……。自分勝手だったって、本気で反省してる…」
「……別に、構わない。……お前が諦めないでいてくれたことは、その…う、嬉し、かった………です。……だから、もう気にするな。」
「……わ、わかった…」
顔真っ赤にして目ぇ逸らしながらそんな事言われてもな。絶対に自分がフった相手にする顔じゃねえぞそれ。
「…でも『法律のせい』とか言ったのも、悪かった。あんたの大事なもんなのに」
「あぁ……。」
「俺、あんたが返事してくれるまで待つから。あんたの事好きなだけで、困らせてえ訳じゃねえから待つ」
「…お前は、それで良いのか?…です。」
「別に。そういうあんただから好きになったんだって、思い出しただけだ。だから良い」
「そうか……。」
「あんたに好きだって言うのもやめる。…18歳以上? 卒業したらだっけか? 俺も待つから、あんたもそこまで待っててくれ。そしたらもう一回言うから、今度は答えてくれよ」
「………あぁ、…分かった。心しておく…です。」
「…あ……そうだ、今のうちに言っとかなきゃいけねえ事、まだあった」
「…?……なんだ?…です。」
「口の端。クリームついてるぜ」
「えっ。」
俺たちの想いは時間でしか解決できないけれど。
今はこのままこいつと笑えれば、それで良いのかもしれねえな。